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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 8
48/95

豆腐とミネラルウォーター

 

 不穏の目をいくら警戒しようが、雨で客足が遠のこうが、リーグ戦はコンスタントに訪れる。

 年間45試合を予定しているJ2のスケジュールは非常に過酷だ。土曜日に試合をして水曜日に試合をしてさらに次の日曜日に試合、などということもしばしばである。90分プラスアルファをほぼ走り続けるサッカーは、野球で言えば全員がピッチャーのような負担の濃いスポーツだ。かといって単純に対戦回数を減らせば入場料収入が経る。長丁場のリーグ戦を乗り切るには、単純な戦力だけではないプラスアルファが必要になった。

 それを成し遂げたクラブだけが、J1という大きな舞台への切符を手に入れるのだ。

 

 早い話が、そういう意味で現在進行形に、ガイナスは思い切り蹴躓いていた。


(ま……また負けた……!)


 眞咲は頭を抱えたい気分になりながら、撤収作業の始まるスタジアムを眺めた。

 先ほどまで大泣きだった曇天には切れ目ができ、まるであざ笑うかのように晴れ間が見え始めている。ガイナスのホームスタジアムは雨が降ればほとんどの席が雨ざらしだ。天候が悪ければ客足が鈍るのは嫌と言うほど実感している。

 おまけにここのところの戦果を見れば、誰が好き好んで雨の中負け試合を見に行くのかと言われても仕方がない。

 いくら増収に直結しないとはいえ、クラブの存続には動員数のクリアも条件になっているのだ。このままだと本当に、兄姉が手を下すまでもないと判断されるような状況になりかねない。


(……いえ、それはいいんだけど。いいんだけど……そんな理由で妨害が入らないなんて、さすがに屈辱かもしれない……)


 白田が代表で抜けているのはもちろん大きな要因だが、それよりもさらに明らかな原因がある。チームのキープレイヤーである掛川が、ただいま絶不調なのだ。


 なにしろ故障を抱えているわけでもないのに運動量は落ちているわ、一試合で何度も致命的なミスを重ねるわ、もはや一度ベンチに回した方がいいのではないかという体たらくである。

 それでも監督である椛島が掛川を使い続ける以上、眞咲に異議を唱えることはできない。

 選手起用に口を挟みたがるオーナーの気持ちを痛感しながら、眞咲は深いため息を吐いた。


「本当にもう……いったい何だっていうのかしら」

「あー、掛川ですか?」


 広野が苦笑いで頬を掻いた。


「いくらなんでも好不調の波が激しすぎるわ。今度は何が原因なの?」

「えーっとー……」


 なおも頬を掻きながら、広野はわざとらしく目線をそらす。

 眞咲が目を据わらせて無言の圧力をかけると、彼は苦笑いのまま言った。


「いやー、怒るかなーって思ったんで言えなかったんですけどねえ」

「何なの」

「うん、あのですね。……新屋情報によると、どうも藤白千奈ちゃんと喧嘩をしたとか何とか……」

「……」

「……アハ」

「……つまり、恋人との痴話喧嘩?」


 オクターブ低くなった社長の声に、広野は空笑いで返す。

 テーブルの上で握られた華奢な両手が、力を入れすぎてぷるぷると震えた。笑いをこらえてるんならいいけどなあと広野は現実逃避気味に思ったが、そうでないことは明白である。


「あんっの、豆腐メンタル……! プロとしての自覚はいったいどこに引きこもったの!?」

「いやいや社長、男心って女性には理解できないほど繊細なものなんですよ。現に元日本代表の某選手だって奥さんとの離婚訴訟でぼろぼろに」

「特殊な例外を引き合いに出しても言い訳にならないわよ。さっさと謝って仲直りでも何でもすればいいだけの話じゃない!」

「それができるならこんな長引いてないんですよねぇ……。というわけで、社長。お怒り覚悟でお話しした理由なんですけど」

「……私が個人的に千奈さんの連絡先を知っているから、渡りをつけろって言いたいのね?」


 嫌そうな顔で先手をとれば、広野が顔いっぱいに笑みを浮かべた。


「ご明察です。いやー、あの対談すっごく仲よさそうだったじゃないですかー。羨ましいなー」


 最後にぽろっと本音がこぼれたが、眞咲はそれを無視して深いため息を吐いた。

 一度っきりだがサッカー雑誌の企画で行われた対談は、例に漏れずいろいろと色を付けたものとして完成していた。主催者側からうっかりこぼされた「若さが足りない」という感想を聞くに、どうやら彼らの思う「女子高生社長」というものは、もっと「普通の女の子」というものであったようだ。

 まさに眞咲が苦手とする分野だが、インタビュアーを務めた藤白千奈は、その辺りの匙加減が巧かった。私生活には踏み込みすぎずに話をふくらませ、眞咲がとっている経営方針も事前に下調べと勉強をした上で、口を出しすぎず眞咲の口から話をさせたのだ。


 そんなわけで、眞咲個人としては彼女に好意を持っている。

 連絡先も確かに交換した。

 だがしかし、こんな話題に首をつっこめるような仲かと言えば、それはまったく話が別だ。


 眞咲はこめかみを押さえ、頭痛を堪えるように目を伏せた。


「……一応、連絡は取ってみるけど……巧く仲裁できる気がしないわね……」

「いやいやいや、社長だって働く女の子じゃないですかー。きっとなにがしか通じるところがありますよ!」


 そうはいっても眞咲は生まれてこの方、恋人を持った試しがない。従って他人の色恋沙汰に共感など覚えられない。ましてや、相手がある意味白田よりも子供じみた、掛川克虎なのだからなおさらだ。

 無責任に肩の荷を放り投げてやけに清々しげな部下に、眞咲は苦り切って何度目かのため息を吐いた。


「……うっかりお別れを勧めないよう気をつけるわ」

「鬼ですか!?」


 


 


 


 チームを離脱しても、白田の日常はほぼ代わりがない。

 代表チームが宿泊しているホテルでの食事前、白田は一人、私物のジャージ姿でホテルの周辺をランニングしていた。

 海外での国際試合になるとさすがに出歩きに制限が出るが、日本国内ならば夜遊びでもない限りそこまで厳しくはない。一応フードを被ってはいるが、別にそれも必要がないような気がしていた。


(俺、顔知られてねぇもんなー)


 どこぞの東京出身島根人なら大げさなまでに嘆いていやでも目立つだろうが、白田にとっては気楽な話だ。何しろ未だに楷書でしかサインが書けず、呆れきった新屋がいろいろと案を出してお節介を焼いてくるほどなのである。ピッチ上とは裏腹に、日常生活での自己主張欲は皆無に近い。


 そんな調子で気が済むまでランニングを行い、水分補給にと立ち寄ったコンビニで、白田は予想外の事態に出くわした。


「……あれ?」


 ミネラルウォーターのブースの前で鉢合わせた女性は、大きな目をぱちぱちと瞬かせて白田を見た。

 その綺麗な顔に見覚えがあるような気がしたが、関わり合いにならない方がいいのは間違いない。レジに向かいながらジャージの後ろポケットに手を伸ばして、白田はぴたりと動きを止めた。

 いつも入れている小銭入れの感触がない。


(うっわ、あっぶね……! 財布忘れてんじゃねぇか)


 レジに並ぶ前でよかったと脱力しながら踵を返す。

 目の前にさっきの女性が立っていて、ぎくりと身を竦めてしまった。

 どうやら状況がわかりやすすぎるほどわかりやすかったらしい。彼女はいたずらげな笑みを見せて、白田を見上げた。

 どうやら気のせいではなく、面識がある相手らしい。


「あれ、買わないの?」

「あー……えーと。どこかで会ったこと……」


 一向に思い出せないが、どうにも見覚えがあるような気がする。

 首裏を掻きながら訊ねると、思い切り吹き出された。


「ほんとうに覚えてないんだ」

「いや、ちょっと待った。この辺まで出かかって……」

「あははっ。お、おもしろすぎ……! ごめん、あの、ちょっとツボに……!」


 とうとう腹を押さえられてしまい、白田は憮然と顔を背けた。

 覚えていないのは確かに悪かったと思うが、ここまで笑われると身の置き場がない。

 目尻を拭いながら、彼女はおかしそうに言った。


「いつもトラちゃんがお世話になってます。で、思い出した?」

「……あー!」


 ようやく合点がいって思わず指さすと、彼女は――チームメイトの恋人であるアナウンサーは、またも堪えきれずに吹き出した。


「思い出した、あのときの! 藤なんとかさん!」

「いやそれ思い出してないよー。っていうか昨日もA代表のレポートいったんだけど、すごいね、見事に覚えてないんだねぇ」

「いや、だって俺、話してねぇし……」


 ぼそぼそと言い訳した白田の手からボトルを取り上げ、千奈はにっこりと笑顔を見せた。


「改めましてこんばんは、藤白千奈です。お近づきの印に、こちらをごちそうしてさしあげましょう」


 

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