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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 5
28/95

サッカー教室とエースの宿題

 

 今年三回目の出張サッカー教室。

 デリバリーガイナスなどという横文字の名前をつけられたそのイベントは、要するに小学校への選手訪問だ。子供たちは、間近に見るプロ選手のテクニックとスピードにおおはしゃぎをしていた。


 テクニックだけなら掛川が群を抜いている。最初は嫌だ面倒だと愚痴ばかりだった彼は、だが小学生の素直な歓声に気を良くしたらしい。

 テレビで見たアレやって、というリクエストにまで応えてなかなかの難易度の技を成功させ、やんやの喝采を受けた。女の子受けする端正な容姿のおかげで、女児にはすっかり王子様扱いだ。


「というわけで! もうすぐ試合あるんで、ぜひ応援に来てください!」

「小学生は無料なんでー、お父さんお母さんと一緒に見に来てねー」


 張り切る白田といまいちやる気のない掛川の声をよそに、子供たちはチケットを配るガイナスマスコットのサメゴローさん(敬称まで名前)を囲んで大騒ぎを繰り広げていた。

 マスコットにしてはツリ目の強面なのだが、押され叩かれ蹴られとずいぶんな扱いを受けている。


 キッズパスの無料化は、とりあえず子供を釣ろうというキャンペーンだ。

 ガイナスに求められたものは三つ。入場者数の倍増、営業収入の倍増、クラブ会員の倍増。不況もあり、鳥取の娯楽は少ない。きっかけを作ることで家族のレジャーに割り込もうというのが狙いである。


 Jリーグの規定上、加盟クラブが独自にチケットを無料にすることはできない。そのため、地元企業の協力を受けて、企業がチケットを買い上げた上での配布という回りくどい形を取ることになったのだが――スポンサーとしての出資よりも印象が良かったようで、大手企業の支店などからも協賛を得ることができた。

 実質上はスポンサーを得たことと変わりない。ガイナスの試合を行うスタジアムは鳥取市の郊外にあるため、引率の大人は必ず必要になるのだ。すぐに増収には繋がらなくとも、とにかく存続の第一条件である入場者数を増やさなければならない。


 そして今。サッカー教室では、メインとなるミニゲームが開始されようとしていた。


 ゲーム形式とはいえ小学生にプロ選手が混ざるわけで、もちろん手加減は必要だ。本気でチャージなどかけようものなら怪我をさせる。

 そもそも選手との交流の一環なので、わいわい楽しくボールを蹴ることが目的なのだが――そんな気はさらさらない少年が、一人いた。


「いーか、作戦どおりだからな!」

「りょーかいりょーかい」

「お前今日かばん持ちなー」

「あと給食のプリンよこせ」

「んで俺の牛乳飲め」

「それからー」

「あークソ何でもやってやんよ! そのかわりマジでやれよな!」

「ふむ。だったらそれはこうした方が」

「えー、でもさぁ……って三輪選手!? びびった!」


 そんな作戦会議を繰り広げている赤ビブスのチームに、青ビブスをかぶった白田が、頬を掻きながらフロントスタッフに話し掛けた。


「なんかあっち、スゲー作戦立ててるんスけど」

「三輪さんほったらかされてるけどな。あ、混ざってった」

「あいかわらず子供好きっすね」

「そうだ、そういえばジュニアの子がいるよ。ほら、黒いパーカーの子。米子ジュニア」

「へー」


 指し示された少年は、どうやら赤チームの中心になっているらしい。負けん気の強そうな顔になんだか微笑ましい気分になっていると、しゃがみこんで作戦会議に参加していた三輪が、ふとこちらを指差してきた。

 何か言ったらしく、小学生が真顔でうなずいている。


「え。なにあの悪い顔」

「……うん、削られないよう頑張れ」


 あながち冗談でもなく、フロントスタッフが白田の肩を叩いた。





「よーし、行け陸ー!」

「がんばれー! よわっちいガイナスなんてやっつけろー!」

「いやあいつもガイナスじゃん」


 始まってみると、三輪は白田をマークしてこなかった。

 かわりに周りを囲んできたのは、小学生の面々だ。

 三人がみっちりくっついて進路をふさぎ、黒いパーカーの少年がパスコースをふさぐ。よく打ち合わせをしているようで、どうにも身動きが取りにくい。うっかり蹴飛ばしたりしたら大変だ。


 もたもたしている間に、グラウンドの砂利にボールを引っ掛けた。


「あ」

「うりゃあっ!」


 中心になっていたジュニアの少年が、予想以上にうまく体を入れて、ボールを確保した。

 あわてて取り返そうとするが、体格のいい別の少年がすばやく立ちふさがる。


「げっ」

「三輪さん!」


 少年が前を向き、駆け出していた三輪に長いパスを送る。

 白と黒のサッカーボールが、きれいに跳ねて三輪の足元に届いた。


「よーし、いいボールだ!」


 パスを受けた三輪がドリブルでボールを持ちあがり、ゴール前のぎりぎりまで引きつけて、小学生に緩やかなパスを渡す。

 スタッフが守るゴールマウスに、あっけなくシュートが放り込まれた。


 わあっと歓声が上がり、赤チームの少年たちが次々と三輪に飛びついてもみくちゃにする。はーっはっはっはと高笑いで白田を指差すベテラン選手の姿は、なんだかもう大人げのかけらもない。


「くっそ……やられた」

「やられたじゃねーよ、なにやられてんだよ!」

「だめじゃん白田選手!」

「まわり見ろ!」


 言いたい放題に青チームの小学生からけなされて、白田は苦笑いに謝った。

 これはまずい。このままでは株が大暴落だ。

 掛川あたりなら小学生にも蹴って決めるだけの絶妙なパスを送ることができるのだろうが、本人はゲームに参加せず女の子に囲まれて観戦中だ。似たような芸当は、白田にはできない。


(……自分でなんとかするしかねーか)


 ジュニアというからには、きちんとした指導を受けているのだろう。

 作戦も、おそらくはこの少年が中心になって考えたものだ。たしかに嫌なところを突いてきている。


(でもまあ)


 キュッと掛けられたブレーキに、子供が二人置き去りにされた。

 身体の動きにつられて目を離させたボールを、ひょいと浮かせて頭上を越える。再びターンして、残る一人を抜いた。


「あ!」


 幼い声のどよめきが上がる。

 白田は一瞬で密集を抜け、高くバウンドしたボールをそのままゴール隅に叩き込んだ。

 しん、と静まり返ったのはわずかな間。

 すぐに、グラウンドが歓声に包まれた。


「すっ……げー!!」

「ナニアレナニアレ! ちょーヤバイ!」

「ありえねー! 試合でやれよ!」

「そーだそーだ、おとなげねーぞ!」

「手かげんしろよ! 子供に夢みせろよ!」

「え、ちょ、うわ! 重い重い重い! つーか痛い!」


 子供に次々と圧し掛かられ蹴られどつかれといったじゃれあいに、笑い声があちこちから響く。

 ボールを貰ってきた三輪がそこにやってきて、呆れ声を落とした。


「何自分で決めてんの、お前。駄目じゃん」

「三輪さんまで駄目出しっすか!?」

「小学生抜いていい気になられてもなあ。接待って言葉知ってるかい、白田君」

「うぐ」

「よし、お前これからシュート禁止」

「ええ!?」

「ちょっとはここ使え。いい練習になるぞ」


 頭を指差して言われ、白田が仏頂面になる。

 三輪はひらひらと後ろ手を振った。








 翌日。

 航空会社への営業が不調に終わり、ため息混じりにクラブハウスに帰ってきた眞咲は、事務室の隅でどんよりしている白田に眉根を寄せた。


「あー、お帰りなさい社長。外は寒そうですねー」

「……広野さん、どうしたんですか、あれ」


 なんだか前にもこんなやりとりをしたような気がする。

 広野はそのときと同じように、笑顔でパタパタと手を振った。


「アハハ、ちょっと悩んでるみたいなんですよねー。昨日のサッカー教室で何かあったんじゃないですか?」

「悩み?」


 特に問題があったとは聞いていない。

 むしろ子ども扱いのうまい三輪を中心に、なかなかの盛り上がりをみせたという。すっかり懐かれた掛川が、「かえっちゃやだー」なんて女の子に泣かれて盛大にうろたえるようなシーンがあったくらいで、白田が悩む原因は思い当たらない。


 コートを脱ぎながら目をやれば、白田は事務室の端っこにパイプ椅子を運んで、その上で胡座を掻いている。

 猫背になっているのでいじけているのかと思ったのだが、目の前にある二段棚の上には、ノートパソコンが鎮座していた。


「……部屋で落ち込めばいいのに」

「あー、それが掛川に追い出されたみたいですよ」


 なるほどとうなずいて、眞咲はもうひとつため息を吐いた。

 だからといってここで落ち込まれるのも、十分鬱陶しいのだが。


 声を掛けるべきかと悩んでいると、監督の椛島がひょっこり顔を見せた。


「シロがどんよりしているって聞いたのだけれど。ここにいるかしら?」

「ええ、あそこです」


 いいタイミングで現れてくれたことにほっとして、部屋の隅を指し示す。

 あらあらと口ずさむようにこぼして、椛島がそちらに足を向けた。


 監督がいるなら、そちらに任せたほうがいいだろう。もしフロントで解決すべき問題なら、後から伝えてくれるはずだ。

 そう判断して社長室にこもり、眞咲は仕事を片付けにかかる。


 ――しばらくして、椛島の珍しいくらいの笑い声が聞こえた。


「……」


 ぴたりと、眞咲の手が止まった。

 気になる。

 気になるけれど、今さらわざわざ聞きに行くのはためらわれる。そもそも聞く必要があるなら後で伝達がくるだろうし、今しなければならないのは目の前の仕事を片付けることだ。


「…………」


 はあ、と何度目かのため息を吐いて、眞咲はこめかみをぐりぐりと押さえた。


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