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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 8
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波乱の種

 

 そんな流れで社長室に招き入れた有志に事情を聞かせることにはなったものの、眞咲はすぐには話を切り出さなかった。

 緊張していたりわくわくしていたりする面々をぐるりと見回し、最後に白田をじっと眺める。

 眺められた白田の腰が引けるくらいに凝視して、眞咲はおもむろにひとつ頷いた。


「ややこしい話なので、とりあえず極力わかりやすくして話します」

「なんで俺見て決めてんだよ!」

「できるだけ避けるつもりですが、これからこちらの事情が妙な形で関わってきてしまうかもしれませんから。もしそうなった場合に、周囲の混乱を宥めていただければ助かります。質問があればどうぞ遠慮なく」


 言わずもがなの白田の抗議をあっさり聞き流し、眞咲はぬるくなり始めたコーヒーで唇を湿らせた。


「昔々、といっても六十年ほどまえですか。戦後の混乱期に、一人のとても才能のある青年がいました。生まれもはっきりとしないその青年が起こした事業はあっという間に有数の大企業へと成長し、やがては世界でも名前の知れたブランドとなります。その会社の経営が安定したところで、まだ若いその実業家は会社を後進に譲り、以降はさまざまな企業への経営に関わり、そのどれもを成功に導きました。

 ――それが、眞咲忠義。わたしの実父です」

「……えっ!? えーと、あれ? え!?」

「ちょい待ち、計算が……」

「あらまあ。私よりもご年配なんですか。元気なお父様ですねえ」

「ですよねぇえ!? いやいやいや無理でしょ、無理があるでしょ!」


 口々に感想をまくし立てられたせいで、社長室が一気に騒がしくなった

 一人頭を抱えていた白田が、のろのろと顔を上げる。


「えーと……よくわからねーけど、なんかすごい爺さんが社長の親父さんってこと……」

「そうです。よくわかりましたね」

「拍手やめろ! 褒めてないだろそれ!」


 こほんとひとつ咳払いを落とし、眞咲は肩をすくめた。


「ちなみに眞咲忠義には、わたしを含めて七人の子供がいます。うち一人が息子で、残りは娘ですね。いずれも経営に関わる仕事をしています。なにしろ、その目的のために生まれたようなものですから」

「聞いていいかな。どういう意味なんだ?」


 友藤が挙手し、遠慮がちに口を挟んだ。

 ゴシップに興味があるタイプではない。おそらくは、キャプテンとしての立場からだ。最も眞咲の口上を真面目に受け取ったのだろう。


「早い話が、後継者を望んでいるんですよ。夭折された最初の奥様との間には子供がなかったので、自分を売り込んできた女性の中からこれぞと思う才覚ある女性と結婚して、子供を作って、離婚して、子供を作って、の繰り返しです。すごい話ですよね。そんなわけで全員母親が違うのに全員が嫡出子です」


 嫡出子とは、婚姻期間中に生まれた子供のことをいう。要は日本の法律的な観点からすれば、全ての子供が平等な条件下にあるということだ。

 友藤は頭を抱えたくなりながら、眞咲の苦笑に表情を返せずにいた。

 状況は理解できたが、感情の理解が追いつかない。


「それは……大変な家庭だな」

「まあ、さすがにわたしにまでなると、科学の恩恵を利用して生まれていますけれどね。要は体外受精です」

「うっわあ……」


 種村がうめく。彼だけではなく、聞いてはならないことを聞いたとばかり、その場の全員が顔を引きつらせた。

 無理もない反応だろう。体外受精への抵抗感というよりも、そうまでしてその年齢で子供を作るものかという違和感だ。眞咲がさっぱり頓着していない様子であるのが、余計に話の非現実感を増していた。


「そんなわけで、現状は眞咲の名前を持つ経営者が継承争いの真っ最中というわけです。眞咲忠義は高齢といえど経営の雄ですから、その後継者に指名されれば、少なくとも日本国内では格段に仕事がやりやすくなるでしょうね」


 逆を言えば、それだけの価値でしかないのだ。

 母親が日系アメリカ人であることもあり、眞咲の考え方は実力主義と合理主義が強い。才能があり運を掴んだ人間が成功するというアメリカ的な思想を幼い頃から植えつけられてきた眞咲には、父親の名声と後ろ盾は、是が非でも手に入れたいものではない。負けん気は強い方なので、最初から諦める気は毛頭ないが、何かを犠牲にしてまで手に入れたいとは考えていなかった。


「眞咲忠義は、後継者となる子にそれぞれテストを課します。わたしの場合は、このクラブの清算ですね。それを勝手に再建しようとしているということで、母が怒鳴り込んできて今に至るというわけです。大体ご理解いただけました?」


 白田が挙手した。


「……全っ然簡単じゃなかったんスけど」

「……さらにまだ噛み砕かないとだめですか?」


 眞咲は渋い顔で返したが、こめかみを押さえて考え込み、口を開いた。


「たとえるなら、まず王様がいて」

「おう」

「王様には七人の子供がいて」

「うん」

「その子供がお互い血道を上げて足を引っ張り合っているところです」

「あー……ってちょっと待て! それ今初めて言ったよな!?」


 こういうところにばかり反応が早い。

 食いついてきた白田に頭の中でだけ舌打ちしながら、眞咲は涼しい顔を取り繕った。


「もっとも、わたしは特にそれに拘っているわけではないので……元々、実績と年齢という点で、他の候補者に勝つのは難しいんです。母がああなのも、それを解っているからでしょうね」


 種村が首を捻った。


「でもまあ、言ってみれば部外者ですからね。ほっといちゃうってのも手じゃないですか?」

「そういうわけにも。日本の場合は切り札があるんですよ」

「切り札?」

「ご存知のとおり、わたしは未成年者なので」


 眞咲を見る目が、きょとんとしたものになった。

 改めて言われるとなんだか違和感があるが、ガイナスの社長である眞咲萌は、確かに高校に通っている現役学生でもある。

 不意に思い当たったのか、友藤が声を上げた。


「ああ、親権者か……!」

「そういうことです。私の法定代理人は母ですからね、営業許可を取り消されたら手も足もでません」

「そうか、なるほど、それは確かにきついな……」

「いやいやいや、何二人で納得してるんですか。さっぱりわかんないんですけど。ほら白田君が頭抱えてますよー」


 ぱたぱたと手を振った種村に、白田はあわてて顔を上げた。

 その顔にありありと表れた困惑は、単語がもはや呪文にしか聞こえないといわんばかりだ。

 眞咲は苦笑いで言い直した。


「つまり、母はわたしに仕事をさせないことができる、ということです」

「はあっ!? なんでだよ!」

「何故と言われても、さっき言ったとおりなんですけど」

「だってなんだよそれ、おかしいだろ! 何か方法ないんすか、トモさん!」


 ――なぜそこで友藤に聞くのだろう。

 勝手にヒートアップしたエースに眞咲はこめかみを押さえたが、話を振られた友藤は至極真面目に考え込んだ。


「あるには、あるんだが……」

「マジで! 何っすか!?」

「……結婚すれば、成年擬制がかかって親権が関係なくなる」


 社長室が静まり返った。

 何を言い出すのかと硬直した眞咲とは逆に、白田が立ち上がって叫んだ。


「それだ!」

「何が『それだ』!?」

「社長、確かこないだ十八になってたよな!?」

「女性の結婚年齢は十六……ってそうじゃなくて! どうしてそういう話になるんですか!」

「だって許せねーよ、そんな横暴! 結婚するだけで関係なくなるならすりゃいいだろ!」

「勝手に人の人生計画を進めるのは横暴じゃないの!?」


 ぎゃいぎゃいと収集のつかなくなってきた言い合いに、椛島がころころと笑った。


「あらあらまあ。青春ですねぇ」

「青春ですか……?」


 発案者としての負い目に、友藤が苦笑いする。

 そのやりとりで我に返り、眞咲はぐしゃりと髪を掻き上げた。


「と……ともかく、そんな必要はないように話をすすめているんです! 年齢が若すぎるのでそう危険視はされていないと思いますが、何らかの妨害がある可能性は否定できませんから。……わたし個人の問題なので、極力避けられるようには配慮します。ただ、組織としてゴシップになりそうなネタには気をつけてください」


 とっさに飲み込めなかった白田の代わりに、友藤が厳しい顔で頷いた。


「なるほど……たとえば、どんな?」

「一番危ないのは、交通事故をはじめとする刑事事件ですね。スポーツビジネスで一番打撃があるのは、イメージの低下ですから。他の問題はこちらでどうにかします。近々、もう一度研修を行うつもりですけれど、友藤さんには選手のとりまとめをお願いできますか?」


 友藤は力強く頷いた。若いチームの規律を保っているのは、間違いなくこのベテランだ。

 眞咲が任されているのがスポーツクラブである以上、普通の民間企業よりは敵対行為に強いはずだ。少なくとも敵対的買収は手段として選べない。

 考えうる妨害には対応できるよう、準備は進めてきた。

 だが、何事もなければいいと思いながらも、波乱の予感は消しようもなく存在していたのだ。


 


 


 


 そしてその頃、別の場所では、全く関係なく、ある恋人たちがトラブルを発生させていた。


 きっかけは些細で、悲しいかなありふれたものだ。

 長らく遠距離恋愛を続ける二人が、予定の変更を理由に会う約束を反故にする羽目になったのである。


 その恋人であるところの掛川克虎からその話を聞いた藤代千奈は、ため息を飲み込んで電話口に答えた。


『そっか。しょうがないよね』


 事情を考えればやむをえない。関東で試合を予定していたガイナスが、いつも使っているホテルをイベントのために抑え損ねたのだ。食事だけでもと約束をしていたものの、ホテルが駅から遠くなってしまったせいで、それも難しくなってしまったのである。

 千奈とてメディア関係とはいえ、一括りにすれば社会人である。

 理解はできるからこそ聞き分けのいい返事をしたのだが、聞き分けのよすぎる返事が掛川には不満だった。


『……それだけかよ』

『え?』

『べっつに。お前、忙しいもんな。別に会えなくても大したことねぇんだろ』


 そんなことはない。

 だからこそ、掛川の言葉に、千奈は膨れっ面になった。


『……そういう台詞、メールろくに返事しないトラちゃんは言っちゃいけないと思うけど!』

『はぁ? 何いきなりキレてんだよ』

『わかってないのがダメダメなの! ……ああもう、こういうこと言いたいんじゃないのに……ごめん、もう移動だから。また頭冷えたら電話する』

『おい、千奈――』

『ごめん。今、冷静になるの、むり』


 そうして一方的に電話を切られた。


 さすがに掛川も失敗を悟ったが、たった一つしか年が違わない割に鷹揚な性格の恋人が、ほとんど初めて見せた苛立ちにとまどった。

 それが負い目から来るものだと気づけないからこそ、単純な話はややこしくなっていく。


 胸を覆う靄に掛川は舌打ちをこぼすばかりで、これが尾を引く種類の喧嘩だということを理解してはいなかったのだ。


 

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