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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 7
44/95

推進力

 両チームともに、後半頭からの選手交代はなかった。特に島根ブロンゼは一点を追う立場にありながら、まだ三枚の交代カードを一枚も切っていない。ゲームの流れに手ごたえがあるためだろう。

 センターサークルにボールを置いた梶が、ふと口元を緩めた。

 白田が怪訝な顔で訊ねる。


「何スか?」

「いや。ホームでスタジアムが埋まってるのって、いい眺めだよな。なんか勝てるような気がしてくる」


 後半のキックオフを審判の笛が告げる。

 確かにと強くうなずいて、白田は彼にボールを転がした。


 入場者が一万人を超えれば、この小さなスタジアムは満員になっているように見える。去年もダービーに限ってそこそこ客は入っていたが、今年は真っ赤に染め上げられているわけではない。

 最高の舞台だ。

 ――だからこそ、今日こそは絶対に、この赤いチームから勝利を奪い取らなければ。


 島根ブロンゼは椛島の読みどおり、前線から強いプレッシャーをかけてきた。

 引きこもることはしない。だがやり方も変えない。後ろからつないでボールと人を動かし、常にゴールを狙っていくのがこのチームのスタイルなのだと、椛島が宣言したとおりだ。


 梶が掛川にボールを戻し、掛川が最終ラインの友藤までボールを戻す。

 友藤が、掛川からのボールをの直接大きく前へ蹴った。サイドを駆け上がった山木の前にボールが弾んだ。


山木(ヤマ)さん!」


 白田がそれを呼ぶ。

 山木は相手DFと激しく競り合いながら、ゴール前にクロスを上げた。

 いいボールだ。

 頭で叩き込もうと白田がジャンプする。だが、マークしていた府録も同時に飛んだ。


「そう何回も……やらせるか、っつうの!」


 空中で背中から体を圧され、バランスを崩した。高さが足りない。ボールは府録がゴールの上へ弾き出した。

 くそっと白田が吐き捨てて振り返れば、殴りたくなるほど得意げな顔で斜め目線をよこされる。


「はッ! どうしたよポチ!」

「だから、誰がポチだ!」


 白田がイライラと言い返す。すぐにコーナーキックだ。まだチャンスは続いている。

 勝ち誇る府録の腕を、島根の選手が裏手で叩いた。


「おい、ロク。お前カード一枚もらってんだからな。無理に当たって行くなよ」

「わぁーかってますって! 退場なんてダセー真似するわけないっスよ。必要もねぇし」


 わざとらしく余裕を感じさせる口ぶりだ。

 競り負けたことに歯痒さと腹立たしさが湧いて、白田は唇を噛み締めた。


(……くそっ)


 初めてフル代表に呼ばれて、改めて実感したことがある。

 足りないものが多すぎる。スピードも判断力も体の強さも何もかも一歩及ばない。高校を出てプロになってから妙にもてはやされるようになっても、白田の自己評価は低いままだ。府録に挑発されるまでもない。J2で、同年代のDFにさえ対応されてしまっているのに、うぬぼれなど抱けるわけがない。下手だと思うから必死に練習してきたし、しているのだ。


 白田は唇を解き、意識して大きく息を吐き出した。


(しゃんとしろよ。もっとやれるだろ! もっと周り見て、ガツガツ行け……!)


 足りないなら足りないなりに、持っているもので工夫するしかない。自分の得点ではなくても点は入っている。仕事は出来ている。チームの勝利につながるなら、周りは十分だと言うだろう。

 ――それでも満足など出来ない。自分のゴールが欲しい。

 コーナーキックに備えてゴール前に選手が集まる中、梶が白田の肩を押した。


「シロ」


 目でコーナーを示され、白田は黙ってうなずいた。

 笛が鳴り、梶が群集から飛び出した。キッカーの掛川は大きくボールを蹴り上げるのではなく、飛び出した梶にボールを転がす。

 ショートコーナーを警戒していなかったのか、島根の反応がわずかに遅れた。

 梶がボールを受け、逆サイドに高いクロスボールを上げた。

 白田は府録のマークを振り切れていない。トラップを入れれば対応されてしまうだろう。


 右足に力を入れて踏みとどまる。府録を背で押さえながら、高く上がったボールを、半分振り向きながらそのまま叩き込んだ。

 鋭い振りから生まれる、重い音。

 放たれたシュートはキーパーの脇をすり抜け、ゴールネットに突き刺さった。


「っしゃあ!」


 白田は拳を叩きつけるようなガッツポーズで吼えた。苦しめられただけに、喜びもひとしおだ。

 そのまま煽りに行ったゴール裏から爆発するような歓声が降り注ぐ。追いかけてきたチームメイトに飛び掛られ、もみくちゃにされながら、白田は声を上げて笑った。


「よくやった、シロ!」

「んだよーやっとかよこの野郎!」

「はははっ、いやマジで、あせったっすよ」


 最後に頭を小突かれて、白田はふと顔を上げた。

 運営本部のガラス越しに見えた眞咲が、大きな目を丸くして、口元を覆っていた。

 上がったテンションのまま拳を突き出す。

 なぜか苦笑された。


「うがー試合中じゃなきゃ蹴りてえ! マジ蹴りてえ! 爆発しろ!」

「は!? なんだいきなり!」


 ぎょっとして振り返れば、府録が目を据わらせていた。

 してやられたのは悔しいだろうが、暴力に訴えればカードが出るのは間違いない。それ以前にそもそもそれはスポーツではない。


「何ですか試合中に女口説いてんですか!? いいご身分だなぁポチ!」

「くどっ……アホか! わけわかんねぇ、なんでそうなんだよ!」

「はっ、試合が終わる頃にはそのドヤ顔、泣き顔にしてやんよ!」

「なんだよドヤ顔って!」

「おい、そこの馬鹿二人! いいかげんにしとけ!」


 地団太を踏む府録の頭を島根のキャプテンがはたいた。

 笛を咥えた審判の目が笑っていない。このままだと本当に遅延行為で警告を受けそうだ。


 共に未来の日本代表を担うであろうと言われている、期待の若手二人である。


 ――本当に大丈夫か五輪(オリンピック)、と会話が聞こえたうち何人の人間が思ったか、それは定かではない。







 少し感心してみればこれだ。頭痛を覚えてこめかみを押さえ、眞咲はため息を吐いた。

 学生ではなくなってからもう何年も経っているだろうに、いまだに学生気分が抜けていない気がする。椛島が褒め称えていた「U-20の結束感」とは、よもやこの雰囲気のことなのだろうか。


「プロの自覚はないのかしら……」

「あー、そうですねー。どうもあの二人が顔つき合わせると、ノリが小学生になってますねー」


 広野がしみじみとうなずいた。どうやら大学生どころではなかったらしい。

 化学反応で十年も若返られてはたまらない。ちょっかいをかけているのは府録のようなので、白田が相手にしなければいいだけの話だろうと思うのだが。


(……無理そうね。せめて手短に済ませて欲しいんだけど)


 スコアは3-1。白田の得点は、試合を決定付けられるだけのインパクトを持っていた。あの体勢からたったあれだけの動きで、あんなに強烈なシュートを打ったのだ。敵チームに与えた衝撃は決して小さくないだろう。


 ふと、眞咲は眉をひそめた。

 それなりに試合を見ることも増え、多少はサッカーの空気や流れというものがわかってきた頃合だ。だからこそ、違和感を覚えた。


 島根の選手たちの運動量が、思ったよりも落ちていない。

 メンタルが大きく影響を及ぼすスポーツだからこそ、あの得点は相手の足を止めるだけの威力があると思ったのだ。だが、島根の選手は前半が始まったばかりの時間帯と変わらず、中盤からのチェックを徹底して続けている。

 些細なミスで、ガイナスがボールを失った。

 カウンターだ。ひやりと心臓が冷たくなる。すばやく展開した島根の攻撃は、友藤がシュートコースを限定し、新屋が受け止めることでどうにか押さえられた。


(まさか、計算して?)


 やり取りは聞き取れなかったが、府録がチームの雰囲気を落とさないために道化を演じたのだとしたら、それは一定の効果を上げているだろう。

 さすがに考えすぎかと苦笑したとき、再び審判が笛を吹いた。

 攻撃に移ったと思った矢先だ。眞咲は顔をしかめた。


「またファウル? ……どうなの、今のって」

「あー……どうでしょ、ちょっと厳しいな……」


 3点目を挙げてから、どうも雲行きが怪しい。

 前半の終了間際にも同じ空気を感じたことを思い出し、嫌な予感がじわじわと胸を侵食してきた。

 そして、嫌な予感というものは、得てして現実となってしまうものだ。






(まずいな)


 友藤は内心でつぶやいた。

 どうもふわふわしているところへ、微妙な判定が続いてみんなが苛立っている。落ち着けと声を掛けはするものの、効果は芳しくない。

 微妙だろうが何だろうが審判の判断は絶対だ。

 特にこんな試合では、いちいちそれに振り回されないことが重要になるのだが、チームの若さが裏目に出た。頻繁に流れを止められるせいで、集中力も落ちている。


(落ち着かせるためにも、しばらくボールを回したいんだが……)


 セーフティとまでは言えないが、得点差は悪くない。無理に攻める必要はないのだ。

 ただ、前半の終わり間際は押し込まれて跳ね返す一方になった。二の轍を踏まないためにも、ラインを上げていくべきだろう。


 ディフェンスラインの三人で何度かボールを交換し、三輪からサイドの板谷へパスが渡る。すかさず島根の選手がチェックについた。

 前へ運ぶのを諦めたか、板谷が友藤にボールを戻す。

 この状況でこの時間帯になっても前線がボールを追い回せるとなると、試合を締めるには厄介だ。

 掛川にはマークがついている。逆サイドの山木へボールを振ったとき、島根の選手がスライディングで山木を倒した。


 ――ファウルだ。

 そう判断したことが、選手の足を止めた。


 笛は鳴らなかった。

 ボールはラインを割っておらず、拾った島根の選手がすかさず前線へパスを送る。

 一瞬目を離してしまった間にFWが裏へと抜け出た。

 キーパーと一対一だ。

 新屋が飛び出す。相手のシュートをコースを限定することで防ぎ、ボールはゴールポストを叩いた。

 だが、跳ね返ったボールはまだフィールドの中だ。

 こぼれ球を狙って詰めていた島根ツートップの片割れが、絶好のチャンスを左足で丁寧に押し込んだ。


 ゴールネットを揺らしたボールがころころと転がる。

 喜ぶ間も惜しんで、島根の選手がそのボールをセンターサークルへ運んだ。

 まだ一点差だ。勝つにはまだ点が要る。そう言わんばかりの選手たちに、島根サポーターが活気を取り戻した。まだまだ試合はわからない。単調になっていた応援も、自然勢いを増したものになる。


「くそっ……オラ、集中しろ! ぼっとしてんじゃねぇぞ!」


 芝を叩いた新屋がチームメイトに檄を飛ばす。

 残り時間は二十分ほど。まだリードしているとはいえ、チームの動揺は危険をはらんでいた。


 まずい流れだ。 

 焦りを覚えながら声を張り上げたとき、選手交代のアナウンスが流れた。

 ラインの前で跳ねているのは、褐色のひょろりとした影だ。


「って……おいおいおい、フージかよ!」


 上げた声は悲鳴になりかけた。攻撃のオプションとしては面白い選手だが、いかんせん守備に難がある。守る立場としては悲鳴の一つも上げたくなる。

 幸いは最終ラインではなく、サイドとの交代だったことか。

 ピッチに足を踏み入れたフージは、にこにこと監督の言葉を伝えた。


「守れナイヨー、攻めろッテ!」


 選手がベンチを見れば、いつもどおりの監督の笑顔に遭遇した。

 明確を通り越したメッセージだ。

 焦りに揺らいでいた空気が方向性を持つ。こうなれば、出来ることは攻めることだけだ。


「監督らしいっつか……ま、それもありか。引きこもってもどっかで事故るしな」

「うっし、やるか!」

「シロ、お前まだ一点しか取ってねぇだろ。あと二点くらい取っとけ」

「ッスね。あいつ泣かせてぇ」

「おお、シロが強気だ! クロになったぞ!」

「は!?」

「何うまいこと言った顔してるんスか」


 給水を終えてポジションに戻る選手たちの顔から、動揺は拭われていた。

 守れと言われるよりはやりやすい。


 そこからは、お互いに中盤でのボールの奪い合いになった。

 何度か決定的なチャンスがどちらにもあったが、双方のディフェンス陣が集中して、ぎりぎりでゴールを割らせない。


 白田が遠目から狙ったループシュートは意表をついたが、キーパーがかろうじてパンチングで反らした。逆に島根が得た絶好の位置からのフリーキックを新屋が防ぎ、交代で入った島根のボランチが献身的に動き回って何度もボールを奪えば、掛川が直接狙ったコーナーキックはいいコースへ曲がったもののバーに嫌われた。


 手に汗握る攻防に見入っていた志奈子は、理沙の震える声に目を瞬いた。


「……どうしよ、しーちゃん。なんか、泣きそう……」

「ええ?」

「なんか、すごい。こんないい試合、うちの、初めて見る……」


 それを、ダービーで見られたのだ。

 理沙がスタジアムに通い始めた頃から、ガイナスはずっと弱かった。苦しい時期のほうが長かったのだ。ダービーだって勝率はひどく低くて、馬鹿にされることだってあった。

 今までのことがまざまざと思い出されて、理沙は本当に泣きそうになる。あわてて、落ち着くために深呼吸を繰り返した。


「ご、ごめん。変なこと言って。気にしないで」

「あはは。でもなんか、わかる気がする。あたしもどきどきしてるもん」


 志奈子は笑って答えた。

 嘘ではない。心臓が落ち着かない。ボールの動きから、目が離せない。

 第三者として試合自体を楽しむつもりでいたはずなのに、いつの間にか、ガイナスの勝利を願うようになっていた。まだ、選手の名前さえほとんど覚えていないというのに。

 チームのひたむきさが伝わるからだろうか。


(頑張れ。負けるな。勝ってよ)


 これが過ぎたら、どんな感覚が残るのだろう。想像するとわくわくした。結末がわからない非日常なんて、そうそうあるものではない。どうせなら楽しい方向の体験が欲しい。

 そう念を送ったとき、試合が動いた。

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