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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 8
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台風襲来

 



chapter 8――Mid Jun, 2008


「経営者は王様じゃないわ。誰よりも組織のために動くべきなのよ」 


 

 

 六月。

 梅雨のこの時期は、ガイナスにとって試練の月となっていた。


 何しろまだ一勝も上げていないのだ。ここまでが破竹の勢いといってよかっただけに、重苦しい停滞感が曇天の鬱陶しさを増している。

 要因はいくつかあった。リーグ戦が第二クール(二順目)に入り、相手の意表を突いていた戦術が対戦相手に分析されはじめたこと。点取り屋である白田が年代別代表やフル代表で頻繁にチームを離れたこと。雨でパスの精度が落ち、ミスからの失点が目立ち始めたこと。ホームであるとりぎんバードスタジアムの芝生の水はけの悪さが足を引っ張っているというのだから、頭の痛い話である。


 分析すれば理解できることだとはいえ、そろそろ打開して欲しいのも事実だ。おまけにここのところのホームゲームときたらことごとく悪天候で、客足をますます遠のかせている。


 「台風」がクラブハウスを訪れたのは、そんな梅雨の珍しい晴れ間だった。


 


 


 営業先から事務所に戻り、眞咲は眉をひそめた。

 電子音が受話器を上げろとひたすら呼びかけつづけているが、窓際に立った広報担当は何に気をとられているのか、全く動こうともしない。


「種村さん? 電話が鳴ってるけど」

「……社長」

「何?」

「なんかクラブハウスの前に、見たことないくらい長ーい外車が止まってるんですけど。しかも真っ赤……シャア専用並に真っ赤」


 半ば呆然とした種村の状況説明に、眞咲は顔色を変えた。

 席を立っていた藤間がその光景に不思議そうな顔をして電話に出る。

 藤間の応対を背に二人が下を覗き込んだとき、運転手が開けたドアから一人の女が降り立った。練習用のグラウンドから丸見えの位置である。のどかな片田舎には見られない異様な光景に、アップをしていた選手たちも唖然として動きを止めた。


 新聞紙を前衛的にミックスしたような柄のサマーコート、ワインレッドのワンピースに十センチはあろうかというピンヒール。サングラスで顔はわからないが、ハリウッド女優のような威圧感をまき散らしながら、白人の黒服を従えてクラブハウスへ歩いていく女。

 どう控えめに見ても、明らかな異常事態である。

 隣接の練習場でクールダウンを終えていた選手たちが、困惑して声を交わした。


「ちょ、あれ誰だ?」

「つーか何だあれ。何? 撮影?」

「何の撮影だよ」

「すっげえ車だなー。あんなのが国道走ってたら邪魔でしょうがないだろうな……」

「って! そうじゃなくて! 何かヤバイんじゃないスか、俺ちょっと行って来ます」

「あ、ああ、そうだな。様子を見た方がいいか」


 あわてて走り出した白田を、友藤が困惑しながら追いかけた。

 何しろ小さなクラブだ。人の少ないところにあんなガタイのいい外国人が押し掛けて、万一暴力沙汰にでもなったら大事だ。

 にわかに騒然となったクラブハウスへ、ヒールを高らかに慣らして踏み入った女は、眞咲の出迎えを受けてサングラスを外した。


「……あ! えっ!?」


 種村があわてて口を押さえる。

 年齢は五十前くらいだろう。険しい表情を浮かべた迫力のある美貌は、明らかに、眞咲との血縁を感じさせる目鼻立ちをしていた。


『どういうつもりなの、キキ!? なんて勝手なことを!』


 しなるような怒声が飛ぶ。思わず首を竦めた種村は、かろうじて拾った単語で英語らしいことを理解して、眞咲を見た。

 一回りほども年下である上司は、動じる様子もなく女に応じた。


『久しぶりね。元気そうで何よりだわ。連絡の一つも欲しいところだけど』

『キキ!』

『納得させるだけの材料は用意しているわ。そういきりたたないで、母さん』


 事務局に駆け込んできた選手をちらりと目で留め、眞咲は経理の藤間に目配せをした。うなずいて意図を受け取った藤間が、予定にない来客を応接室へ案内する。

 遅れて顔を見せた監督の椛島が何事かと白田たちに訊ねたが、わからないとしか答えられなかった。


「や、なんか社長の知り合いっぽいんスけど……」

「英語だったな。多分お母さんじゃないか?」

「ずいぶんな血相でしたねぇ」


 ふむとつぶやいて顎を摘み、椛島はあっさりと提案した。


「こっそり様子をうかがいましょうか」

「でも英語……ってそうだ、監督、英語の先生でしたね!」

「いや、でも、家庭の問題なら首を突っ込むのは……」

「だってトモさん、あの剣幕ですよ?」

「なんかコワモテも一緒だったじゃん、一対一じゃないのってフェアじゃないだろ!」

「……新屋、お前面白がってないか」


 良識派である大人の発言は若手(一名除く)の勢いに畳み掛けられてしまった。

 かくしてこの日のガイナス鳥取事務局では、応接室で対決する母娘と窓の外で聞き耳を立てる人垣という、奇妙な光景が出来上がることになったのである。


 


 


 


『それで、どういうつもりだって言うの』


 秘書に煙草の火をつけさせ、ナオコ・タカシマは険しい顔で娘を見た。

 瓜二つと言っていいほどによく似た娘だ。幼い頃はそれこそ己の分身のように思っていたからこそ、今回のことは手痛い裏切りだった。


『あの人が出したテストはここの清算だったはずよ。それを、経営再建ですって? ただでさえ出遅れているっていうのに、無駄なリスクを背負う意味がわからないわ』

『出遅れているからこそよ』


 コーヒーを運んできた藤間に安心させるような笑顔を見せ、眞咲は淡々と答えた。


『わたしに与えられた時間は長くないわ。ただの清算なら確かに十分間に合うでしょうけれど、それがどれだけの成果かしら』


 ちらりと眉をひそめ、ナオコは煙を吐き出した。


『ライバルの数十年に足るものを作らなければ、わたしが後継者として認められる可能性は限りなく低いでしょうね。勝算はあるわ。わたしはこのクラブを建て直す』

『……勝算があると言ったわね?』

『スポーツビジネスは華やかで派手だわ。メディアを動かしやすいし、人の感情に直接作用するから、ある意味では強みがあるわね。十分に可能よ』


 多少の脚色はお互い承知の上だ。だが、少なくとも不可能なことをやろうとしているつもりはない。

 勝負事であるだけにままならない部分の多いビジネスでもある。

 現に負けが込み始めた今、営業努力だけでは補えないことを思い知らされつつある。不安要素があることは否定できなかった。

 それらのすべてを見せることなく、眞咲は強気に微笑んだ。


『そもそも「あの人」は、経営再建の雄でしょう? その後継者となろうというなら、これくらいの成果は必要なんじゃないかしら。期待していて。二年後には一定の評価を確立してみせるわ』


 突き刺すような鋭い視線が眞咲を見据えた。

 鉄壁の笑顔を浮かべる娘に、それがどれほどの硬さを持つものかを量ろうとでもするかのように。

 やがて母親は前触れもなく席を立ち、それまでの激昂が嘘のような、平淡な声で言った。


『いいこと、あなたはあの眞咲忠義と、この私の娘なのよ。負けることは許されないわ。決してね』

『承知の上よ』


 目を眇めたナオコが踵を返す。

 見送りを求めていないその背中に音のないため息を吐き、眞咲は背後に向かって声を掛けた。


「……で。立ち聞きの成果はいかがです?」


 がたんと大きな音を立てたのは、案の定、ガイナスの若きエースだった。

 試合中はあんなにDFの裏を取ることがうまいというのに、普段の単純さといったらない。ブラインドを上げて窓を開け放した眞咲は、そこに揃っていた面子に顔をしかめた。


「……監督に友藤さんまで……何をしているんですか……」

「えー社長、シロはともかく俺は無視かよ!」

「新屋さんはいないはずがないと思ってましたから」

「何それ信頼?」

「あの社長、僕は!? 除外ッスか!?」

「種村さんは同類だと思ったので。もしくは野次馬根性」


 大げさな反応にあっさりと返すと、種村はさらに大げさに嘆いた。

 ごまかそうという意図が感じられる辺り、それなりに後ろめたかったらしい。


「ひ、ひっどー! 僕ら社長のこと心配したんですよ、なあ白田君!」

「そ……っ! 別に心配っつーか、あんな外人来ることないし……!」

「なんでそこで素直にうんって言わないの君はー!」

「ま、うんっていうようじゃ白田じゃねぇわなー」


 種村が白田を力任せに揺さぶるのを見て、新屋がけらけらと笑う。

 その光景を横目に、友藤はひとつ咳払いを落とした。


「……いや、まあ。……万が一雲行きが怪しくなったら、割って入ろうかと……」

「うふふ。大丈夫ですよ、通訳してませんから」

「……監督」


 椛島が観音菩薩のごとく飄然と笑った。

 自分はわかっているということだろうとこめかみを押さえ、眞咲はさらにため息を吐く。なすがままに揺さぶられていた白田が、話をそらすように叫んだ。


「じゃなくて、なんなんだよあのオバサン! 好き勝手わめきまくったと思ったらあっさり帰るし! 何しに来たんだよ!」

「そーですよ気になりますよー。話が聞きたーい」

「お母さんなんだろ? めちゃくちゃ似てんなあ」


 ――あ、どうしよう思ったよりすごくめんどくさい。

 なんだか混乱が増してきた気がする。内心でぼやいて、眞咲は天を仰いだ。

 かといって説明しないことには解放してくれなさそうだし、疑念を残すのも好ましくない。どうするかと頭を痛めていると、パンパン、と乾いた音がそれを止めた。

 選手たちが眞咲の背後に目をやる。

 応接間の扉口、藤間がいつも通りの無表情で言った。


「女の過去をつつくもんじゃない」


 そのまじめな口振りがおかしくて、眞咲は目元をゆるめた。


「まあ、いいですよ。聞きたければお話します。別に面白い話でもないですけど、それでよろしければ」


 

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