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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 6
34/95

棘の兆候

 

 スポーツ番組の収録を終えて携帯電話をチェックしても、着信メールの中に掛川の名前はなかった。

 こっそりため息を吐いて、千奈(ちな)はスタジオの高く真っ暗な天井を見上げる。

 既にして二日。たぶん今回の返事は、放っておいたらもうこないだろう。


「どうしたのかなー……」


 お世辞にもマメとは言えない相手だけれど、見に行くと言って無反応なのはめずらしい。

 ……ただし、めずらしいだけで、初めてではないのだが。


 外から見る限り、掛川が所属しているガイナスの現状は悪くない。経営危機こそ派手にぶち上げていたものの、その効果かスポンサーにも何社か手を上げ、チームは一致団結して近年なかった上位につけている――ように、見える。


 クールに見せかけようとして分かりやすく繊細な掛川のことだ。きっとまた何か悩んでいるのだろう。

 それでも、ほったらかしはやっぱり寂しい。


「お疲れ、千奈ちゃん。なんだか元気ないね?」

「……うーん。彼氏からメールの返事がこないんです」


 先ほどの収録で一緒だった元木が、小さな目を丸くした。

 丸々とした体型の元日本代表選手は、とても気のいい壮年の男性だ。


「千奈ちゃん、彼氏いるの!」

「あっしまった。ないしょですないしょ」

「いやー、気になるなあ。千奈ちゃんって、そういう噂ぜんぜんなかったのに」

「忙しいですもん。もっと勉強しなきゃだし、自分でもボール蹴ってますし、スタジアムにも行きたいし、リーガとかブンデスとかも見たいし」


 全部サッカー関連だというところが、我ながらサッカー馬鹿の名前に違わない日常だと千奈は思う。時々この中に掛川とのデートが入ることもあるけれど、それは言わないでおく。


 指折り数えて忙しさをアピールする千奈に、彼は目を細めて笑い声を上げた。


「大したもんだ。女子アナでそこまで熱心な子、そんなにいないよ」

「そりゃもうー。ワールドカップ目指してますから」

「おお。南ア? ブラジル?」

「どっちもです」

「ははは、頼もしいな。そういえば来月のキリンカップ、ピッチリポーターやるんだって?」

「え?」


 千奈は目を瞬いた。きょとんとした反応に、元木が困惑を見せる。


「あれ、そう聞いた気がするんだけど……」

「ほんとですか!? まだ聞いてないだけかも。わあ、楽しみ!」

「うわあ、もし違ったら怒られそうだな」

「番組で泣きついちゃいます。元木さんにもてあそばれたーって」

「やめてやめて。嫁さん本当に怒るから」


 笑って冗談を交わしながら、また忙しくなりそうだと千奈はわくわくしながら内心でつぶやく。

 代表戦となったら、Jリーグとはスタンスが違う。Jリーグのリーグ戦のほとんどは、サッカーにそれなりの興味があって加入しなければ見られないコンテンツだが、代表戦は地上波で誰でも見ることができる。基礎知識に差があるからこそ、そこには微妙な配慮が必要だ。


 ふと、いつまでも来ない返事のことを、一瞬だけ忘れていた自分に気づく。


 こんな時に、思うのだ。

 本当は――近くでちゃんと彼を思って、彼だけを見て支えてあげられる子の方が、彼には必要なんじゃないかと。








 地を這うようなグラウンダーのパスは、FWと合わずにラインを割った。


 ――何回目だ。

 掛川は舌打ちして、ピッチを自陣へ駆け戻る。


 イメージが一致しない。白田が相手ならつながるパスがつながらない。

 たかだかトレーニングマッチだというのに、しかも相手は大学生だというのに、いいように守備をはめられている。カウンターからすでに三失点。重苦しいものが胃をせり上げた。


 リーグの草津戦もそうだった。白田がいないだけでここまで崩れるのかとうんざりする。


 慣れないポジションを強制されていることも苛立ちの原因になった。本当なら、もっと前でパスを供給するのが掛川のスタイルだ。一列下げられたままでは守備に追われて攻撃力が半減する。うかつに上がって失点してからは、よけいに意識がそちらへ行った。


 前線でのパス回しをカットされて、大学チームが左サイドから攻め上がる。

 点を取れない焦りで上がりすぎていたガイナスは、やすやすと四失点目を喫した。


 喜ぶ大学生を、掛川は棒立ちになって眺める。それはどこか遠い光景に思えた。

 上がった息の下、ふと血が冷えたような気がした。

 淀んだ何かが、首筋のあたりを滑り落ちていく感覚。


(……あ……ヤバイ)


 足が動かなくなる。崩れていく集中を引き留められない。

 気持ちが切れたのは傍目にも明らかだった。立て続けに単純なミスを犯した掛川に、しなるような怒鳴り声が飛ぶ。


「トラ!」


 びくりと顔を上げた掛川に、容赦ない言葉が投げかけられた。


「やる気がないならピッチから出なさい。立っているだけなら木でもできます」


 険しい顔をした監督が交代を指示し、掛川は憮然として視線を落とした。

 屈辱と自己嫌悪がないまぜになって視界を暗くする。水のボトルを蹴飛ばしたい気分になったが、唇を噛んで衝動を飲み込んだ。


 交代で入った喜多が中盤で体を張って守備を安定させ、リズムを取り戻す。

 自分が外れて、チームに流れが戻ってきたことが、よけいに掛川を打ちのめした。


 ――何をしているのだろう。

 どうして、自分はここにいるのだろう。


 ぐるぐると回る迷いは出口を見つけられずに沈んでいく。

 重苦しく息を吐き出して、掛川はきつく目蓋を閉じた。


 試合は結局、合計4-5のスコアで終わった。

 全体的にぎこちなかったチームは細かな修正を重ねてスムーズになり、終了間際にはパスで相手の守備を崩す得点も生まれた。全体的にミスが多く、お世辞にもいいゲームだったとはいえない。それでも一定の収穫を口にする監督の声を、他人事のように遠く聞いた。


「トラ、メシ食ってこーぜ」


 解散後に掛川を呼び止めたのは、飄々とした声だった。

 新屋がいつも通りのからかうような顔で返事を待っていた。表情を浮かべないまま、掛川は視線をそらす。


「……いいっす。めんどいし」

「なぁんだとう? 先輩がめずらしく奢ってやろってのに」

「眠いんで」


 ちりちりした苛立ちに声が低くなる。気を使われているのは明らかで、それが疎ましくて仕方ない。

 その場にフージが通りかかったのは、だからおそらく、どちらにとっても幸運だった。


「フージ、越智! 新屋さんがメシ奢るってさ!」

「ホントッ!? 新屋サンダイスキー! オトコマエー!」

「おわっ! 阿呆フージ、後ろっから飛びつくな! ……あ、おいコラ、トラ!」


 新屋があわてた声を上げる。

 足早にその場を後にして、掛川はきつく唇を結んだ。

 赤い夕日に作り出された影が、コンクリートの上に長く伸びている。四月の下旬に入っても、夕暮れの風はまだ首を竦めるような冷たさで吹き抜けていた。








「いやもー、すっごいですね代表効果! 感触が全っ然違いますよ!」


 広報の種村が実感たっぷりに言った。

 先日のホーム愛媛戦では、開幕戦以来の5000人越えを記録した。代表選出からあまり時間がなかったにしては上々だ。

 この機会を逃すわけにはいかない。降って湧いた幸運は、往々にして長続きするものではない。

 山積みになったイベント申し入れの回答に、眞咲は肩をすくめて応じた。


「問題は、対象が特定の選手に限定されていることね。事前連絡と他の選手のケアに気をつけないと」

「あー……子供って素直ですもんね。でも結構、空気読んだりしますよ。やっぱり人気不人気はありますけど。ベテランと若手組み合わせたほうがいいかな」


 白田が来ることを期待して、そうでなかった場合にがっかりされるのは他の選手も面白くないだろう。

 かといって、全てに白田を連れ回すのも無理がある。ただでさえ代表の掛け持ちで忙しくなっているのだ。


「しかしこれ、全部受けるんですか? かなり数ありますけど……」

「もちろん。ありがたい話でしょう。断るなんてもったいない真似、している余裕はないわ」

「まあ、そうなんですけど……うーん」


 苦笑いを返し、種村は考え込むように後ろ頭を掻いた。

 眞咲は眉をひそめる。


「一人あたり、数時間を週一回といったところね。無理を言っているつもりはないけど?」

「……いや、今までほとんどやってなかったんで……ちょっと心配で」

「その辺りは追い追い調整しましょう。今はクラブが地域に根付くのが最重要だわ。狙いどころは子供と高齢層よ」

「子供はわかりますけど、高齢層ですか?」

「ええ。鳥取の人口分布的には、その層を動かせると動かせないとでかなり違ってくるわ。孫並に思い入れを持ってもらえれば、勝とうが負けようが応援してもらえる。まずはそこね」


 契約条項は確認している。クラブの行事への参加は彼らの報酬内だ。

 もちろん試合へ影響を出すような無茶をさせるつもりはないが、いくらチームが勝っても客を呼べないのでは意味がない。

 眞咲はゆるやかに目を伏せた。


「二の轍は踏まない。今度こそ動員をキープする。そのために必要な手は、すべて打つわ」

 

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