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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 6
37/95

心の一番奥にあるもの

 

 社長と一揉めした営業活動が実ってか、はたまた対戦相手が比較的近隣に位置する鳥栖だからか。スタジアムにはそれなりに観客が入っていた。さすがに満席にはほど遠いが、九割近くが空席だった去年のことを思えば、実に大入りだ。


 掛川はゼリー飲料をくわえながら、目の前にひろがる緑のフィールドを見据えた。

 試合前、小さなスタジアムを包む空気はいつも独特だ。抜けるような広い空の下、上空からの眺めを想像する。強い日光に深い緑が映えて、きっと絶景だろう。そこからはきっと、何もかもが見渡せる。


 必要なのは広い視野だけではない。その中で、いかに相手をうまく使い、うまく使われるかということだ。

 自分に言い聞かせるように口の中で呟いた。

 やってみせるのだ。白田に置いていかれなどしない。意識が変わったかなんて聞かれてもわからないが、それでも変わろうとしている自分は、確かにここに立っている。

 求められているものを作り上げること。それができれば、初めて、ようやく上を目指せる。


 掛川はゆっくりと息を吐き、監督が観音菩薩の微笑で言い放った言葉を反芻した。


『シロがいない? それが何です。うちは彼だけが点を取っているわけではありませんよ』


 軸になる声。強い意志。

 それを自分の中に縫い留めるように、手のひらを握りしめた。


「あ、こらフージ! いくつ食ってんだ!」

「ムームー!」

「よっつ、じゃない! 食い過ぎて動けなくなるぞ!」


 ――背後の喧噪に、なんだかいろんなものを台無しにされた気がして、掛川は無言で額を押さえた。

 緊張感のかけらも残らない。

 一回くらい蹴飛ばす権利はあるはずだと顔を上げたところへ、遠慮のない手が背中を叩いていった。


「いッ」

「困ったもんだなーあいつは。どんだけ腹ぺこなんだ」

「……んの、馬鹿力……!」

「はっはっは、固いぞ若者。力抜け」


 しゃがみ込んで痛みを堪え、掛川は長々と息を吐き出した。

 胡乱な顔で睨めば、三輪がけろりとした顔で手を振っている。


「何スか。人の集中邪魔するとかマジ最悪なんだけど」

「ガッチガチになって何を言うか。気負うなよ、普段通りやれ」

「……なんかムカつくんスけど、その顔」

「お前は本当素直じゃねぇな」


 どこがだというのだ。

 三輪のしたり顔に思わず渋面になると、割り込んできた新屋が掛川の首に腕を回した。


「ちょ」

「そーそー可愛くもねぇしなー」

「愛想もないよなー」

「なのにモテるんスよねこいつ。うっわマジ刺したい」

「何なんだよあんたら! 試合前だろ!」


 掛川はもがくものの、がっちりと押さえ込まれている状況で、体格差と腕力では歯が立たない。

 いっそアッパーでも食らわせてやろうかと不穏な考えを抱いたとき、周囲の選手がのんきな声でうなずいた。


「やっぱ顔だよなー。イケメンは得だねえ」

「いや、このクールぶったとこがウケるんじゃね?」

「ああ! 新屋さんと正反対!」

「オオー!」

「……ほう。何か言ったか?」

「いえ何も!」

「新屋サン、チョーオトコマエー!」

「そうかそうか」

「イタタタタ!」

「次はお前かー喜多ー」

「いや違っ、自然派ってことッスよ! ナチュラル! エコ!」

「わけがわからんわ」


 収拾のつかなくなりはじめた騒ぎをキャプテンの友藤が宥めて止め、ようやく場違いなコントが終わりを見せる。

 試合前から無駄な体力を使ったような気分になったが、確かに妙な力みは抜けた。

 確かに間違ってはいない。長いリーグ戦、四十二試合のうちの一試合だ。練習の通りにやればいい。


(見てろよ)


 トゥーロンに向かっている代表チーム。その監督の気にくわない顔を思い浮かべ、掛川は拳を握りしめる。

 まだ時間はある。諦めるには早すぎる。

 あの場所へ必ず戻ってみせるのだと、掛川は内心に誓った。








 試合は膠着して進んだ。相手はゴール前でがっちりと守りを固め、ガイナスの攻撃をシャットアウトしている。


 左WBがライン際を上がるのを視界の端で確かめ、バックパスを受けた掛川はダイレクトでそこへボールを送った。

 怒濤の勢いで駆け上がった板谷がボールを追う。伸ばした足はあと一歩届かず、ラインを割って外に出た。

 サポーターのどよめきが、落胆の声に変わる。


「悪い」


 短くかけられた声に、掛川は軽く手を挙げて応じた。

 悪くはない。決定機はまだないが、リズムはできている。パスミスも少ないのはチームが集中できている証拠だ。


 細かいパスをつなぎ続けて機会を探る。相手があまり高い位置までプレスをかけてこないため、後ろでのパス回しはそう難しくない。


 あとは、攻撃のスイッチをどこで入れるかだ。


 今日1トップに入っている今重は、白田と違い典型的なポストプレーヤーだ。自分が点を取るよりも、ボールを収めてシャドーに点を取らせる形での得点が多い。ただ、こうも守備ブロックを作られては、その形でゴールに持っていくのは難しい。


 白田はいない。相手の守備を崩すには、緩急のきいたパスとポジションの移動でかき回すしかない。それが監督のプランで、彼女は自信を込めて言ったのだ。

 白田がいるときよりも、パスはつながるはずだと。


 一度はエンドライン近くまで運んだボールは、出しどころを見つけられずに後ろに戻された。バックパスを受けた掛川は、そのまま最終ラインの友藤まで返す。

 その瞬間、三輪が猛然と左サイドを駆け上がった。

 それにあわせて、PA内にいた有海がマークを連れて外へ出る。

 ぽっかりと開いたスペースに走り込んだ三輪へ、ピンポイントにパスが入った。


 敵の対応が遅れる。絶好のチャンスを、DFはスライディングで阻止した。


 審判の笛がプレーを止めた。PKだ。


「――っし!」


 思わずガッツポーズが出た。ずっと攻め続けながらゴールに届かずにいたのだ。

 ここで点を取れば楽になる。

 時間は前半残り十分と少し。時計を確認して、掛川は水のボトルを拾う。

 蹴るのは今重だろうと視線を向けたところで、PKを取った三輪がすれ違いざまにつぶやいた。


「おいトラ、昨日のアレやるぞ」

「……はあ!?」


 声がひっくり返ったのは、それが何のことかわかってしまったからだ。

 三輪が無造作に掛川の頭をはたく。


「バカ、声でけぇって」

「どっちがバカだよ、公式戦で!」

「いーからいーから。あわせろよ? でないと赤っ恥だからなー」


 知るかと叫びそうになったが、にやりと笑う三輪の顔はとてつもなく不穏だ。無視したらしたで、あとから報復されるのは間違いない。失敗して恥を掻くのは、間違いなく掛川の方だというのにだ。

 くそ、と吐き捨てて、掛川は頭を掻きむしった。


 ――どうにでもなれ。


 三輪が意気揚々とボールをセットし、キーパーと対峙する。

 ペナルティーアークの外側で、掛川がようやく腹を括ったとき、審判が笛を吹いた。


 ゆったりと助走を始めた三輪が、PKのボールを、ちょんと蹴り出す。

 ボールがころころと転がり、キーパーの顔が困惑に歪んだ。

 キックミスかと飛び出したところへ掛川が駆け込む。転がるボールを、掛川はそのままゴールの右隅へ蹴り込んだ。


「なっ」


 PKで展開されたパスに、スタジアムがどよめく。

 駆け寄ってきた三輪に首を抱えて髪をくしゃくしゃにされ、掛川はヤケ気味にわめいた。


「痛い!」

「わはははは! いやーよくやった!」

「絶ッ対、顰蹙モンだろこれ! 怒られたらあんたのせいだって言うからな!」

「いーっていーって、アンリとピレスもやったろー? むしろ成功したから越えたな! あれを!」


 駆け寄ってきたチームメイトにも追加でどつかれそうになり、掛川は顔色を変えて三輪の腕をかわした。


 「何やってんだ」だの「マジでやるかアレ」だの「カード貰う気か」だのとすれ違いざまにあちこちを叩かれながらポジションに戻った掛川は、なんだか今さらのように、笑いがこみ上げてくるのを感じた。


 まるで高校生の悪ふざけだ。

 ユースの頃はこんな感じだったと、ふと懐かしく思い出した。みんな仲がよくて連携も抜群で、監督も時々ウザかったけれど嫌いじゃなかった。最高のチームだと思っていた。ユースカップ決勝で負けて泣いたとき、あれがサッカーで泣いた最後だった気がする。


 ユースにはプロになれなかった選手もたくさんいた。むしろ、そのままプロになった選手は数えるほどだった。それでも当時のチームメイトは、誰もが自分たちを最強だと思っていた。


 井の中の蛙だ。だけどそれだけじゃない。あのときうまくいってたのは、お互いをお互いがよく理解していたからだ。


 視野を狭くしていたのは、きっと自分自身だ。

 自分が長所だと信じる部分に固執して、それがうまく行かなくてもがいているうちに、自分がどんな選手なのかも見失ってしまっていた。


「トラ!」


 地を這う強いパスをかろうじて受ける。左サイドにボールをはたいて、掛川はそのまま前へ駆け込んだ。

 マークについたDFが激しく体をぶつけてくる。中でパスを受け、体勢を崩しながらもワンツーで喜多に返す。

 右膝を芝についた。倒れ込みそうになったのを右手で堪えて、背後のDFをすりぬけるように位置を入れ替えた。


 左サイドの奥深くに追い込まれた味方が、どうにかクロスを上げる。

 FWが競り合ったそれはキーパーに阻まれ、走り込んだ掛川の目の前に転がった。


 するりとトラップして前を向く。角度はない。目の前にDFは一枚。


 パスにこだわっていたいつもの自分なら、まず味方をさがしただろう。それでもその瞬間、選んだのは突破だった。

 フェイントをひとつ入れてDFを外す。飛び出したGKを出し抜くようなループシュートが、ふわりとゴールの中へ吸い込まれた。


 時間が、止まったようだった。


 至近距離で鼓膜を揺るがす、歓喜の声。

 駆け寄ったチームメイトが先取点以上の力加減のなさでとびついてくる。

 スタジアムDJがゴールの雄叫びを上げる。


 そのすべてを全身で受けながら、本当はずっと分かり切っていたことを、強く強く、掛川は実感していた。








「――そうですね、監督の指示通りで。立ち上がりに我慢できたのがよかったです」

「エースの不在を感じさせない完勝でしたね」

「ええ、まあ、今後もこういう試合は増えてくると思うので――」


 試合後の囲み取材で優等生な答えを返している友藤を横目に、妙なPKについてひとしきり話し終えた三輪がきょろきょろと辺りを見回した。


「あっれー、俺の相方がいねぇなぁ。どこ行ったよ」

「そういえば。珍しいッスね」

「逃げたんじゃね?」

「まさか。シロじゃあるまいし」

「あ、三輪さんとセットにされるのがいやだったとか」

「なんだよ、傷つくじゃねぇか。オッサンには優しくしろよ」

「自分でオッサン認めるんスか」

「年長者は敬わんとな。フッ、こうなったら絶対コンビ扱いさせてやろうじゃねぇか」


 三輪の不穏な笑みを知ることもなく、掛川はスタジアムの奥深くで携帯電話を手に、相手が出るのを待っていた。


 試合の熱狂の余韻を残した気持ちとは裏腹に、乳酸の溜まった手足はけだるさを訴えている。


 勢いだけで思い立ったものの、つながる可能性の方が低いことはわかっていた。留守電は苦手だったが、切ってしまわないだけの心積もりはしたつもりだ。


 呼び出し音は、5コール目でとぎれた。


「――千奈?」

『うん』


 短い肯定。

 いつものおしゃべりが嘘のように、彼女はそのまま、掛川の言葉を待った。


「……勝ったけど」

『うん。おめでとう』


 本当は、言いたいことがたくさんあったような気がした。

 それでも出てくる言葉は少なすぎて、伝えたいことも満足に伝えられない。大きく息を吐いて、掛川は壁にもたれた。


 ざわめきが遠く聞こえる。

 耳に押し当てた携帯電話から伝わる気配だけを頼りに、目を閉じた。


「あのさ」

『うん』

「実感、したんだけど。……俺、サッカーが好きだ」


 口にするのは、本当に久しぶりのような気がした。

 サッカーが好きだった。他の何よりも好きだった。だから、プロになりたいと願ったのだ。

 焦燥に追い立てられていつの間にか忘れていたことが、今、実感として手のひらの中にある。


 サッカーは、楽しいものだった。今日の試合は本当に楽しかった。後半になってばてて交代させられたことを、悔しいのではなく口惜しいと思うくらいに。


 ふわりと、千奈がほほえむ気配がした。


『知ってるよ』

 

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