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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 7
41/95

ライバル関係と花一匁

 

 試合前にはピッチ内でのウォーミングアップがある。コートを半分ずつに分けて、それぞれのチームで芝の具合を確かめるような軽い練習を行うのだ。

 半地下のロッカールームから出ると、視界に広がる緑がまぶしく映る。

 その新緑に意気込んで足を踏み入れた白田は、同じタイミングで出てきた府録に、思い切り顔をしかめた。

 対する府録は、にやりと笑って口を開いた。


「よーう、ずいぶんいい気になってんじゃねーか代表様。だがそれも今日までだ! 今日はその化けの皮テッテーテキにはがしてやんぜ、今夜は泣いて寝る覚悟でもしとくんだな、ポチ!」

「うっせえよ! いちいち因縁つけてくんな、このオマケ野郎!」

「んだとお!? ポチのくせに生意気言いやがるじゃねーか! つーか俺の名前は府録だ、ふ・ろ・く! その脳味噌に刻みこんどけ!」

「フロクでもオマケでも似たよーなもんだろ!」

「だったらシロでもポチでも同じだよなあ!?」


 試合を目の前にして始まった口論に、眞咲は唖然とつぶやいた。


「……広野さん。あれは一体」

「あー。あはは、口の回るバカと回らないバカの対決ですねー」


 後者が不利のような気がする。眞咲は頭痛を覚えてこめかみを押さえた。

 のほほんとした広野の返事は、これが恒例行事であることを物語っていた。周囲も慣れた様子で二人を放置し、アップに入っている。

 それにしても、試合前なのだ。人目につくところで中学生レベルのやりあいをするものではないと思うのだが。


「大体なあ、砂丘しかねぇ地味っ子が粋がったところで人口は増えやしねーんだよ!」

「じ、地味はお互い様だろ!」

「水族館の一つもねぇ鳥取に地味とか言われる筋合いはねぇなぁ! それともあれか、鳥取は県庁所在地に高速入ってんのか? 電車来てんのか? ほーらどうなんだよ答えてみやがれ!」

「く……空港は二つあるっ!」

「はっ、飛行機より電車のが全国つながってますぅー。それよりなんですか、鳥取って十月が神無月なんですか? 出雲にゃ神在月には日本全国から神様が帰ってくるんだ、ご利益ご加護もオールマイティにバリバリだっつーの!」

「うぐっ……」

「いいか、鳥取が島根に勝てることなんて一つもねーんだよ! 今日こそそいつを思い知らせてやるぜ!」


 府録が勝ち誇ったように白田を指差す。

 それを遠目にしながら、島根の選手たちは呆れ声を交わした。


「……なあ。あいつ出身東京だよな」

「そうっすね」

「一体何であそこまで熱く島根を語ってるんだ……」

「まあロクですから」

「ある意味地元人より地元人だよなぁ」

「松さーん、あれ止めなくていいんスかー?」

「俺は知らん!」


 キャプテンが青筋を立てて背を向けるのを見ながら、島根ブロンゼの助っ人FWは苦笑いを浮かべた。

 ガイナスはガイナスで、負けかけているエースに苦笑いを浮かべている。


「あーあ、こりゃ完敗だな」

「今年もか。成長ねぇな、白田」

「モー、ダメだヨー、シロー! 鳥取いいとこイッパイあるヨ! 蟹トカー大山トカー妖怪トカー、アト白ばらコーヒートカ!」

「お、詳しいなフージ」

「山入れてる辺りがミソか? シロもめちゃくちゃこだわってたろ」

「あいつその辺とっさに言い返せないんだよなー。言語関係の反射神経、全部脚に持ってかれてんじゃねぇか」


 チームメイトがアップをしながら好き放題評している中、白田は臍を噛んで府録を睨み付けた。


(くそ、何かないか! あるだろ何か! 何でもいいから言い返せ……!)


 勝ち誇った府録の顔がひたすら憎々しい。

 誰一人援軍をよこさない状況に唸っていた白田は、だがしかし、はたと思い当たって叫んだ。


「……そうだ、社長!」

「あ?」

「見ろ、社長の美人度ならウチが上だ!」

「!!」


 予想外の叫びに、周囲の空気が固まった。

 白田が堂々と言い切って指さしたメインスタンドを、府録がつられるように目で追う。

 さっき廊下で遭遇したばかりの女子高生社長の姿を確かめ、勢いよく視線を動かした先には、応援に来ていたずんぐりむっくりの中年男性。

 当年五十歳、島根ブロンゼの社長である。


「くっ……」

「どうだこの野郎!」

「くそ、ポチのくせに勝ち誇りやがって……そうだ!」


 爪を噛まんばかりに唸った府録は、不意に、ひらめいたとばかりに顔を輝かせた。


「眞咲社長――――――ッ!」


 大音声に呼びかけられ、眞咲が驚いてピッチを見る。

 府録は続けて、腹の底から叫んだ。


「ウチに移籍しないっスか―――――!!」


 ちょうどサポーターのコールの合間であったため、その叫びは、狭いスタジアム中に響き渡った。

 水を打ったかのように静寂が訪れる。

 ぽかんと口を開けた眞咲が、唖然としてつぶやいた。


「……は?」


 一拍おいて、スタジアムを盛大なブーイングが支配する。

 してやったりとばかりの府録に、白田はぱくぱくと口を開閉させた。


「ふっ、我ながらナイスアイデア!」

「あ、アホか! やらねぇよ!」

「いーじゃねぇか、鳥取にはもったいなもがっ」


 顔色を変えて飛んできた島根のキャプテンが、力ずくで府録を押さえ込んだ。そのままずるずると白田から引き離す。身長差があるので、あからさまに引きずることになった。


「こここの大馬鹿野郎っ、なに口走ってんだあああああ!」

「むがっ、何するんすか松さん! 男と男の真剣勝負っすよ!」

「もういいお前黙れとにかく黙れ試合終わるまで喋るな! 野田、こいつ引っ込めるの手伝え!」


 混沌となる島根の様相に、新屋が腹を抱えて笑いながらキャッチしたボールを抱え込んだ。


「阿呆だ、すんげぇレベルの阿呆がいる……!」

「ちょっと新屋さん、笑い事じゃないっすよ!」

「いやぁ盛り上がっていいんじゃねーの? 渡す気ねぇだろ、お前らも」

「そりゃまあ」

「トーゼンだヨー!」


 盛り上げる方向性が間違っているような、という真面目な友藤キャプテンのつぶやきは、誰にも拾われず喧騒にまぎれていった。



 こうして山陰ダービーに、因縁の歴史がまた一ページ刻まれて、試合は始まったのである。








 因縁が深ければ深いほど気合いというものは高まるものだ。だからこそダービーではホームであろうがアウェイであろうが攻撃的になるし、ならざるを得ない。ダービーマッチが劇的な展開を見せる要因の一つだ。


 後ろから長いパスが送られ、芝生の上をボールが走る。

 肩を強かにぶつけ合いながら、白田はどうにかボールをキープした。

 だが、ゴールに背中を向ける形になる。府録ともう一人、二人がかりで挟み込まれて、やむなく後ろにボールを戻した。

 味方にもマークがついていたために、一度は前線まで運ばれたボールがずるずると戻ってしまう。もう一度放り込まれたボールは、相手のディフェンスにあって奪われてしまった。

 府録が勝ち誇った声を上げる。


「はっ、口ほどにもねぇな!」

「うっせぇよお前! 試合中くらい黙ってろ!」


 思わず振り返って言い返した白田に、味方から叱責が飛んだ。


「シロ! 集中!」


 くそっと口の中でつぶやいて、白田はボールの行方を追った。

 毎度毎度、府録とのマッチアップは神経に来る。もちろんこの年代で代表になるくらいのDFだ、技術もフィジカルも相応に備わっている。だがそれよりも、白田とはそれ以外の部分での相性が悪すぎるのだ。

 だからこそ、監督がミーティングで告げたのは一言だった。


『シロはとにかく冷静に。いいですね?』


 シンプル極まりない指示だが、的のど真ん中を射ている指示だ。


 ――けどなあっ、言われてできりゃ苦労しねぇよ!


 言えない反論を内心で叫び、白田はボールとDFのラインを確かめた。ぴったりと背後にはりついた府録が鬱陶しい。右サイドから有海が上がってくるのを見て、いったん右に流れる動きを入れる。ボールを持った掛川と目があった。

 府録がボールを見た一瞬でターンし、裏へ抜け出す。

 掛川からドンピシャのタイミングでパスが出た。ほぼキーパーと一対一だ。

 もらった、と思った瞬間、横から脚が伸びた。


「させるっ、かあ!」


 身体能力に任せて体を戻した府録が、滑り込むようにボールを狙う。

 躊躇する暇もなかった。かわすべきだと冷静な声が頭をよぎったが、白田は目の前のチャンスに食いついた。

 左足に重心をずらし、ボールを浮かせようとする。

 判断が一瞬だけ遅かった。避けようとした府録の足に右足をとられ、もんどりうつように派手にピッチ上に転がった。


 甲高いホイッスルが鳴る。

 試合が止められたことを認識して、白田は倒れたまま右足を抱えた。


「おい、シロ! 大丈夫か!?」

「っつー……ヘーキ、っす」

「無理するな。スプレーかけとけ」


 すぐに立ち上がれない白田に、ベンチが血相を変えた。スタジアムがガイナスサポーターのブーイングとざわめきで包まれる中、トレーナーが担架を連れてピッチに入った。

 ガイナスの選手が、レッドカードもののプレーだろうと審判に詰め寄るが、首を振った審判は黄色い警告の紙を示した。

 にわかに騒然となる様相を見下ろし、運営本部に詰めていた眞咲は詰めていた息をそっと吐き出した。こうして試合が止まる場面はもう何度も見てきたが、白田は普段、ほとんどプレーを止めないタイプの選手だ。嫌な緊張感に、喉が渇くのを感じた。

 今、白田に離脱などされては、痛手どころの話ではない。


「……大丈夫かしら」

「うーん……あ、よかった、オーケー出てますね」


 白田の様子を見ていたトレーナーが、ベンチに向かって両手で丸を作っていた。

 立ち上がった白田が、確かめるように膝を伸ばす。広野とともに胸を撫で下ろし、眞咲はふとつぶやいた。


「レッドカードならその場で退場で、イエローカードだと二枚で退場だったわよね。警告の基準がよくわからないけど」

「んー、そうですねえ、得点機会阻止ですからレッドでも……ボールに行ってましたけどね。自爆したように見られたかな。まあ審判の判断ですから」


 むろんのこと、サポーターはそれでは納得しない。

 普段おとなしい理沙までもが思わずと言った様子で「レッドでしょー!?」と叫び、ついで「え、うそ何それなんでFK(フリーキック)!? PK(ピーケー)じゃないの!」とマッチデープログラムを握りつぶした。

 ダービーだということで観戦に来ていた志奈子が、そんな親友の肩を苦笑で叩いた。


「いやいや、理沙、落ち着けー」

「ううう、だってしーちゃん、ひっどいよ! なにあの審判!」

「よくわかんないけど。えーと、PKはキーパーに向かって蹴るやつよね。FK(フリーキック)って?」

「あ、うんと、ファウルあったとこにボールおいて、相手チームの選手がゴールの前に壁作って、それから蹴るの」

「ああ、あれね。今回FKなんだ?」

「それがおかしいのっ! ゴール前の四角い枠があるでしょ。あの中でファウルしたら普通はPKなのに!」

「あー、まあ微妙なとこだったわよねー」

「しーちゃんどっちの味方!?」

「一応ガイナス寄りの中立」

「……そ、そうだよね、ごめん……」


 ヒートアップした理沙がしゅんとなったところで、試合が再開した。

 島根のキーパーが壁に指示を飛ばし、PA(ペナルティエリア)ぎりぎりの位置にボールをセットした掛川が、三輪と二、三言交わして距離を取る。


 スタジアムのぴりぴりした空気を浴びながら放たれたボールは、滑るような弾道でゴールに吸い込まれた。

 

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