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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 7
40/95

立って折れたもの

 

 試合当日は、暑いほどの晴天だった。

 風がないせいで余計に空気がこもっている気がする。ふと、せっぱ詰まった声に呼び止められ、眞咲は眉をひそめて振り返った。


「すみません社長、開場時間を早めてもいいですか?」

「どうしたの?」

「すごい行列できてるんですよ。道路まで出ちゃってて、ちょっと近所から苦情来そうなんです」


 思わず目が丸くなった。

 今まで動員がもっとも多かった開幕戦でさえ、そんなことはなかったのだ。


「本当に? すごいわね、一万人行くかしら」

「行きますよ。なんか渋滞できてるらしいですし!」

「……それはかえって困るけど」


 興奮気味のスタッフに苦笑いで答え、腕時計に目を落とした。

 あまりに渋滞がひどいとなると、慣れていない観客にはつらいものがあるだろう。リピーターになってもらうには障害だ。

 ただでさえ一般駐車場はスタジアムまでの距離がある。地価の低い鳥取は当然のごとく車社会だとはいえ、シャトルバスの告知方法をもうちょっと改善した方がいいかもしれない。

 そんなことを考えていると、曲がり角で誰かとぶつかりそうになった。


「きゃ」

「うおっ……とぉ! あっぶね!」


 猛スピードで走ってきたらしい青年が、靴裏を鳴らして身をかわした。そんな運動神経などあるはずもない眞咲は足を取られて壁にぶつかりそうになったのだが、寸前で肩を引き寄せられて、どうにか危うきをえた。

 驚きすぎて声も出ない。胸に顔を押し付けるような状況で、傍から見たら抱き合っているようにも見えただろう。

 だがそれも数秒のことだ。すぐに体を離し、相手はあわてたように、眞咲の顔をのぞき込んだ。


「うっわびびったー! 悪い悪い、ほんっとごめん、怪我とかない? 足とかくじいてない?」

「……ない、みたいですが」

「あ、マジ? よかったー」


 謝るくらいなら走らないで欲しい。ようやく動悸が収まって、相手の顔を見た眞咲は、思わず顔をしかめそうになった。

 府録大朗(ふろく たろう)――先日合同記者会見で気勢を上げた、島根ブロンゼの主要選手だ。

 きょとんとした子供のような顔で、彼は目を瞬いた。


「あれ。ガイナスの社長じゃん。何してんの?」

「……何をしているのかはこちらの台詞ですよ」

「うわきっつ。そりゃ所用っつーか生理現象っつーかいろいろとな!」

「理由は問題じゃないんですが。危ないですよ。こんなことで試合前に怪我でもしたらどうするんです」


 仮にもプロのスポーツ選手だ。いささか意識が足りないのではないだろうか。

 叱りつける口調になった眞咲に、府録がますます目を瞬かせた。

 開場の始まったスタジアムは遠くにぎやかな声が響いている。そのままだと見つめ合うことになりそうだったが、眞咲がスタッフに呼ばれて、先に目を離した。


「社長ー、商工会議所の田中さんいらっしゃいましたー!」

「ありがとう。今行くわ」


 軽い会釈を残し、眞咲はその場を後にした。

 しなかやかに伸びた背中をあっけにとられて見送っていた府録に、叱責の声が飛んできた。

 ブロンゼのキャプテンである松田が、いつもどおりの顔じゅうをしかめた怒り顔で年下のチームメイトに駆け寄る。彼のほうが背が低いので、見上げるような形になって、その表情がなおさら嫌なものになった。


「こら、ロク! こんなとこでなにやってんだ、もうミーティング始まるぞ!」

「あーいやいや松さんちょっと聞いてくださいよ俺ちょっと超新発見してびっくりっすよ。美人に怒られるっていいもんスね!」

「あほかああああ! お前一体試合前に何やってんだー!」


 胸ぐらを掴まれてがくがく揺さぶられたが、悲しいかな慣れてしまった府録は一向に気にしない。唇の端を持ち上げ、本人はニヒルだと思っているらしい笑みを見せた。


「こーりゃ今日の試合、ますます気合い入るなー。コテンパンのギニャッギニャにしてやりますよ」

「ああそうかい……それはいいけどな、お前、その美人って鳥取のスタッフじゃないのか。逆効果じゃねえか」

「何言ってるんスか真剣勝負ッスよ。トラウマになるくらい活躍すんのが王道っしょ常考!」

「……お前の言うことはいろんな意味で時々わからん」

「えーなんなんスか松さん。俺むずかしーこと言ってないスよー」

「逆だ阿呆!」


 どすどすと足を踏みならして、松田がロッカールームへ向かう。

 その後ろに従いながら、府録は上機嫌に頭の後ろで手を組んだ。


「見てろよ、白田」








 牧が他のサポーターとともに弾幕を準備し終わえたとき、聞き覚えのある明るい声が彼の名前を呼んだ。

 五月に入り、晴れ渡ったスタジアムは汗ばむほどだ。肩口で汗をぬぐいながら振り返ると、靴屋の店主がニカッとばかりに笑って手を振った。

 サポーターの中では比較的古参の彼は、白田とも面識がある。その傍らに小さな女の子の姿を見て、牧は口元をほころばせた。


「今日は暑いなあ。水ちゃんと飲めよ」

「そうだね。ぐっさん、今日は樹里ちゃんと一緒なんだ」

「おうよ。たっかい買い物したんだぜ」

「みてみてー牧くん、これ!」


 嬉しげに胸を張る田口の娘は、ガイナスのレプリカユニフォームを嬉しげに披露した。

 子供用でもワンピースのような状態になるそれを、彼女はいたくお気に召したらしい。くるりと回ってひまわりのような笑顔を見せた樹里に、牧は膝を折って目線を合わせた。


「買ってもらったんだ? かっこいいね」

「似合うでしょ?」

「うん。とっても」


 サポーターに販売されるレプリカユニフォームは背番号を入れないこともできるが、応援している選手の名前が入ったものを買うのが一般的だ。樹里の胸を飾るのは、女性人気のある掛川の10番だった。


「あれ、トラなんだ?」

「いちばんかっこいいもん! あたし、トラだったらおよめさんになってあげてもいいなー」


 牧は思わず微笑んだ。

 一緒に試合を見に行こうとせがむ父親に、最近ようやく首を縦に振るようになったばかりの少女である。とりあえず見た目で好き嫌いをつけることにしたらしい。


 その発言に狼狽したのは、当然ながら父親である田口だった。


「えっちょ、待って! だめ! とーちゃん聞いてないよ。シロなら百歩譲って嫁にやってもいいけど他はだめ!」

「えー! こないだすっごいほめてたじゃーん」

「そ、それとこれとは別! だめったらだめ! ほら、シロとか日本代表だぞ。すっごいんだぞ! かっこいいんだぞ!」

「うーん、じゃあシロでもいっかなー」


 白田も見た目の好み基準はとりあえずクリアしているらしい。

 笑いをこらえながら、牧はスタジアムを見渡した。


 去年は真っ赤に染まってしまったスタジアムも、今年はいい勝負をしている気がする。少なくとも普通の服の比率が高いということは、鳥取側の応援も増えているということだろう。


 今年はこれまでとは違うのだと、サポーターはもうすっかり疑いなく口にするようになった。

 何より勝てるようになったものだから、「どうせ負けるでしょ」という断り文句に言い返せるようになったのが嬉しい。


 島根ブロンゼのサポーターがコールの練習を始めた。人数がいる上に応援も堂に入っていて、まとまった音の塊がこちらまで届いてくる。

 表情を改めた牧に、田口が強い口調でつぶやいた。


「今年は、勝つぞ」

「うん。やってくれるよ、きっと」


 毎年ダービーでは気合が空回りして活躍できない白田も、監督にうまくモチベーションの方向をコントロールされていたように思える。何より、チームの一体感や雰囲気のよさが、これまでにないほどサポーターに伝わってきた。

 牧は内心で、願うように呼びかけた。


(これで、よかったんだって言わせてくれ)


 幼馴染として、移籍を勧めたことを後悔はしていない。それでも白田はガイナスに残り、ますます活躍を見せて、とうとう日本代表にまで選ばれた。

 どこか遠くに行ってしまうような寂しさはある。けれど、それ以上に胸を締めるのは言葉にならないほどの喜びだ。


 アップに出てきた選手に、サポーターがコールを始める。

 試合前の高揚感が、じわじわと体を満たしていった。

 

タイトル何のことってフラグですよ。立てておいて自らへし折りおった

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