キックオフカンファレンス
キックオフカンファレンスは例年、東京タワー近くのホテルで行われる。最大のプレス向けイベントとあって、数百名に上るメディア関係者が取材に訪れていた。
華やかさでは年末に行われる表彰式の方が上だが、未知数の部分がもつ、開けてみないとわからない期待感がこの場の空気には充満している。
負けず嫌いでないプロなどいない。水面下の闘争心は独特の緊張感となって、糸を張ったような雰囲気を作り出す。
式典前のロビーでプレスに囲まれながら、眞咲はにこやかに取材に応じていた。
クラブブースの飾り付けを手伝ったので、スカートではなく淡いグリーンのパンツスーツだ。メイクは服に合わせた寒色で、営業のときよりも隙のない印象に仕上げている。
化粧と衣装は女性の鎧だと力説したのは大学の講師だったが、その主張は日本でも変わりない。ただ少し、やりにくさはある。
マスコミ対応には慣れているが、アメリカと日本では大分勝手が違う。試すような専門的な話を向けてくる記者よりも、下世話な話題を振ってくる人間の割合が多かったが、それも予想のうちだ。
「椛島監督は、これが初のプロチームの指揮となりますが」
「誰にでも最初というものはありますし、大学チーム出身の監督は少なくありません。確かに椛島監督はまだJチームを率いたことはありませんが、指導暦はゆうに三十年を超えていますし……高校生とはいえ、魅力的なチームを作り上げ、コンスタントに結果を出してきたことは確かです。その手腕を評価しています」
「とはいえ、最高でもベスト4でしょう」
「体育科があるわけでもない、地方の公立高校です。ガイナスの現状に相似していませんか? 現にシーズン前のトレーニングマッチでは、格上を相手に素晴らしい健闘を見せてくれました」
ハッタリ七割に、眞咲は鉄壁の笑顔で答えた。
資金を集める上でも観客を集める上でも、ハッタリというものは必要だ。――もちろん、あまりに現実と落差が出てしまうとどうしようもないのだが。
「ところで、現在お付き合いなさっている方は?」
「恋人という意味でしたら、いません。今はとても余裕がなくて」
「へえ、そうなんですか。ちなみに、どのようなタイプが好みですか?」
「……そうですね、頼りがいのある方でしょうか」
「白田選手なんて年が近いと思うんですけど、どう思われます?」
「いえ、選手ですから」
――どうにも、誘導を感じる。
眞咲は物柔らかに微笑んで答えた。表情は揺るがないが、口調はきっぱりとした否定を含んでいる。
あからさまな意図に、後ろで控えていた広野が顔をしかめた。
「いや、でも親しみやすさとかね、そういうのはあるんじゃ……」
「あらあら。昔から変わらないものですねぇ」
穏やかだが、妙に力のある声だった。
割って入った人物は、先ほどまで話に上っていた椛島監督だ。
キャプテンの友藤を従え、彼女は観音菩薩の笑みで記者を睥睨した。
眞咲は苦笑で応える。
「お疲れ様です、椛島監督。飛行機が遅れたようでしたから、少しひやひやしていたんですけれど」
ぎりぎりまで練習していた二人は、ろくに食事を取る暇もなく、先に行われた監督会議に間に合わせて東京へ飛んでいた。
相当なハードスケジュールにも泰然とした様子で、椛島はころころと笑う。
「ふふふ、かわりに面白いものを見られましたよ」
「監督」
苦虫を噛み潰した顔で、友藤が諌める。それを笑顔でいなして、椛島は眞咲を促した。
「さ、そろそろ参りましょうか」
ちょうどいいタイミングで、進行係がリハーサルの集合を知らせた。
「やあやあ眞咲社長。今日も美人でなによりやな。広野君も元気そうや」
どこか狸を思わせる風体の男性が声をかけてきたのは、無事にリハーサルも終わり、まもなく本番が始まろうかという頃だった。
どこかおかしな挨拶に、眞咲は軽く吹き出して応じた。
「辻原社長。お褒めに預かり光栄です」
「惜しむらくはパンツスーツなんですよねぇ。スカートでいいと思いません?」
「広野さん、セクハラです」
「え!? 僕だけ!?」
「新屋さんのようなことを言わないで下さい」
「いや、今のはそういう意味じゃなかったんですけど……!」
二人のやり取りを、辻原は豪快に笑い飛ばした。
辻原は、先日トレーニングマッチを行ったキルシェ大阪の代表取締役社長だ。長らくのJ2住まいをしていたキルシェをJ1に押し上げた立役者の一人で、その集金力には商人らしい定評がある。選手の獲得に口を出しすぎるのが玉に瑕、といったところだ。
「またそのうち視察にでも来なはれ。サービスしたるわ」
「ありがとうございます。落ち着きましたら、ぜひ」
話しているうちに、ステージパフォーマンスが始まった。
華々しい音響と映像の演出が、オープニングを告げる。Jリーグのトップであるチェアマンのスピーチのあとは、対戦カードごとの注目選手紹介だ。さまざまな色のユニフォームで彩りを添える中、ガイナスの黒いファーストユニフォームは目立つようで目立たなかった。他とかぶっていないのはいいのだが、どうにも、チームカラーが地味でいけない。
壇上を眺めながら、つい目が行くのはユニフォームの胸スポンサーだ。
実態はともかく名目上は、スポンサーは広告費としてクラブに資金を出している。その広告価値が高いのはなんと言ってもユニフォームで、J1なら胸が2億、背中が1億、袖やパンツが5千万円程度となる。J2でも下位のガイナスではその半分も行かないが、それでも大口のスポンサーであることに変わりはない。
ガイナスは昨季の「中国電工」が背中に変わり、東洋セラミックのロゴ「ToCera」が胸を飾っている。
契約にこぎつけるには本当に、心底から、這いずり回るほど苦労した。外堀をどうにか埋めて役員を説得して、ぎりぎりのタイミングで契約を取ったのだ。もちろん眞咲だけの力ではない。むしろ、親会社の中国電工の役員が動いてくれたことや、昨季から根気よく足を運び、援助を求めつづけていた営業周りの努力が実った成果だろう。
いずれにせよ、おかげで首の皮が一枚繋がった。あれがなければ本格的に危なかっただろう。
(あとはパンツか……似鳥製菓あたりはそこそこ感触が良かったし、練習着の単価を下げるか、それともピッチ看板で……どの程度出してもらえるかしら)
考えているうちに、舞台の上は監督紹介に移っていた。黒やグレーのスーツがずらりと並ぶ中、椛島監督の桃色のスーツはひどく目立った。……着物でなかっただけましだと思うべきなのだろうか。
マイクを持った司会者が、J1の注目クラブの監督にコメントを求める。外国人監督がフランス語でウィットに富んだ受け答えをするのを眺めながら、眞咲はふと、よぎった不安に口を開いた。
「あれはJ1だけよね?」
「あー、そうですね。J2って大体そんな感じですから。メディアの露出もほんっと少ないですしねー」
あははと広野が後ろ頭を掻いたとき、思いもよらないことが起きた。
司会者であるタレントが、椛島にマイクを向けたのだ。
『さて、お次は……J2、ガイナス鳥取、椛島監督! Jリーグ初の女性監督ということですが、今季の目標をお聞きしたいと思います!』
『あら』
唐突に話を振られて、椛島が目を瞬く。
驚いたような表情は、すぐに観音菩薩の笑顔に取って代わられた。
『目標と言われたら、J1昇格とお答えしないといけませんね』
『……昇格ですか!』
驚いたような声とともに、会場にどよめきと失笑が広がる。
唖然と口を開けてしまった眞咲の耳に、同じように呆然とした広野の声が届く。
「……うわー……さすがに大きく出すぎじゃないですかねえ」
Jリーグは二部制を取っており、J1への昇格枠は、J2の上位2チームプラス入れ替え戦勝者のたった三つだ。
J1に比べ、J2は非常に試合数が多い。その長丁場を勝ちきるには、運や小手先だけでは到底足りない。戦力の地力と運、メンタリティ。さまざまな要素が絡んでくるが、いずれにせよ昨季最下位のクラブがけろっと口にできるものではないだろう。
「……どうするの、あれ」
「いやー、どうしましょ」
「……」
途方に暮れた気分で、眞咲は目頭を指で押さえる。化粧が崩れるがそれを気遣う気力がない。
隣で辻原社長が、かろうじて声をこらえて笑い伏していた。
「いや、おもろいわ! さすがやで椛島さん」
「……辻原社長、彼女をご存知でしたか?」
「会うたことはなかったけどな、有名人やで。女で初めてS級ライセンス取らはった食えない美人さんや」
涙のにじんだ目じりを拭い、辻原はふと、不敵に目をぎらつかせた。
「商売にハッタリは必要やで。眞咲社長、あんたは若いにしちゃ慎重やさかい。素人監督がせっかく一席ぶってくれたんや、最大限に利用してやらなあかんわ」
婉曲なアドバイスに、眞咲は唇を結んだ。
確かに、そうかもしれない。言質を取られないようにしていたのは事実だ。何位以内、何勝以上。そういったノルマを口にしてしまえば、それは自分たちを縛り付ける。
無意識のうちに張っていた安全網に、苦い思いを覚える。人間は感情で動く生き物だ。それは知っていても、所詮、知識の中の話でしかないとこんなときに思い知らされる。
「……ありがとうございます」
「構へんよ。女の子に構うのは楽しいしなぁ。男ならほっといたんやけど」
侮られているとは感じなかった。眞咲は表情に困って、もう一度謝礼を口にする。
にこにこと、一見毒のなさそうな顔に戻った他クラブの社長は、面白そうに続けた。
「ま、J1で待っとるわ。気張って上がって来いや」
「ええ。それまで落ちないでくださいね」
「ぬお! 不吉なこと言うな!」