決着とトラブル
試合は緊張感のある拮抗状態が続いた。
まるで恐れを知らないかのように前線へ飛び出していくフージにガイナス守備陣は肝を冷やしていたが、速さだけは相手のサイドバックよりも上を行っていたためか攻撃を抑えることができていた。それでも何度か裏を突かれ、ひやりとするような場面も作られたが、かろうじてゴールだけは許さなかった。
島根が三枚目の交代カードを切り、さらに攻撃のギアを上げる。
クロスバーを叩いたシュートのこぼれ球を交代選手が拾い、友藤がそれを奪って、そのままドリブルで持ち上がった。
これまでどっしりとゴールを守っていた守備の要が攻撃に出たことで、島根のマークに戸惑いが生まれた。
相手のチェックをかわして上げられたクロスは府録のディフェンスに阻まれる。白田がうまくそれを取り返して反転しながらシュートを打ったが、DFに当たってわずかに枠をそれた。
「くっそ……!」
もう少しだった。苦しい時間帯だからこそ点が欲しかったのだが。
汗をぬぐいながら舌打ちする白田に、府録が同じように息を上げながらも挑発してきた。
「は! 甘ェんだよポチ!」
「うっせ、たまたまだろうが、たまたま!」
まだ五月だというのに、夏場に近い気温でピッチはさながらサウナのような状況だ。
試合時間が九十分を超えてなお無駄な体力を使う若手二人に、さすがの島根のキャプテンも説教をする余力が残っていないらしく、うんざりした目だけを向けた。
同じ若手でも、掛川はもう口を利くのも億劫な状況だった。ボランチは攻守に運動量を求められるポジションだ。さきほどからこっそりセーブしていたのだが、監督の目はごまかせていなかったらしい。交代させてもらえる気配はなかった。
バックラインから戻ってきたボールを受け、残り時間を気にしながら前を向く。
ふと、フージと目が合った。
再三突破を止められているにもかかわらず、また同じ事をするつもりらしい。
そう思った掛川は、フージが目線を動かしたことで考えを変えた。
一度後ろにボールを戻し、体力を振り絞って上がる。
三輪がフージの行く先に大きなパスを送った。ひたすらにドリブルでの突破を試みていたフージに対応しようと、島根の選手が距離を取る。だが、フージは胸でボールをトラップすると、足元に落としてそのまま大きく逆サイドに振った。
イメージを共有して流れていた掛川がそれを受け、シュート性のクロスを上げる。島根の守備陣が一瞬迷いを見せたが、ボールは枠に行っていた。キーパーが必死に手を伸ばす。ボールは激しくバーを叩き、地面を叩きつけるようにバウンドした。
ゴール前に飛び込んでいた白田が、至近距離から体をぶつけるようにゴールへと叩き込んだ。
怒涛のような攻撃での四点目は、試合を決定付けるものだった。
あと少しだ。あと少しで、勝利が手に入る。
俄然張り切り始めたサポーターのチャントは、試合終了を告げる笛の音で歓声に変わった。ガイナスのベンチから選手たちが飛び出し、抱き合って勝利を喜び合う。
歓喜を体中で表すような光景を眺めながら、眞咲は深い息を吐いた。強化部長の広野が、それに苦笑を向ける。
「よかった、勝った。疲れたわ……」
「アハハ、そうですねー、すごい殴り合いでしたね」
スコアだけを見れば4-2、危なげのない勝利のように見える。だが、実際はどちらにもかなりの決定機があった。どう転んでもおかしくないゲームだったのだ。
とんでもないジェットコースターだ。もう少し、心臓に優しい試合をして欲しいとつくづく思う。
眼下では、選手たちが整列して互いに握手を交わしていた。
ふと、行き交っていく選手の流れが止まった。府録が白田の前で立ち止まり、睨み合っているのだ。
試合後まで何か起こす気だろうかとひやりとしたとき、府録が叫びながらぐるりと背を向けた。
「畜生っ、ホームじゃ覚えてろー!」
「あ、オイコラ、ロク! サポーターに挨拶……!」
慌ててキャプテンが呼び止めるも、府録は脱兎の勢いで走り去ってしまう。
――最後まで天然なのか計算なのかわからない選手だ。眞咲は額を押さえた。
「……まあ、無事に……終わったということで、いいわよね……?」
自信のない言い方になってしまった。お疲れ様です、と広野が笑いながら慰めたので、余計にため息をこらえる羽目になる。
ともあれ、選手の役目は試合までだが、スタッフの仕事はまだまだこれからだ。
気を引き締め、眞咲は相手チーム社長への挨拶と撤収作業の手伝いに向かった。挨拶に帰途につく人々の顔は一様に明るい。メインスタンド側にはホームチームのガイナスを応援しているお客が多かったのだろう。私服姿の子供が興奮気味にレプリカユニフォームをねだっているのを見て、口元が緩んだ。心臓には悪い試合だったが、新規客にとっては派手で面白い試合だったのだろう。
(そう考えると、圧勝するよりはこっちのほうがよかったのかしら。あとはリピーターをどれくらい得られるかね。アクセスが悪いのは否めないし、バスの本数も……)
考えに沈みながら角を曲がろうとして、またしても猛スピードで走ってきた人物にぶつかりかけた。
「うわっ、ごめ――」
しかも、相手まで同じだった。
驚いて立ちすくんだ眞咲は、さっき全力で逃亡したばかりの相手チームの選手を呆れて見上げた。
「ってまたか! なんで眞咲ちゃんここにいんだよ!」
「……それはこちらが聞きたいんですが。府録選手、廊下は走らないでください」
そもそも一試合を戦って、どうしてここまで体力が余っているのだろう。十分と走り続けられない眞咲には心底不思議だ。
衝突を回避するために掴んだ肩をぱっと離し、府録はあわてて顔を背けた。
「ちょ、待って俺いま涙目」
どうにも間が悪かったらしい。ごしごし目元をこする青年は、まるで同年代の子供のように見えた。
「あー、ホントごめん、みっともねー」
「そんなこと、ありませんよ。ダービーですから。勝負事に真剣になるのは当然でしょう。……メディアには見せないほうがいいかもしれませんけど」
「あーそう、そうなんだよなー。カメラマン構えてんだもん」
――なるほど、だから逃げたのか。
納得してしまうとなんだかおかしくなって、眞咲はくすくすと笑い声をこぼして、ハンカチを差し出した。
「あんまり擦ると腫れてしまいますから。使ってください」
府録はきょとんと目を瞬き、眞咲を見つめた。
差し出したハンカチが一向に受け取られない。いらないのだろうかと首を傾げたとき、おもむろに、ハンカチごと右手を包まれた。
「真咲ちゃん」
「はい?」
ちゃんづけで呼ぶのはやめて欲しい。
どのタイミングで口を挟もうかと考える眞咲に、府録は真顔のまま爆弾発言をかました。
「俺んとこに永久就職しませんか」
「ちょっと待てええええええ!」
突然大音声が上がり、猛ダッシュで駆け込んできた白田が眞咲から府録を引き剥がした。
「なんなんだよマジで! お前一体なに口走ってんだ!」
「うっせえよお前にゃカンケーねーだろうがポチ!」
一試合終えたばかりの選手がぎゃいぎゃいと言い合うのを眺めながら、眞咲は首を捻った。生まれは日本でも育ちはアメリカの帰国子女には、永久就職という俗語の意味が通じなかったのだ。
だから二人の会話の流れがわからない。就職というからには転職の誘いだろうかと考え、とりあえず口を挟んだ。
「折角のお申し出ですが、わたしにとって事業は自分が動かすものですから。どちらかに雇用される予定は今のところないですね」
「って、社長……!」
明らかに意図が伝わっていない。
ズレた返事に白田が頭を押さえたが、当の府録はあっさりと頷いた。
「あーならしょーがねーなー。俺、内助の功とかがっつりやってもらいたい派だし」
「内助の功?」
「健康管理とか送り迎えとか、あと子育てとか?」
ここに来てようやくプロポーズの一種だったらしいと眞咲は気づいたが、それにしては態度があっさりしている。おそらく冗談だったのだろうと、あえて訂正しないことにした。
あわてて割って入った白田が一人で肩透かしを食らう羽目になったのだが、騒ぎを見ていたチームメイトにニヤニヤ顔でからかわれるという更なる試練が待ち受けていることに、まだ気づいてはいなかった。
そして踏んだり蹴ったりの本日に得点を挙げたエースに、一つの知らせがもたらされる。
当分呼ばれないだろうと思い込んでいたフル代表――国際親善試合であるキリンチャレンジカップの日本代表メンバーに、予想外のお呼びがかかったのだ。