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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 4
24/95

エースの矜持と社長の役割

 


 


 まっさらな快晴。予想最高気温は12度。湿度も程よく、風はほとんどない。絶好のサッカー日和だ。

 ――だがしかし。

 スタジアムのメイン中央辺りで試合を観戦する眞咲の表情は、どうにも冴えなかった。


(……本っ当に、防戦一方……) 


 監督の宣言どおりだ。ほとんど引きこもって守りを固めている。正直なところ、お世辞にも面白い試合とはいえないだろう。

 そう思っているうちに、またボールを奪われた。

 ため息を吐いて、眞咲はしまったと眉を寄せる。地元のマスコミも来ているのだ。ヘラヘラ笑っているのもまずいが、渋面ばかりも好ましくはない。


 力の差はよくわかっているつもりだった。けれど、こうも劣勢だと、憂鬱になってしまう。


 甲府が蹴った長いボールが、ゴール前へ入る。

 だが、1トップのブラジル人選手にしっかり張り付いたガイナスDFが、身体を寄せて競り勝った。

 跳ね除けたボールはコーナーキックになった。これで相手のチャンスは何本目だろう。対して、ガイナスはほとんどシュートまで持ち込めていない。


 相手の攻撃がようやく終わったと思えば、またボールを奪われて攻め込まれる。その繰り返しだ。悪い意味で、息をつく暇がない。

 マスコミも苦笑いで言葉を交わしている。

 これでは去年と同じだというのだろう。新監督が目指すサッカーをさんざん宣伝してもらってきたから、仮に勝てたとしても記事の書きにくい試合だ。


(……頭が痛いわね)


 守って守ってカウンター。格下が格上に挑む戦法としては典型だが、とても攻撃サッカーを標榜する監督が選ぶ戦い方ではない。

 報道陣に捕まるのは避けられないから、コメントを考えておく必要があるだろう。方針がぶれているように思われるのが、一番厄介だ。


(あ、また)


 コートの真ん中、ハーフウェイラインをようやく越えた辺りで、ガイナスがまたボールを失った。

 ファウルさえ必要ない。足元の技術は、やはり特に差が感じられる。

 反射的に眉間に寄った皺を、指先でぐいぐいと伸ばしたとき、掛川がいい動きを見せた。


 タイミングを見計らい、相手選手の背後からすかさずパスカット。それにあわせ、FWが甲府の最終ラインを突破する。


「行けっ!!」


 眞咲の内心とシンクロした叫びがベンチから上がる。

 だがしかし、シュートを打つ前にホイッスルが鳴った。


「えぇ!?」


 思わずこぼれた不平に、二列上の席に座った白田が無愛想に応じた。


「オフサイドだろ。フラッグ上がってる」

「え? ……ああ」


 目を移すと、線審が掲げていたフラッグを降ろしたところだ。

 ぶすっと黙り込んでいた白田がようやく話す気になったようだったので、眞咲は試合を見ながら話の水を向けた。


「確か、自分の前に相手選手がいないとだめなのよね?」

「ボール出す前に、味方とゴールの間に相手が2人いないとアウト。大体キーパーがいるから、あと一人」

「ふうん」


 言葉で概念を知っていても、試合を見ながら成否を判断できるほどではない。

 素直に相槌を打って、眞咲はピッチに目を戻した。


「あれ、シュートして入ってたらどうなるの?」

「点入らない」


 またガイナスはゴール前に押し込まれている。というよりも、押し込まれていない時間帯の方が少ない。

 新屋がシュートを弾いて、再びコーナーキックだ。


 最小限の言葉でしか喋らない白田は、あいかわらず子供じみたふてくされぶりを見せている。

 やれやれと、今度は遠慮なくため息を吐き、眞咲は監督の言葉を思い返した。




 現場は現場に任せると宣言したとはいえ、わざわざクラブに慰留した白田を外すとなれば、フロントとして目的を確認をしておくくらいは問題ないだろう。

 意図するところを訊ねた眞咲に、にっこりと笑って椛島は言った。


「いろいろです」

「……いろいろ、ですか」

「うふふ。まあ、具体的にはね、白田に仲間を信頼して欲しいんですよ」

「信頼?」


 眞咲は驚いて目を瞠った。

 白田はこのクラブと、チームを愛しているように思えた。そこに信頼がないというのだろうか。

 人気のない廊下を歩きながら、椛島は凪のような穏やかさで話を続けた。


「白田の入ったU-20日本代表が、ワールドユースで準優勝したことは知っているかしら?」

「……いえ。そうなんですか」

「いいチームでしたよ。本当に楽しそうにサッカーをするチームでね。……あの世代は飛びぬけて優秀な選手がたくさんいて、多くの選手はクラブの中心選手になっています。まだ二十歳そこそこですが、もう何人もA代表に呼ばれていますね」


 話が読めずに、眞咲は眉を寄せる。

 白田が名前を売った代表のチーム。それが、今のガイナスと何の関係があるのだろう。


「そういう選手たちと、白田は戦ってきたわけです」


 はっとして、眞咲は椛島を見た。

 前を向いたまま、椛島は静かに微笑む。


「欲しいタイミングでパスが来ない、押さえて欲しいところで押さえきれない。そうして負けてしまう。……何度もそれを繰り返してきたのでしょう。歯車がかみ合わなくなれば、心のどこかで比べてしまうのは避けられません」

「……それは……」


 否定できずに、言葉を濁した。

 J1とJ2では、クラブそのものの体制もそうだが、選手のレベルにもそれなりの差がある。

 ボールの受け方、パスの精度、ポジショニング。一つ一つを挙げれば些細な差だが、ゲームの中では大きな意味を持つ差だ。


「俺が俺がって、そういう傲慢さはいいと思うんです。ストライカーですからね。……だけど、白田のあれは少し違います。何かにつけ、俺がやらなきゃ、と思っている。そこが彼の問題点です」


 確かに白田はいい選手だ。若いながらチームの主力でもあり、まだまだ伸び代を感じさせる。

 けれど、白田一人いたところで、ガイナスは勝てない。

 昨季の散々な結果で、白田自身も痛感しているはずの事実だ。


「サイドハーフをやっていたせいもあるでしょうけれど、今の白田はトップ。点をとることが仕事です。もちろん現代サッカーはFWにも守備が要求されますけれど、白田のやっていることはただのフォアチェックです。闇雲にボールを追いまわしているだけで、たいして効いてはいませんからね。しかもそちらに気を取られすぎて、攻撃への切り替えが遅れている。体力の無駄使いです」

「でしたら……こんなやり方でなくても、そう仰っては?」

「修正は試みましたが、気持ちの問題ですね。前線に張りついていろと言うのは簡単ですよ。だけれど、それでは根本的な解決にはなりません」


 ふと足を止め、椛島が眞咲を見上げた。

 その視線に鋭さはないが、心のどこかを縫い止めるような強さがある。

 それは、この監督が持つ信念なのだろう。


「白田には、白田がいなくてもこのチームは守りきることができるのだと納得して欲しいんです。その上で、攻撃には彼が欠かせないのだと自負してほしい。白田の仕事は、点を取ることなのですから」




 眞咲はちらりと時計を見た。試合時間は、残り10分だ。


(……確かに……よく守ってはいるわね)


 相手はJ1の上位、こちらはJ2の最下位。相性はあるにせよ、力の差は歴然としている。

 こうも押し込まれながら失点していないのは、見方を変えれば大したものかもしれない。


 ――どうにかこのまま、しのいでくれたら。

 そんな思いが頭を過ぎったとき、ゴン、と派手な音が響いた。

 眞咲はぎょっとして振り返る。

 側頭部をゲートの手すりにぶつけた白田は、頭を押しつけて斜めになった体勢のまま、新緑のフィールドをじっと見下ろしていた。


「……俺さ。俺が、ガイナスを強くするんだって思ってた」


 眞咲が背中を向けたピッチで、笛が鳴る。

 ぽつりとこぼされた言葉は、その音にまぎれない。


「そういうの、思い上がりだってわかってたけどさ。……それでもマジでそう思ってた」


 ひどく淡々とした、感情の篭もらない声。

 自分抜きでいい試合をされたのだ。もちろん、胸中穏やかではないだろう。

 だが、それはさきほどまでの不機嫌さとは違う性質のものだった。


 その正体に思い当たり、眞咲はふと微苦笑を浮かべた。


 ――それはとても、覚えがある。

 必要ないのだと言われることへの怖れ。寄る辺のない、どこに立っているのかさえ見失うような感覚。そんなはずはないのだと思いながら、それを否定できずに、足を竦めてしまう。


 軽く目を伏せて、感傷を振り切った。


 信頼しろ、と。

 それは、言葉で説得するものではない。心が納得しなければ意味がない。

 だからこそ、この試合を白田に見せることが必要だったのだ。


 白田を見上げ、眞咲は勝気な笑みを浮かべた。


「必要な思い上がりだわ」


 ピッチを見据えたまま、白田はわかりやすく顔をしかめた。あまりにわかりやすすぎて、その直情さに笑ってしまいそうになる。


「弱気になっても得るものなんてないわよ。あなたなしでどうするっていうの? わたしが賭けてみる気になったのは、あなたがいるガイナスなんだから」

「……」

「あなた一人じゃ勝てないかもしれない。だけど、勝つにはあなたが必要だわ。サッカーって、点を取らないで勝てる競技じゃないでしょう」


 きっぱりと言い切って、眞咲は笑った。

 発破をかけている部分はあっても、口にするのは間違いなく本音だ。


「わたしは素人だから、こういう試合は『頑張ってる試合』ではあっても『面白い試合』じゃない。これからそんな素人を山ほどスタジアムに集めようっていうんだから、その人たちを楽しませてくれなきゃ困るのよ」


 少なくとも、それを楽しみにして来た人間がここに一人いる。

 突拍子のなさ。華麗なテクニックとは少し違う、わけのわからないうちにゴールを決めてしまう、先の読めない期待感。

 サッカーの知識などなくても十分に伝わる何か。――この人なら、と思える何かを、彼は確実に持っている。


 斜めになったままの白田が、ようやく眞咲を見た。

 いじけた子供が構って欲しがっているような態度に、眞咲は小さく肩を竦めてみせる。


「期待してるわ。あなたはまぎれもなく、ガイナスのエースなんだから」

 

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