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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 5
30/95

開幕戦と周辺諸々

 

 期待通りの快晴の中、スタジアムは開場の数時間前から開幕を待ちわびる人々が列を作っていた。

 不人気ぶりをさんざん聞かされていただけに、嬉しい光景だ。

 青森の紅いサポーターもそれなりの人数が集まっている。これがJリーグに参入して初めての公式戦であるとはいえ、青森から鳥取までの距離は相当なものだ。交通の便もかなり悪いだけに、彼らの熱意は相当なものだろう。

 会場の外を眺め、眞咲はほっと息を吐いた。


「よかった。割と集まってるわね」

「頑張りましたもんねー。五千人行くかなあ」


 細い目をさらに細めていた広野が、ふと、きょとんとして目を見張った。


「あれ、サメゴローさん? 何やってんだろ」

「え?」


 振り返れば、まごうことなきガイナスのマスコットが、開場を待つ人の輪の中心に立っていた。

 何をしているかと言えば、回転している。

 くるくるくるっと見事な縦回転を敢行した、どうみても機動性に劣る鮫型マスコットは、すたっとポーズを決めて両ヒレを天に突き上げた。

 わき上がる拍手と歓声。

 賞賛を一身に浴びるマスコットを眺め、二人は揃って沈黙した。


「……受けてるわね」

「受けてますねぇ」


 すごいのだろうか。いや、実際あのフォルムで軸がぶれないまま回転するのは、十分すごいのだろうが。

 どこぞの青赤狸のようにキレのあるダンスをかましたわけでもないだろうに、ぐるぐる回っただけでここまで賞賛されていいものだろうかというと、どうにも疑問がわいてくる。いや、確かにキレのいい回転だったのだが。「だが」とつっこみたくなる光景だ。


「みんなアドレナリン出てますねー。まあ盛り上がってるからいいんじゃないでしょうか」

「……そうね、いいんだけど」


 そうこうしているうちに開場時間が訪れた。

 眞咲はスタッフとともにゲートでサポーターを出迎えて、一人一人と握手を交わした。スタジアムの中も外も、イベントや屋台でにぎわっている。お祭りなのだと表現した広野の言葉は、的確だったのだと実感する。

 一通り入場が済むと、急いで来賓受付にとって返した。招待したスポンサーや中国電工の重役を猫かぶりの笑顔で歓迎する。

 その中に、ガイナスの総取締役の姿があった。世間的には実質的なガイナスの社長と見なされている老紳士は、さわやかな笑顔で帽子を取った。


「鈴木さん。おはようございます」

「盛況ですね。遅れて申し訳ない」

「とんでもない。ご多忙のところをありがとうございます。本日はよろしくお願いします」


 握手を交わした鈴木は、ふと嬉しげに目を細めて見せた。


「ちょっと驚いたことに、道が混雑していたんです。みんなどこに行くのかと思ったら、なんと同じ目的地でね」

「それは……」

「入場者数、期待できそうですね」


 渋滞を引き起こしたとなると何らかの対策が必要になるだろうが、予想外の事態だ。嬉しさもある。

 笑顔で応じ、眞咲は虎の威を同伴してミーティングに引き返した。マッチコミッショナーと両チーム監督、実行委員、レフリーらとゲーム進行の打ち合わせを行い、注意事項を確認して、再び来賓受付へ。対戦相手である青森アプフェルの社長が挨拶に訪れたのだが、ここから先が予想外だった。

 笑顔で喧嘩を売られたのだ。

 もちろん冗談混じりではあるが会話の端々で火花を散らし始めた二人は、そのまま勢い余ってにこやかな舌戦を繰り広げた。祖父と孫ほど年の差があったのだが、妙なところで波長が合ったらしい。うっかり試合の開始間近にまでなだれこんで、あわてた広報が呼びにくる事態になった。


「もー、びっくりしましたよ社長。二人で漫才やってるんですもん」

「すみません。その場のノリで、つい」

「時間あるときにやってください。しっかし、向こうの社長も変……もとい、面白い人ですねぇ」


 失言は聞き流すことにした。さすがに走るわけにも行かず、競歩並の速度でスタジアムの通路を歩いていく。

 試合が始まった。

 笛は聞こえなかったが、応援の歌が鳴り響いたことでそれを知る。眞咲がようやく運営本部にたどりつき、扉に手をかけたとき、歓声が爆発した。


(え)


 眞咲はあわてて中に入る。前面の大きな窓の向こう、目に入った電光掲示板に、1-0のスコアが誇らしく点滅していた。


「もう点が入ったの?」

「白田ですよ! 電光石化!」


 興奮気味の声をかろうじて潜め、スタッフが満面の笑顔で答えた。

 完全に見逃した。運営本部から一望できるスタジアムは、久しぶりだという大入りだ。その観客席が沸きに沸いているのを見て、嬉しいような口惜しいような、複雑な気分になる。


「記録何秒? 二十秒行ってないよな」

「リーグ最短何秒だっけ」

「確か、八秒ですね。ちょっと厳しいかな」


 楽しげに情報を提供したのはマッチコミッショナーだ。

 試合時間も最初のグループだったから、おそらく今季のリーグ1号ゴールになるのは確実だろう。

 打算の前に、嬉しい、という感情が膨らんだ。

 ゲームは既に再開している。期待と祈りをないまぜにして、ピッチ上の選手たちを見つめた。


 気持ちが浮き足立つ。どうにか落ち着こうとして打算を引っ張り出した。

 今日はスポンサーや中国電工の重役を多く招いている。相手が新加入の青森とはいえ、快勝してくれれば心象がぐっとよくなるだろう。

 いけるかもしれない。

 両手を握り合わせたとき、スタッフが運営本部に入ってきた。


「すみません、社長。駐車場でちょっと――」

「え?」


 人数が少ない組織なので、トラブルは直接上げるように指示していた。

 聞けば、なんでも無料で提供してもらった駐車場で、貸与されていないスペースに停めている車両があるとの苦情が持ち主から来ているのだという。

 試合中に移動願いのアナウンスはできない。土地の一部を貸してもらった形なので、謝罪だけでもすぐに行うべきだろう。場合によっては代替が必要だ。スタジアムの関係者スペースに余りはあっただろうか。誘導にスタッフを一人つけなければならないかもしれない。

 相手に説明できる防止策を考えながら、眞咲は席を立った。

 試合はものすごく気になるが、後のことを考えると人任せにはできない。

 後ろ髪を引かれる思いで試合に目を戻したとき、自陣のゴール前で、相手選手にバックパスが引っかかった。


「あ」


 危ない、と口にする暇もなかった。

 ボールを奪った敵は冷静にキーパーの位置を確認し、上がってきた仲間にパスを送る。

 フリーでやすやすと放たれたシュートは、当然のようにゴールに吸いこまれた。


 何とも言いがたい感情に、運営本部が静まりかえる。

 スタジアムも同様だ。

 アウェイサポーターの一角だけが、Jリーグに殴りこんで初めてのゴールに、雄叫びを上げていた。

 眞咲はこめかみを押さえた。


「……とりあえず、駐車場ね」


 足取り重く、眞咲は苦情主のもとへ足を運んだ。ひたすら頭を下げて代替案と次回以降の防止策を説明し、最後にもう一度謝罪する。早々とトップが動いたことで相手も気を収めたようで、最後にはねぎらいの言葉をかけてくれた。

 スタジアムに引き返す道すがら、携帯電話が着信を告げた。

 トラブルは連鎖的に起きるものだ。まさかまた何かあったのかと急いで出ると、興奮した声が言った。


『社長! 勝ち越しました!』


 反射的に上げそうになったのは不平の声で、眞咲はかろうじてそれを飲み込んだ。


「そ……そう、よかった」


 ――本音を言うなら、見たかった。ものすごく見たかった。

 これはいい展開だ。勝ち越したのだから悪いはずがない、最高だ。

 それでもなんだかとっても悔しい気分になって、眞咲は無言でうなだれた。








 スタジアムのバックスタンドで、理沙は祈るように両手を組み合わせて、固唾をのんでいた。

 試合は同点のまま後半に入っていた。ゴール前、青森は徹底的に守備を固めてカウンターに徹している。まるで去年のガイナスを見ているかのようだ。


 得点の直後に失点した。ボールは回るのにシュートが打てない。

 いやな流れだ。

 ひやひやしながら祈っていたから、掛川のミドルシュートがみごとにゴールネットを揺らしたときには、思わず叫んだ。


「やった、やったあっ!」

「おー」


 隣の志奈子が理沙に揺さぶられながら笑う。これで再び一点差だ。


「よかったじゃん。勝てそう?」

「ま、まだわかんない。去年はだいたい最後に点取られて……」

「あーほら、思いだして落ちこまない。今年は違うんでしょ?」

「う、うん!」


 理沙はあわててうなずいた。

 違うと思いたい。そうだ、違うはずだ。

 どうか証明して欲しい。

 唇を結び、理沙はピッチの選手たちを見つめる。試合は残り二十分、微妙な時間帯だ。


(がんばれ、がんばって!)


 リードしたとたん、ボールの支配率が相手に移っていった。リードを守りきろうと言う意識が働いたのか、ガイナスはなかなかボールを取りに行かず、全体的に引いてしまっている。

 次々とロングボールを放り込まれるようになって、胃がきゅっと痛んだ。

 向こうには背の高い選手が結構いる。空中戦で競り負けては思わず声を上げ、相手の精度の低さに救われてよろよろと息を吐く。そんなくりかえしに、じれったさが増していく。


 そのとき、交代のアナウンスが流れた。

 投入されるのはDFのフージだ。守りを固めるつもりだろう。

 志奈子が驚いて声を上げた。


「え、フージ先輩? マジで出るの!?」

「えええええ……」

「うわ不満そう。なに、だめなの?」

「だ、だめとかじゃないよ! でもあのその、や、やっぱこう心配というか……喜多さんとかもいるしパワープレー対策ならそっちの方がいいかなぁとか……」

「よくわかんない。パワープレーって何」

「あ、えと、前の方のおっきい選手にとにかく放り込むの。青森がそれやってきてるから、こっちもはねかえさないと」

「ふーん。でも、フージ先輩も結構大きくない? 大丈夫でしょ」

「う、うん。そうだよね」


 理沙はあわててうなずいた。

 悲観的になっても仕方ない。守ろうとして守れたことなんてほとんどなかったことをどうしても思い出してはしまうけれど、嫌な感じは拭えないけれど、今理沙にできるのは信じて応援することだけだ。


 


 


 そんな様々な思いが降り注ぐピッチの中。

 交代で入ってきたフージは、満面の笑顔で言った。


「もう一点とってこいッテー」


 耳を疑った友藤が、驚いてベンチに目を向ける。

 ずっと腰掛けたままだった監督が、にこやかにピッチ前のテクニカルゾーンへ出てきた。


 ――攻めなさい。


 音は聞こえない。けれど確かにそう言ったことを読みとって、友藤は荒い息をつきながら、苦笑で天を仰ぐ。

 確かに引きかけていた。DFを投入してそんな指示があるとは、さすがに思わなかったが。

 顔を戻し、発破をかけるために声を出す。


「よし、ライン上げるぞ!」


 


 


 メイン上部の運営本部からピッチを見下ろしていた眞咲は、ふと首を傾げた。


(あれ、何か雰囲気が……)


 交代でチームが活性化したのか、ガイナスは再びボールを持てるようになっている。小気味よいテンポでパスが回る。しかし、青森もぎりぎりで踏みとどまって、決定的な場面を作らせない。

 残り時間は後わずか。このままこちらに流れをつかんだままで行きたいところだ。

 と、自陣ゴール前にはりついていたフージが、ドリブルでするするっとボールを持ち上がった。


(え?)


 フージはDFだ。最終ラインの、つまり防御を中心としたポジションの選手。それがさも当たり前のように上がっていって、眞咲は目を瞬いた。

 相手選手の対応が遅れる。ラインが乱れる。青森の選手がチェックにいった瞬間、フージはそれをうまくかわしてパスを出した。サイドに張っていた選手が受けて、すぐにフージに戻す。ワン・ツー。フージはまだ、相手のゴールに向け上がっていく。

 そこから先は、まるで複数の選手が一つの生き物になったかのような、美しい連動だった。

 フージから低いボールが掛川へ。掛川はダイレクトにふわりとボールを浮かせる。落下点にはDFを振り切った白田が。

 完璧に崩して、白田が強烈なシュートを放つ。

 入った、と誰もが思ったボールは、だがキーパーの驚異的な反応に阻まれた。

 スタジアムを包む落胆のため息。それが出るやいなやのうちに、キーパーが弾いたボールをフージが押し込んだ。


 ゴールネットが揺れる。重力に引かれて落ちたボールは、ゴールの中をころころと転がった。


 ――心臓が、止まるかと思った。

 一呼吸おいて、スタジアムが歓喜に包まれる。その声をどこか遠く聞きながら、眞咲は喜ぶスタッフに腕を揺さぶられていた。

 

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