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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 7
42/95

盾と矛

 

 カードが出ているからには少しくらい大人しくなるだろうという白田の予想は、残念ながら、全く府録には当てはまらなかった。

 もともと身体能力だけではなく、キャラに似合わない読みの鋭さが売りの選手である。荒さはあっても、不用意なカードを貰うことは少ない。


 しつこいマークを振り切って裏へ抜け出た白田が、オフサイドの笛に足を止めて天を仰いだ。

 立て続けに三度目だ。

 苛立ちも露わに腕を振り下ろすのを見て、監督である椛島はふむと顎を摘んだ。


「……よくないですね」


 確かに先ほどから、厳しい判定が続いている。

 イライラしているのは選手だけではない。サポーターもだ。狭いスタジアムであるだけに、ぴりぴりと肌をささくれさせる空気は簡単に伝播していく。彼らが審判にブーイングを浴びせ始めるのは時間の問題だろう。

 そしてそれは、大概において試合を余計に荒れさせる。


 島根ブロンゼとは去年は四試合を行っているが、結果は〇勝二敗二分だ。去年からの負け試合のパターン同様に、この試合では白田が押さえ込まれてしまっている。右サイドも相手選手にスピードがあるため、対応が遅れ気味だ。


 ――さて、どうしましょうか。


 速さだけでいうなら投入するのはフージだろう。だが、彼はディフェンスにやや難がある。

 ボールの支配率は上回っている。何度か決定機もあったし、それなりに攻撃の形を作ることはできている。

 島根は堅守と速攻の、カウンター攻撃を主体とするチームだ。逆を言えば、相手にとっては予定通りの展開だろう。

 前半30分。

 今のうちに崩したい。時計を確認し、椛島は横目で島根ベンチを見た。理論派の外国人監督は通訳を従え、厳しい顔でピッチを見ている。


 しばし考え、椛島は先手を打った。






 膠着を見せ始めた試合で、先に動いたのは鳥取側のベンチだった。

 交代を知らせるアナウンスに眞咲は顔を上げる。電光掲示板には、FWの今重の名前が表示された。


「シャドーを一枚、FWに替えるみたいですね」


 広野が納得したように言った。

 シャドーとは、確か梶と有海のポジションだったはずだ。つまり、白田のすぐ後ろということだろう。

 眞咲は口元に手を当て、首をひねった。


「要は、攻撃に比重を移すということ?」

「まあそうですね。白田が押さえ込まれてますから、負担を減らしたいんじゃないかな」

「なるほど」

「でもウチのフォーメーションってただでさえバランス取るのが難しいから、単純に攻撃力が増えるとは限らないんですけどねー」


 アハハと笑って放たれた補足に、そろそろ慣れてきた眞咲が顔をしかめて広野を見る。

 交代で入った今重は、トライアウトを経て今季から加入した選手だ。彼はベテランとは思えない軽い動きで、ピッチの中に駆け込んだ。






 へえ、と口の中で呟き、掛川は視線を転じさせた。

 あの素人監督の采配は、タイミングも内容も最適なものだったらしい。交代でシャドーに入った今重はツートップ気味に前に飛び出していくので、白田へのマークが少しばかり緩んだのだ。


 揺さぶれば崩せる。


 その確信を持ってビジョンを頭に描き、後ろからボールを配給していった。

 掛川の意図を受け取った有海が、駆け上がってきた右サイドの選手にボールを渡す。彼が自ら走り込んでくさびのパスを受けた時には、白田がPAの外へ逃げるような動きをみせた。

 逆のサイドから今重がゴール前に走り込むが、そちらはマークがついていて難しい。

 有海はそれを把握していた。ゴールに背を向けたまま、ダイレクトで掛川へ戻す。

 ただのバックパスではない。

 膨れ上がるような昂揚感に、掛川の口角が上がる。

 一連のパス回しで、相手のディフェンスラインにズレができていた。そこを突くように反転した白田の位置を、今の掛川は見落とさない。


 地を這うようなグラウンダーのパスがPAを切り裂く。白田がマークにつく府録と激しく競り合いながらも、ボールを前に落とす。


「んなっ!?」


 シュートを予想していた府録が声をひっくり返した。

 ゴール前で、打てとばかりにボールが転がる。

 待ち構えていたように飛び込んだ今重が、そのボールを力の限り、ゴールへと叩き込んだ。


 ザッという、ネットを打つ音が響いた。

 白田に気を取られ、ろくに反応できなかったキーパーが芝生を叩く。


 まるで鬱憤をすべて弾き飛ばしたかのような歓喜の声が、ダイレクトにピッチ上の選手たちへ降り注いだ。


今重(シゲ)さん!」

「っしゃああああ!」

「って、ちょ! シゲさんっ!?」


 ゴールを決めた今重がゴール裏を回り、そのまま抱きつこうとする白田を置いて一直線にベンチへ走って行く。ガッツポーズを作っていた監督にその勢いのまま抱きついたものだから、椛島が転びそうになって、ベンチは大変な騒ぎになった。


「……え、それちょっとひどくねえ……?」


 アシストにもかかわらず放置を食らった白田に、掛川が笑いをこらえながら「ナイスアシスト」と背中を叩く。

 地団太を踏んでいた府録が、感情のままに吠えた。


「おいポチ! お前なにビビってんだよこのポチがあ! エースなら自分で打ってこいやー!」

「う……うっせぇよ! 点入りゃこっちのもんだろ!」


 言い返した台詞は正論だが、どもった辺りに動揺がうかがわれた。

 負け惜しみはもうちょっと控えめにやれとキーパーに頭をはたかれ、府録はなおも収まらない顔でポジションへ戻った。

 完全に崩されての失点だ。去年までなら絶対になかった獲られ方に、ショックがなかったとはいえない。

 お互いにマークを確認し、島根のDFが苦々しく言った。


「やたら枚数上がって来るな、向こう。捕まえきれなかった……」

「要は中にボール入れさせなきゃいいっすよ。焦って取りに行ってバランス崩さなくてもさ。ボール回したいなら回させりゃいい。ミドルが枠行くの、10番くらいっしょ」


 白田に向けたのとは裏腹の冷静さを見せ、府録は芝生を踏みしめた。


「あークソ腹立つ、ポチごときが頭使いやがって。……見てろよ」


 ガイナス鳥取にとって、島根ブロンゼは地域リーグの頃からの天敵だ。

 その島根に対して、前半から二点のリード。否応なしに浮き足立つサポーターの声援は、もはや勝利を確信しているかのようだった。


 堅守を誇る島根としても、二点を先行された今、ゲームプランは完全に狂ってしまっている。点を取らなければ勝てないのだ。

 前半は残り五分。ベンチに動く気配はない。相手が波に乗っている状況で、下手に前がかりになることは出来ないとの判断だろう。


 ガイナスも、これまで散々苦杯を舐めさせられてきた相手だ。前半も残りわずか、無理に追加点を取りに行くよりは、二点のリードを守りきりたいという意識が浮かんだ。

 ある意味ではごく当たり前の対応だ。

 だが、消極的とも言えるその姿勢に、椛島の眉間に皺が寄る。


「……よくないですねえ」


 二点差は決して安全な状況ではない。引きこもって守りきることのできるチームではないのだ。

 ボールが前に運べなくなった。島根の攻撃もボールの放り込みで一辺倒だが、跳ね返すばかりでセカンドボールを相手に拾われ、守備に追われるようになっている。サポーターもいつの間にか黙り込み、冷や冷やと展開を見守っている。

 椛島は唸り声を飲み込んだ。攻撃をしろと声を張り上げたところで、選手がすぐに対応することはできないだろう。


 時間が経つのが遅い。しのげるだろうか。


 何度目かのゴール前の混戦。しばらく静かだった審判が、笛を吹いた。

 思わずといった様子で、ヘッドコーチが頭を抱える。


「うわっ」


 ハンドだ。ペナルティエリアぎりぎりだったのでひやりとしたが、審判が指示したのはFK(フリーキック)だった。

 今度は島根ブロンゼのサポーターからブーイングが沸き起こる。

 PKでなかったことには胸を撫で下ろしたが、ピンチであることに変わりはない。


 右斜め45度。FKとしては絶好の位置だ。

 キッカーがボールを置き、GKの新屋が壁を作る選手に烈しい声で指示を与える。祈るようなサポーターの緊張感に包まれる中、放たれたボールは、新屋がギリギリで跳ね除けた。


 安堵と落胆に空気が緩む。


 気が気ではない様子で祈る理沙に緊張をうつされ、志奈子がほっと息を吐いた。

 だが、引き続き島根が攻撃する様子であることに気づいて、嫌そうに顔をしかめる。


「ええ? まだあっちの攻撃なの?」

「そ、そうなの。CK(コーナーキック)なの……!」

「えーと」

「かどっこから蹴るやつ!」

「ああ、あれね。……ってやばいじゃんそれ。ガイナスいっつもそれで点取られ」

「いやー言わないでー!」


 半泣きで理沙が声を上げたとき、キッカーがボールを蹴り上げた。

 放物線を描いたボールを目指し、ゴール前で選手が競り合う。

 頭半分抜け出た府録が、後ろにそらすようにヘッドで押し込んだ。


「あああああー!」


 理沙の悲鳴に、志奈子が思わず耳を押さえた。

 うまいなあ、どうやったんだろ後頭部で、という素朴な感想は、とりあえず胸の中にしまっておくことにして。

 

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