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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 5
29/95

開幕前夜

 

 3月7日。開幕を前日に控えたとりぎんバードスタジアムは、目を細めるほどの晴天に恵まれていた。

 どうせなら明日晴れて欲しいなどと笑いながらも、準備に精を出す人々の表情は明るい。天気予報は、明日も気持ちのよい天気を保障してくれていた。


 スタジアムでは数カ月ぶりの公式戦を明日に控え、様々な人が走り回っていた。清掃にポスターの掲示、配布物の用意に、記者室や運営本部の準備。仕事はいくらでもある。


(うわあ……たくさん集まったなぁ)


 理沙は内心で感嘆の息を吐いた。

 理沙が刈り出されたのはバイトの面接だけで、ボランティアスタッフの選定には関わっていなかったので、こんなに人が集まってくれているとは思わなかった。

 老若男女さまざま。もっとも下限は高校生までだが、和気藹々としながら活気のある雰囲気にワクワクする。

 もっとも社長の眞咲目当ての男性陣が、そこそこの割合を占めていたのだが。眞咲が猫かぶりの笑顔で上手く盛り上げてくれたおかげで、彼らのやる気もマックスだ。


 今は運営本部の確認に詰めている眞咲は、つい先ほどまで次から次へと求められる写真撮影に空恐ろしくなるほどにこやかに応じていた。今夜にはあちこちのブログに掲載されることだろう。客寄せパンダをやるつもりだと笑っていたけれど、無防備さに心配になる。――なんというのか鉄壁な感じがするから、妙な写真は撮られないだろうけれど。

 さすがにアウェーの女神と名高い人気キャスターが来たときほどではなかったが、芸能人ではないクラスメイトで上司な彼女のプライバシーが、ちょっと気になった。


 ちなみに理沙が放流されている目的は、「なにか気付いたことがあったら教えてくれる?」というなんとも曖昧な指令を社長から賜ったためだ。ほとんど火災報知器扱いである。大きすぎる期待に応えられるのかと思うと、不安を通り越して胃が痛い。


 それでも、それを越えるだけの魅力が、前日のスタジアムにはあった。


「って……こら、陸! なにボール出してんの!」

「えー、だってさー、せっかくとりスタきたんだぜー! ここの芝生スゲーんだって!」

「もう、おとなしくしてるって約束だったでしょ! 待ちなさい!」


 無理を言ってついてきた弟をあわてて追いかける。

 見事なターンでAゲートをくぐった陸は、前方不注意で人にぶつかった。


「ってぇー……!」

「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」


 後ろから抱き留めるようにして陸を捕まえると、ものすごく嫌そうな顔で見上げてきた。

 エコステーションの取り付け台を抱え、牧は苦笑気味に二人を見下ろした。


「大丈夫だけど、走ったりしたら危ないよ。サッカーやってるなら、怪我には気をつけないとね」

「……」

「ほら、陸」

「……はーあーいー、スンマセンしたー」

「陸!」


 怒ってほっぺたを両側からひっぱると、陸が悲鳴を上げて抗議をはじめた。

 その中にババアなどという単語があったものだから、ますます指に力が入ってしまう。牧が笑いながらそれを止めた。


「まあまあ……それより、もしかして、米子二中出身?」

「は、はい!」

「ああ、やっぱり。白田がボール当てちゃった子でしょ。ボラスタやってたんだ?」


 ――うわ覚えられてた!

 内心で叫び、理沙はおたおたと視線をさまよわせた。陸が驚いて声を上げる。


「何だよそれ! 聞いてねぇ!」

「う、うるさいなあっ。陸だってこのあいだ、白田さんとゲームしたって黙ってたじゃん……」

「そーだよ、だから俺のがスゲーんだかんな!」

「……む、むかつく……!」


 意味もなく陸が胸をそらす。

 きりきりと怒りに耐える理沙に構わず、彼は拳を天に突き上げた。


「ともかくだ、明日はぜってー勝たないとな! 相手青森だぜ!」

「陸! またそんなこと言って……!」

「うん、青森は新顔だからね。Jリーグの厳しさを教えてやらないと」

「ま、牧さんまで!?」

「『こっちだって雪国』ってゲーフラ作ってやんぜ! 人口最少県なめんな!」

「それ煽りになってる? 『林檎より梨が百倍うまい』とか」

「それもいいけどさあ、もうちょっと喧嘩売りてーし」


 いつのまにか意気投合して煽り文句を考え始めた二人に、理沙は止めるべきか止めざるべきか、真剣に悩んで立ちすくんだ。








 お金がないということは、人手が足りないという事態に直結する。開幕前のような特別な状況ならば、なおさらだ。


 眞咲自身もあちこちに奔走した。スタジアムの関係者やボランティアスタッフに一通り挨拶をするだけでも時間がかかったが、終えるとまだ運営本部での打ち合わせには時間があった。広報の種村に声をかけ、ちょうど手付かずだった記者席の照合とビブスの確認を手伝う。

 スタジアムで取材や撮影を行う報道関係者は、ビブスの色によって立ち入り可能な区分を示される。

 白は中継のテレビクルー、中継以外の映像カメラマンは赤、スチールカメラマンは黄。ペン記者はビブスではないが、緑色のプレスカードを配布する。当日になって足りないなどということになったら大事だ。


 作業を終える頃には予定時間が迫っていた。

 早足で打ち合わせに向かう途中、眞咲はボランティアに混じる黒い大きな姿を見かけた。


(え!?)


 思わず、唖然として振り返る。

 目を疑ったのも無理はないだろう。ガイナスマスコットであるサメゴローさん(敬称まで名前)が、ヒレを手代わりにポスター張りを手伝っていたのだから。

 どう見ても作業には向いていないのに、妙に手際がいい。


(よく働くマスコットね……)


 眞咲は呆れ混じりに感嘆の息を吐いた。

 動員を少しでも上げようとスタジアム周辺の学校や幼稚園などを彼と一緒に訪問したのだが、目を瞠るほどの人気ぶりだった。ある意味、ガイナスで一番の人気者なのではないだろうか。


 そして時間は瞬く間に過ぎていく。

 運営本部となる部屋を出たときには、既にチームの前日練習は終わっていた。自主練習をしている選手が、何人か残っているくらいだ。

 細く息を吐いた眞咲は、ふと、視線をとらわれて足を止めた。


 空が、広い。


 遮るもののない空は美しかった。透き通るような青が天上を塗りつぶし、ちぎったような雲が強い風に押し流されて、緑色のピッチへ影を落としていく。


 一瞬呑まれて、それから思い出したように感慨を抱く。

 明日にはこの場所で、最後にしないための一年が始まるのだ。


「社長」


 呼びかけられて振り返ると、トレーニングウェア姿の白田が立っていた。

 さっきまで下にいたということは、壁を乗り越えて観客席を直線移動したのだろう。

 眞咲はとがめるように眉根を寄せた。


「明日が開幕なんだけど。怪我をしないように気をつけて欲しいわ」

「当然」

「だったら通路を使ってくれる?」

「悪い悪い」


 おざなりに謝って、白田は緑のフィールドを見下ろした。

 小さな専用スタジアムは、それだけで場内が一望できる。


「空、見てただろ? 一回ピッチから見てみろよ。あそこから見るのが一番広いんだぜ。スゲー広くて、吸い込まれそうな感じがする」

「そうね……」


 見てみたいと思った。けれど、あの緑の芝生の上から、同じように碧霹を見上げても、見えるものは彼と同じではないようにも思う。

 それはどこか、羨望に似ていて。

 苦笑して頭を振り、眞咲は白田を見上げた。


「明日、期待してるわ。頑張って」


 先ほどと同じ返事が返ってくるものだと思っていた。

 だが白田はきょとんと目を瞬き、所在なげに首裏を掻いて、眞咲を見下ろした。


「何?」

「いや……あんたは、勝てって言わないんだな」


 ――いやな指摘をされた。

 眞咲はほんの僅かに眉根を寄せた。正直なところ、よりによって彼に気づかれるとは思っていなかったのだ。


「そう?」

「ああ。大丈夫だとか心配するなとか、そういうのは言うのに、そっちは言わないだろ。前の社長なんかしょっちゅう勝て勝て言ってたぜ」


 そっと息を吐いて、眞咲は頭上に広がる空に目を戻す。

 適当にごまかすことはいくらでもできただろう。それでも、今は嘘をつきたくない気がした。


「……わたしが言っていい言葉なのか、まだ悩んでるだけよ」


 現状に対する認識がすんで、危機感を植え付けられているのなら、そのあとに必要なのは前向きな楽観だ。だから否定的な言葉は口にしない。その楽観を実現できると、眞咲自身が信じているからだ。


 だけどチームに対しては、そうはいかない。

 もしも潤沢な資金を用意することができて、十分な投資をしているならば話は別だ。けれど、現状はそうではない。必要なものさえ十分には揃えられていない中で、フロントのトップである自分が口にしていい言葉なのか――考えている。まだ。


 眞咲の言葉を聞いて、白田はおかしそうに苦笑した。


「考えすぎ。あんたホント堅いよな」

「そうかしら」

「小難しく考えなくていいだろ。『勝て』じゃなくて、『勝って』って言えばいい」


 命令ではなく、お願い。

 眞咲は考えこむように首をかしげた。


「……そういうもの?」

「さあ。とりあえず、俺はやる気になる気がする」

「じゃあ、お願い。勝ってね」

「おう。任せろ」


 安請け合いに笑ったとき、友藤を筆頭に選手が近づいてきた。

 どうやら自主練を切り上げたらしい。上がったまま戻ってこない白田を迎えにきたのだろう。


「エースの回収ですか? ご苦労様です」

「いや、ビラが残ってるって聞いたから、駅前あたりで配ってこようかと思って……どうかな」

「え?」


 思わず目を瞬いた。

 開幕戦の集客には全力を尽くした。思いつくことは片っぱしからやった。そのうちの一つが、職員とサポーターで配ったビラだ。確かに、今日サポーターから返却された余りがある。


「でも、明日試合ですよ。休まなくて大丈夫ですか?」

「ダイジョーブだヨー」

「もちろん無理のない範囲でな。そんなに数もないし、すぐに捌けるよ」

「そうそう。人こなきゃ、やっぱ寂しいしさ」

「俺らもできることはやりたいから」


 ――不意打ちだった。

 お腹の底をくすぐるような嬉しさに、とまどって彼らを見返す。

 今まではどこか、よそ者扱いの空気を感じていた。上から降ってきたトップなのだ。段階を踏んで垣根を取り払わなければと思っていたけれど、こんな風に彼らのほうから受け入れてもらえるとは思わなかった。


 フロントはフロントで、選手は選手で、それぞれの戦いをしなければならない。

 けれどそれは、決して切り離されたものではないのだ。


 黙り込んだ眞咲に、友藤があわてて手を降った。


「ああ、いや、できたらでいいんだ。すまない。いきなりは難しいよな」

「いえ……嬉しい、です」


 気負わずに笑うことができた。舐められないように、けれど反発を生まないように、そんな気を張った笑顔ではなくて。

 笑いたいから笑うのは久しぶりのような気がして、選手たちの呆気に取られたような顔も気にならなかった。


 一度目を伏せて考えを巡らせ、今度は強気に笑みを浮かべる。


「公道だと警察の許可がいりますから、今日の今日では難しいですね。百貨店の催事場を使いましょう。スポンサーの店舗が近くにありますから、すぐに交渉します。お願いできますか?」


 もちろんと当然と任せろの混ざった返事が帰ってきて、眞咲は携帯電話を取り出した。


 フロントだけではない。選手だけでもない。

 共に戦うのだ、この一年を。

 

 

スタジアム名は全部考えるの大変なのでそのまま使ってます。

これ書き始めたときは鳥取まだJFLだったんですよねー……翌年(というか今年)J2昇格しましたが。なんだか時の流れを感じます。

 

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