焼肉とチョコレート代替
白田以外の試合に出ていない選手は別メニューを消化していたそうで、合流したときには一試合をこなした選手に負けず劣らず消耗していた。
だがしかし、そこは健康な青少年のこと。
親睦会として開かれた焼肉大会では、名産である宮崎牛を前に、疲労など感じさせない喧々諤々の騒ぎが繰り広げられていた。
「おいこらフージ! それは俺の肉だ!」
「エー。新屋サン、まだイッパイあるヨー」
「俺はしっかり焼きたいんだっての! いいか、お前こっからこっち入ってくんなよ!」
「……エイッ」
「がー!! 言ったハシから何しやがる!!」
そんなコントのようなやり取りがあったかと思えば、後ろのテーブルでは大人しい組がのどかに話をしている。
今季もキャプテンになることが決まった友藤の皿を、若手がふと見て、しみじみとこぼした。
「トモさん、シブイなー……」
センマイ刺しと野菜をつついていた友藤が、苦笑して顔を上げた。
アルコールではなくミネラルウォーターである辺り、ベテランらしい意識がうかがえる。
「そうか? 単に好きなだけなんだが」
「いや、内臓って食った気になんないッスよ」
「あ、それはわかる。焼肉って感じしないよな」
「ふっ……お子ちゃまにはこの良さがわかんねーんだよ。なートモトモさん」
若手が肯きあっているところに、新屋が唐突に首をつっこんだ。
そのしたり顔へ、友藤がいぶかしげに返す。
「……いや、新屋。お前ホルモン苦手だろう」
「あ」
「あーマジだ! カルビとロースしか食ってねーじゃん!」
「えーなんだっけー? お子様味覚ー?」
「…………よしお前ら、肉没収。全員野菜責めだ」
「げっ!!」
「ヒデエ! 横暴!!」
「やかましいわ、俺が正義だ!」
「な……なんつー暴君……!」
「フージに負けたからってこっち来ないで下さいよ!」
もはや何がなにやら。
拡大した騒ぎにため息を吐き、眞咲は対面の監督にたずねた。
「そろそろ誰か止めないんでしょうか。あれ」
「ふふふ、あの程度ならかわいいものですよ。放っておきなさいな。他にお客さんもいないことですしね」
「……そういうものですか」
「そういうものです。ところで、今日はどうでしたか?」
問いかけに、眞咲はちらりと眉をひそめた。
椛島は観音菩薩もかくやというような笑顔を浮かべるばかりだ。
「……謀りましたね」
「あら、なんのことかしら」
一切動じることなく、そらとぼけた答えが返ってくる。
眞咲はため息を吐いた。
――今なら、理解できる。どうしてこの監督が、白田に発破をかけるために、今日のこの試合を選んだのか。
実力差のあるJ1のクラブでなければならなかった。確かにそれもあるだろう。
だけどきっと、彼女は眞咲にこの試合を見せたかったのだ。――白田に分からせようとしたことと同じことを、眞咲に伝えたかったのだろう。
何もかも、自分でやろうとするな、と。
「言っていただければ聞きますよ。わたしは」
「そうですか? それにしては、あいかわらずご飯を食べないって夫がこぼしていましたけれどねぇ」
痛いところを突かれた。
ぐっと言葉に詰まり、眞咲は唇を結ぶ。
「皆、あなたを心配しているんでしょう。心配してもらえるうちが花ですよ」
「……クラスメイトに注意されてからは、心掛けてますけど」
「あら」
目を丸くして、椛島は眞咲を見上げる。
予想しなかった食いつきに、眞咲は思わず引け腰になった。
「なんですか?」
椛島はまじまじと眞咲を見つめ、ふと満面の笑みを浮かべた。
「いいお友達ができましたね」
「……え?」
聞きなれない単語に、しばし呆けた。
――友達。
困惑気味に口元に手を当て、眞咲はその言葉を反芻する。
「いえ、その……友達、か、どうかは……」
「あらあらあら! びっくりですね、照れてるでしょう?」
「……照れてません」
「ふふふ。そういうことにしておきましょうか」
熱を持った頬に手の甲を押し当てて、眞咲は恨みがましい目で椛島を見た。
そこへ、酒の入った選手の声が飛ぶ。
「あっ! 社長が照れてる!」
「え!? うわマジだ、アレは照れてる……!」
「照れてません!」
「おお、ムキになった! すげえ!」
「さ……さすがだぜ、監督……!」
「一体何を言ったんだ!? 褒め殺し!?」
「ヤッテみるヨ! ……ヨッ、社長、日本一!」
「古ッ! いつの時代の褒め言葉だ!」
「お前昭和何年生まれだよ!」
何の気もない先輩のツッコミに、越智がふと首を傾げ、ぼそりと呟いた。
「いや……平成……?」
「……はっ!!」
「うわー! そうか、越智とフージって平成生まれか……!」
「な、なんだこの衝撃は! なんかスゲーショックだ!」
「おい、まさかシロもか!?」
「や、俺はぎりぎり昭和ッスけど」
再び騒がしさを増した場は、しかし話題が逸れていることに気付いていない。
真正面からからかわれるのに不慣れな眞咲は、一人憮然として頬を冷ましていたが、そこへ広野がダンボール箱を抱えて現れた。
「おおー、盛り上がってるなあ。あ、社長、荷物届いてますよー」
「……わざわざありがとうございます。面白くないので持って帰ってもいいですか」
「え!? いやどうするんですかコレ。全部食べるんですか?」
言われてみればそうだ。処分の方法が見つからない。
深すぎて長すぎるため息を吐き出した眞咲に首を捻りつつ、広野はダンボールを床に降ろして、梱包を開けた。
「いやー、しかし考えましたねぇ。かわいらしくはないですけど実用的で」
「……ええまあ。体重を落とした選手がいたから」
「あはは。体脂肪率上げた奴もいましたけどねー」
よいしょと腰を上げ、広野は食事と言う名の戦争を繰り広げる選手とスタッフに声を投げた。
「はーい、みんな注目ー。明日は何の日でしょーう」
「は? ……何日だっけ、今日」
「……あ! 明日って2月14日!」
「まさか……バレンタイン!?」
「いや、そのまさか。社長から差し入れだよー。貰いそびれたくなかったら大人しくしようねー」
広野の言葉とは裏腹に、その場で歓声が沸騰した。
一人意味を掴み損ねたフージが、きょろきょろと周りを見回す。
「エ? エ? ナニ? ナンデみんな喜ぶノ?」
「……フージ、チョコの日」
「アー!!」
単語として覚えていなかったのだろう。
越智の解説で去年のできごとを思い出したのか、フージが喜色満面に立ち上がった。
勢い余って、床に椅子が転がる。
「社長、フトッパラー!!」
「うわ馬鹿っ! 下手すっと怒られるぞそれ!」
「いや社長、多分こいつも悪気は……って、こら、フージ!」
あわてて止めようとした友藤の手をするりと抜けて、フージは目を瞠るような速さで眞咲の(おそらく正確にはチョコレートの)前までたどり着いて、にこにこ顔で「ちょうだい」と言わんばかりに両手をさしだした。
しっぽがあったら、はちきれんばかりに振っているところだろう。
そんな連想をした眞咲はにっこりと笑顔を浮かべ、ダンボールの中から袋を一つ取り出して、褐色の両手の上に載せてやった。
「はい、どうぞ」
「アリガトー!」
小躍りついでに一回転したフージを皮切りに、選手が次々と押しかけてくる。
一言二言笑顔で交わしながら、綺麗にラッピングされた袋を配っていると、しばらくして、しくしくという世にも悲しげなすすり泣きが聞こえてきた。
「フージ!? おい、何泣いて……」
「ウウ……マズイヨー……」
「え。……って、プロテインじゃんコレ! しかもこのメーカーのチョコ味、確かクソマズかったよーな……!」
「よーなじゃねーよ、マズイよここのチョコ! ちょっと社長ー!?」
一転の恐慌状態に、眞咲はいっそ可憐でさえある笑顔で小首を傾げた。
「実用性を重視しました。クレアチン配合でチョコ味、かつイオン交換なしで蛋白質含有率も抜群。完璧じゃないですか。というわけで、頑張ってトレーニングに励んでくださいね!」
小さなガッツポーズで長口上を締めくくる。可愛らしいその仕草に、しかし反応をみせる選手はいなかった。
プロテインとは要するに、高蛋白食品だ。サッカー選手に必要なのは、何と言っても瞬発力と持久力。それを高めるのはトレーニングだが、トレーニングの効果を高めるには、栄養バランスの取れた食事に加えてプロテインやクレアチンなどのサプリメントを摂取することが有効である。
――だがしかし。
特にプロテインに言える話だが、不味いメーカーはこれでもかと言うほどに不味いのだ。
薬臭かったり極端に甘かったりと、もはや食品と呼ぶことにさえためらいを覚えるほどに。
天国から地獄の狂想曲に、帯同していた地元新聞の記者が必死に笑いを堪えながらシャッターを切る。
翌日の記事のネタは、どうやらこれと練習試合で決まりのようだった。