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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 6
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レンタル移籍の打診と葛藤

 


chapter 6――Early Apr, 2008

 

「……サッカー、好きなんだ」

 


 

 

 掛川克虎がレンタル移籍の打診を聞かされたのは、二年前の冬だった。


 レンタル移籍とは、正式には期限付き移籍という。聞いて名のごとく、契約中の選手の貸し出しに使われる制度だ。期間を決めて別のチームでプレーし、期限が終わると元の所属クラブに戻ることもあれば、そのままレンタル先のクラブが獲得することもある。

 掛川が契約したときよりも、目に見えて目方の増えた体を椅子に構え、GMは身を乗り出した。


「J2の鳥取だ。トップ下が足りないから、まず試合には出られると思う。どうだ?」


 思ったのは、とうとうベンチですらなくなるのかという自嘲だった。

 広島は育成型のクラブだ。ユースの昇格も多く、有望な若手に試合経験を積ませるために、近隣のJ2クラブへ選手を貸し出すことは珍しくない。――ただ、プロ契約を結んで二年が過ぎている掛川の場合、片道切符となる可能性は高かった。

 重く暗いものが胸を塞いでいく。それを見せるのは絶対に嫌で、唇を歪めた。


「鳥取ってメチャ弱いとこでしょ。行った方がいいと思うんスか、田崎さん」

「でなきゃ話を持ってこない。お前、このままじゃ駄目だってわかってるんだろう?」


 プロになって、試合に出て、スタメンを奪えそうだと思ったのは一瞬だった。通用すると思っていたものが通用しない。自分の持ち味を出す余裕などどこにもない。だんだんと腐ってパフォーマンスを落としていった掛川を、監督が使うはずもなかった。

 監督が変わればと、思わなかったとは言わない。今の監督が自分に合わないだけなのだと思いこもうとしていた。それをGMは見抜いていたのだろう。


「お前は才能があるよ。それは確かだ。でもな、才能だけある奴なんてごまんといるんだよ。このまま消えてくつもりか?」

「……」

「お前に一番必要なのは経験だ。今は、とにかく試合に出た方がいい。環境を変えてやってみないか」


 GMの言葉には嘘がなく、だからこそよけいに痛いところをえぐられているような気がした。

 どうせこのままここにいても、試合に出ることはできないだろう。J1というブランドにしがみつくだけだ。

 田舎に飛ばされるのだと思うと自尊心が傷ついたが、他に選択肢などないことも分かっていた。


「行きます」


 視線を落としたまま、掛川は答えた。

 このまま戻れなくなるのかもしれないと――そんな弱音を踏みつぶして。


 


 


 


 


 


 あいにくの重苦しい曇天を、高らかな歓声が突き上げた。

 サポーターの前へ白田が走っていく。追いかけた梶がその首に飛びつく。三点目を取られた直後の勝ち越し点。気持ちいいほどに連携の取れた、呼吸を忘れるような攻撃だった。

 見事なシーソーゲームに苦笑いを浮かべて、ガイナスの強化部長である広野はピッチを眺めた。


(笑顔が増えたな)


 点を取って、そのうえ勝っているのだから当たり前か。白田の無邪気な笑顔は幼ささえ感じさせたが、プレーには安定感が出てきている。初選出されたU-23日本代表にも、ゴールを決めたことでいい状態で臨めるだろう。

 去年に比べれば、格段にチームの状況はいい。

 得点力は上がっている。失点も多いが、まあどちらもバランスよくやれるだけの選手層はないのだから仕方ない。むしろ攻撃サッカーを目指してポゼッション(ボール保持率)だけが上がり、失点続きで負けつづけ、結局点も取れなくなって監督の首を切るパターンがあちこちで見られていただけに、ガイナスもそうなる可能性は十分にあったのだ。


 そうなっていないのは、やはり白田の存在が大きい。


 スピードに乗って突破した左サイドからクロスボールが入る。白田は競り合う敵DFを背中で押し返しながら、ボールを前に転がした。

 いいタイミングで上がってきた大中が、落とされたボールをシュートする。ポストのわずか右。スタジアムがため息に包まれた。


(うわぁ、惜しい! 惜しいけど、いい形だ)


 1トップのフォーメーションでは、基本的にFWは一人だ。白田はフィジカルがあまりないので1トップには不安があったのだが、持ち前のバランス感覚のよさでそこそこカバーできている。DFを背負えていることに驚いた。ポストプレーがそれなりに形になっているのだ。


 それだけではなく、おまけもあった。

 J1クラブから複数のオファーをもらったことでハクがついたというのか、相手選手は白田を必要以上に警戒しているのだ。その状況でも点を取れているのだから大したものだが、白田は囮としてもかなりの成果を上げていた。去年は外国人FWや白田くらいにしか見られなかった得点につながりそうなシュートが、梶や有海などに分散されているのがいい証拠だ。


 つくづく惜しい。

 白田は今が選手として一番伸びる時期だ。先日ようやく二十歳になったばかりだが、J1でも十分に通用するだろうと広野は見ている。今よりももっとレベルの高い環境で経験を積めば――そんな思いは、消そうにも消せずに広野の胸に残っていた。


(あいつは何ていうか、よくわからないしなぁ。ガイナスガイナス言ってるけど、実際オファーされてどう思ってるんだか)


 上のレベルを目指すのは選手として自然なことだ。ましてや白田の場合、周囲にさんざん勧められているのだから。一歩間違えば天狗になってもおかしくないというのに、本人はといえばチームを勝たせられないことによる挫折感でいっぱいいっぱいだった。

 ガイナスでやりたいという言葉に嘘はないだろうが、白田はそれしか言わないから、まったくの本心なのかは分からない。


(まあ、今抜けられたら困るけどね。すっごくね)


 ――いつか、海外の強いクラブからオファーがきて、白田を送り出せるくらいに、ガイナスが強くなったら。

 そんな空想を遊ばせて、広野は再び苦笑する。


(俺も、頑張らないとなぁ)


 急場をしのぐための補強ではなく、上を指すために選手を整えたいとは、ずっと思っていた。

 資金がない以上、選手は育てるしかない。

 レンタルで掛川を取り、高校生だった白田を青田買いした。そのままでもそこそこ通用したのは嬉しい誤算だ。

 主にトライアウト経由で獲得したベテランもすんなりチームになじみ、ガイナスは新しい形を作り始めている。


 いいチームになろうとしている。わくわくするような予感がある。

 その予感を幻にしてしまわないためにも、重要なのはこれから先だ。


 高いホイッスルの音が響き、試合終了を告げる。

 勝利に沸く選手たちを見つめながら、広野は強く拳を握り締めた。

 下の片づけを手伝うために降りていくと、バタバタと忙しそうにしていた広報の青年が、嬉しそうな顔で広野に気づいた。


「広野さん! やりましたね!」

「お、種ちゃん。やったねー」


 手を叩き合わせ、種村は笑顔を苦笑に変えた。


「相変わらずだな、もうちょっと興奮してくださいよ。これで三勝一敗ですよ? すごいじゃないですか」

「うん。よかったよ、僕の首も繋がったかな」

「あはは! そりゃもう」


 明るい笑い声を立てた種村は、ふと声を潜めて言った。


「そういえば、広野さん。代表の強化担当が視察に来てましたよね。次の選考、もしかしたらもしかするんじゃないですか?」

「やー、どうだろうねぇ。多分水戸の柘植が目当てだと思うけど」

「ああ、柘植かあ……まあ、選手としてはJ2でやってるような選手じゃないですけどね。ちょっと冒険じゃないですか?」


 なにしろ素行不良が原因でレンタルに出された選手だ。才能は有り余っているが、代表に呼ぶにはいささか不安がある。

 種村は腕を組み、ついでのようにこぼした。


「うちから呼ばれないかなあ。白田とか」

「あはは。さすがにまだキツイでしょ、フィジカル弱いし」

「いや、でもヴァシーリ監督って若手好きじゃないですか。もしかしたらもしかするかも」

「うーん。監督が鳥取に見に来たら考えようか」

「……ですよね」


 種村が肩を落とす。

 いくら若手を手当たり次第呼んでいるとはいえ、直接見に来てもいないJ2の選手を呼ぶほど人材に困ってはいないだろう。

 それでも、いずれはという期待を抱きながら、二人は苦笑を交わした。


 そのときの白田が、おそらくはこのクラブにいないであろうことを、心のどこかで予想しながら。

 

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