エースの賭け
車で4時間の移動を、眞咲はひたすら不機嫌にやり過ごした。
これから多忙な日々が続くのだ。このくらいで疲れたなんて言いたくはないが、予定は崩れるし、してやられておもしろくもない。
広野はあいかわらずニコニコと黙ったままで、なかなかの腹芸を見せている。
本当は五十路過ぎてるんじゃないのと内心に毒づいて、眞咲は眉間に皺を寄せたまま息を吐いた。
岡山市内に入った頃には、もう日が暮れ始めていた。
夕日の名残をぼんやりと見送っていると、ふいに広野がつぶやいた。
「……あれ」
車が速度を落とす。目を向ければ、広野は少しばかり眉根をよせていた。
「すみません、ちょっと停めます」
「どうしたの?」
問う間に車が停まった。
困りきった笑顔で広野が振り返る。
指差された先には、照明に照らしだされたグラウンドがあった。
「あれ、うちの選手ですよ。白田です」
ちょっとだけ待ってください、と言い置いて、広野が車を出ていく。
――白田。
あの17番だろうか。少しだけ、興味が湧いた。
車を出ると、外の空気はすっかり冷えきっていて、眞咲は吹きぬける風に首をすくめた。
ボールは無数に転がっていたが、そこにいる選手は一人だけだった。
(ああ、やっぱり。……白田直幸)
あれが、ガイナスでもっとも高く売れる選手だ。
グラウンドに入り、桜模様のボールをよけながら二人に近づく。録画映像の印象よりも、白田の身長は高く感じた。
それにしても、細い。アメリカのスポーツ選手といえば総じて筋肉質だっただけに、余計そう思ってしまう。
「だめだろ、明日は試合なんだから。自主練もほどほどにしないとさ。オーバーワークだよ」
「……すいません」
納得していない様子で、白田は両手を腰の後ろにやった。
「な? 今日はもう、ホテルに戻って休め」
なだめるように広野が続ける。
神妙にうなずいていた白田が、ふと眞咲に気づいた。
すぐに目をすがめたから、きっと誰なのかあたりをつけたのだろう。
「広野さん、その人――」
「ああ、うん。新社長。眞咲さん、これがウチのエースです。えーと、二つ年上になるのかな」
ということは、19歳か。
広野の軽い紹介に、白田が苦笑いを浮かべた。
「眞咲です。明日は楽しみにしていますので、いい試合を見せてください」
「もちろん。全力で戦います」
白田が挑発的に笑った。
「賭け、しないスか」
「何をかしら」
「明日の相手はJ1の名古屋だ。そこに、俺たちが勝つかどうか」
頭からデータを引っ張り出す。1部クラブの名門だ。そう簡単に勝てる相手ではない。
眞咲は苦笑して返した。
「……今、困ったなぁって思っているところなんですけれど。景品が想像できてしまうんですよね」
「いいスよ。約束はしなくても。俺たちにできるのは、潰すには惜しいって思わせることだけだ」
きっぱりと白田が言う。
強い目だった。驚くほどまっすぐで、揺るがない。それは意地なのか、それとも誇りなのか――判断はつきかねた。
「1億1000万」
「……は?」
「今季の赤字見込みです。中国電工はすでに撤退を表明しましたから、広告費として補填されるのは今年度まで。それも6000万円が限度です。売却先が見つかればクラブの存続自体は可能ですが、この先の債務を解消できる見通しがなければ、それも難しい」
「知ってる。だから、これが最後のチャンスだ」
眞咲は首をかしげて見せた。
「J1クラブを破って、賞金を手にする。ベスト4まで残れば2000万だ。少しは考える気になるだろ?」
口元に手を当て、ふうん、と内心で呟く。
夢物語めいてはいるものの、とりあえず感情だけで言ってるわけではないらしい。
「あ、ちなみに今ベスト16ですから、あと二つ勝たないといけないんですけど」
「……って広野さん! なんで余計なこと!」
「いやあ、騙まし討ちはだめでしょー」
なるほど、まだ非現実的な時点での話というわけか。
連携がなっていないなと苦笑して、眞咲は目を伏せた。
この賭けに乗ったとしても、そこまでのデメリットはない。問題は、眞咲個人にメリットがないことくらいだ。
できるというなら、やってみせてもらいたい。
「いいですよ」
「っ……本当に!?」
眞咲の答えに、白田が勢いよく顔を向けた。
「ええ。その代わり、できなければ移籍に関してはわたしの判断に従っていただきます」
「いや、それは……」
顔色を変えたのは、広野のほうだった。
白田はそんな広野を制止して、はっきりとうなずいた。
「わかった。それでいい」
眞咲はにこりと笑みを浮かべた。
「結構です。それでは明日、いい試合を見せていただけることを願っています」