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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 3
19/95

埋まった外堀と確信的勧誘

 


 


 


「……しーちゃん、折り入ってお話が……!」

「うわびっくりした! 何アンタ、顔怖いって!」


 そんなやりとりののち、約束を取り付けたその翌日。


 人込みのハンバーガーショップで、なけなしの気力を奮い立たせてガイナスのサポーターであることを告白した理沙に、返って来たのは、呆気にとられたような反応だった。


「えーと……ごめん、それだけ?」

「うっ」

「あ、いや、理沙にとっては大ごとなのよね。うん私が悪かった。だからとりあえず分かりやすく落ち込まない」

「うう……はい」


 球技苦手なアンタがねぇと不思議そうな顔こそしたものの、志奈子の反応はおおむね良心的だった。志奈子自身がガイナスに興味を持っていないのは明らかだったが、愚痴に近い理沙の話を一時間近く、うんうんとうなずきながら一通り聞いてくれたのだ。

 思ったよりも、腹に溜まっているものは多かったらしい。

 おかげでずいぶんすっきりした理沙に、志奈子は肩を竦めて、氷だけが残ったカップのストローを回した。


「それにしても、語ったわねー」

「……う、ごめん、つい熱が……」

「はいはい、気にしない。ところで、いつも誰と見に行ってんの? 陸君?」

「ううん、最近は一人。陸は友達と」

「へー……あたしも見に行ってみようかな、一回くらい」

「え!? ぜ、ぜひ!」

「じゃあさ、今度一緒に行こうよ。あ、一人で見るほうがいいんなら遠慮するけど」

「全然! そんなことない、すっごく嬉しい……!」

「……泣くほどか……」


 どれだけ押さえ込んでたのよと、志奈子は苦笑いで理沙の頭をつついた。


 


 


 志奈子と別れて、雪の積もった町を歩きながら、理沙は小さく咳をこぼした。


 普段喋らないほどの量を喋ったので、ちょっとだけ喉が痛い。けれど、抱え込んだものを吐き出したおかげで、気分はずいぶん軽くなった。


 高校に入って初めてできた友達が、彼女でよかったと思う。

 次の公式戦は開幕まで待たないといけないから、もしかしたら予定が入ってだめになったり、気が変わってしまうかもしれないけれど、それでも、そういう約束をしてくれたこと自体が嬉しかった。


 だからといって、あんまり興味がないことばかり話したら、きっと負担になってしまうだろう。

 しっかり自重しなきゃと決意を新たにできたのは、いざというときに話を聞いてくれる人ができたからで――きっと、それが志奈子だからだ。


(……うれしい、なぁ)


 まだ一月以上も先の開幕戦を思って、理沙は空を仰いだ。

 傘のはしからのぞく灰色の空は、大きな雪を落としつづけている。


(今年は……勝てるかなあ)


 ぎゅむぎゅむと音を立てて、道を埋める雪を踏みしめた。

 吐き出す息は白くて、喉がひりひりする。


(勝ちたいなあ)


 厳しいのはわかっている。去年は結局、リーグとカップを合わせても5回しか勝てなかった。

 補強らしい補強もなく、新監督の手腕も未知数。明るい材料といえば、去年の天皇杯で5回戦まで行ったところくらい。

 だけど、J1の名門クラブを相手にいい勝負ができたのだ。最後には地力の差で負けてしまったとはいえ、途中までは本当に、勝てるんじゃないかと思うくらいのパフォーマンスを見せてくれた。


(……うん、そうだよ! 名古屋相手にあれだけやれたんだもん。そう、いける! 今年こそっ!)


 握りこぶしで自分を奮い立たせたとき、きょとんとした声に呼び止められた。


「森脇さん?」


 よく通る、綺麗な声。

 え、と顔を上げた理沙は、コート姿の眞咲に「ああ、やっぱり」と笑顔を向けられて、盛大にうろたえた。


(え、ええ!? な、なんで眞咲さん、ここどこ!)


 あわてて辺りを見回し、クラブハウスの近くだということに気付く。

 考え事をしているうちに、うっかりこんなところまできてしまったらしい。


「びっくりしたわ。めずらしいところで会ったわね」

「あ、あはは……うん、ちょっと……」


 腰の引けた返事に、眞咲はくすくすと笑った。

 かあ、と頬が熱を持った。気構えが全くない遭遇だったから、いつもより二割増くらいにおどおどしてしまう。


「そうだ、もうお昼は食べた?」

「え? ま、まだ」

「もしよかったら、食べていかない? 近くに選手寮があるの。寮長の料理の腕はなかなかのものよ。味は保証するわ」


 笑顔で提案された内容に、思わず、言葉を失った。

 せんしゅりょう。……選手寮?


「い……いい! 遠慮するっ」

「そう?」


 残念そうに眞咲が首を傾げる。

 なんだか勢いが止まらなくなって、理沙は傘を握り締めた。


「あのっ……ダメだと思う、そういうの! あのね、眞咲さん知らないかもだけど、ガイナスにも押しの強いギャルサポっているんだよ! なんでもほいほい選手に近づけちゃダメだよ、プライベートだもん!」


 勢いのまま言い募って、肩で息をする理沙に、眞咲がきょとんと目を瞬く。

 はっとして、理沙は頭を抱えた。


(し……しまった、やっちゃった……!!)


 ――思い切り叱りつけてしまった。

 とっさに後悔したものの、本音には違いないし、間違ったことを言ったとも思わない。

 弱小地方クラブゆえの距離感の近さのせいか、本気で選手を狙っているようなファンは、まぎれもなく存在するのだ。それが悪いとは言わないけれど、フロント側には選手を守る意識が絶対に必要だと理沙は思う。


 理沙の葛藤を知ってか知らずか、眞咲はにこりと笑顔を見せた。


「その通りね。ありがとう、気をつけるわ」

「あ、う、うん……」

「まあ、今はオフだから、寮に残ってるのは一人くらいだけど」

「え!? そ、そっか……!」


 かぁっと顔に血が上る。

 あわててうつむいて、手の甲で頬を擦った。


(あれ? でも、寮に部外者を入れるのがよくないって話で、ええと、あれ?)


 混乱する理沙に、眞咲は笑って小首を傾げた。


「……それに、人は選んでいるつもりよ?」

「え」

「というわけで。もしよければ、付き合ってくれないかしら」


 にっこりと眞咲が笑う。

 拒むことを許さない無言の圧力に、理沙はついうなずいてしまった。


 


 


 


 


「どうぞ。散らかってるけど気にしないで」


 にこにこと促されて、理沙はおずおずとガイナスの選手寮に足を踏み入れた。

 なんだかうまく言いくるめられて連れてこられたような気がする。


「お、おじゃまします……」


 玄関口は、思ったよりもごちゃごちゃしていなかった。

 クラスの男子のロッカーを思えば綺麗なものだ。靴箱にも靴がなくて、建物にも人の気配が少ない。


 ――そういえば、一人だけ残っている変わった選手って、一体誰なんだろう。


 やっぱり失敗したかなぁと後悔しはじめたとき、目の前に大きな影が落ちた。


(え?)


 床を見る。

 長い影の先に、人の足。

 そろそろと顔を上げる。

 むすりとした厳つい顔のおじいさんが、腕組みで立っていた。


「寮長。お昼、ふたり分お願いします」


 眞咲に笑顔を向けられたその人は、理沙にじろりと視線を投げかけた。どうやらこの人が寮長らしい。寮長というより、曹長という感じだ。強面でとてつもなく近寄りがたい。

 わけもなく謝り出したい気分になっていた理沙は、眞咲が背中に手を添えたことで、どうにかその場に踏みとどまった。


「お、お、おじゃましてます……っ」


 蚊の鳴くような挨拶に、寮長は無言のままうなずいた。

 あれ、と理沙は内心で首を傾げる。

 何だろう。なんとなく、見た目よりも優しいひとみたいだ。


 彼は感情の読めない目を眞咲に移し、低い声で言った。


「……社長」

「ああ、ご紹介しますね。バイトに勧誘中のお嬢さんです」

「……ええええええ!?」


 聞いてない。とっても聞いてない!

 理沙の悲鳴はどこ吹く風で、眞咲はにこにこと理沙を食堂に連行していった。


「ま、眞咲さん! 待って、あの、バイトって何!?」

「まあまあ。お話は食事をしながら、ゆっくりしましょう?」


 帰りたい。今すぐ力の限りここから逃げ出したい。

 言い出せないまま椅子に座らせられて、理沙は泣きたい気分でうなだれた。

 寮長が無言のまま入っていった厨房から、香辛料の効いたいい匂いが漂ってくる。――これはもう本格的に、逃がす気がない。


 どうにか気力を振り絞って顔を上げ、対面に腰を降ろす眞咲を見上げた。

 だが、理沙が口を開くより早く、第三者の声がその場に割り込んだ。


「お、エライ。ちゃんとメシ食いにきてんじゃん」


 聞き覚えのある声だった。

 振り返った理沙は、危ういところで、上げそうに鳴った悲鳴を飲み込んだ。

 そこに立っていた白田が、上半身に何も着ていなかったからだ。

 トレーニングのあとだったのだろう。いかにもシャワーを浴びてきたばかりですといった格好で、とても直視できない。


「って、うわ! 悪い、客が来てると思わなくて……!」

「い、いえ、私こそ急におじゃまして、その……!」


 あわててトレーナーをかぶる白田に、眞咲が呆れたように言った。


「なんて格好してるの。女性の前で」

「客連れてくるなら先に言え! 女子高生がいると思わないだろフツー!」

「それはごめんなさい。でもわたしもそのカテゴリーじゃないかしら」

「あんたがケロっとしてるから忘れるんだよ!」


 八つ当たりめいた叫びを上げた白田は、はいはいと軽くあしらわれてあからさまにふてくされた。

 理沙はあっけにとられて白田を見る。

 ……たしかこの人、早生まれでこのあいだ成人式に出ていたような気がするのだが。まるきり子供の態度だ。


 3年前はもうちょっと大人っぽく見えたような気がしたけどなあと、胸の内にこっそり呟いていると、白田が「あれ」と首を捻った。


「……悪い、どっかで会ったっけ?」


 ぎくりと理沙の肩が跳ねた。

 あわてて言葉を探しているうちに、眞咲が眉をひそめて返した。


「黴の生えたナンパ文句ね」

「は!? ちがっ」

「止めはしないけど、せめて18歳までは待って欲しいわ。うっかり手を出したりしたら軽く週刊誌沙汰よ」

「違うっつーに! なんか見覚えある気がしたんだよ、待ってろ今思い出すから!」


 こめかみを押さえて必死に思い出そうとする白田に、理沙はとっさに声を上げた。


「あ、あのっ! それより眞咲さん、バイトって……!」


 ああそうだと鷹揚にうなずいて、眞咲が理沙に向き直った。

 浮かべた笑みは、どこか近寄りがたい大人びたものだ。

 ――「社長」としての彼女なのだと、ふと気付く。学校で見かける親しみやすい笑顔より、こちらの方がしっくりくる気がする。


「ガイナス存続の条件に、動員の倍増があるのは知っている?」

「あ……うん」

「そのために必要なものは、大まかにわけて三つ。まずは興味を持ってもらうこと。次に、足を運んでもらうこと。そして、リピーターになってもらうこと――あなたにお願いしたいことは、三つ目に関わってくることね」


 一つ一つ、指を立てる眞咲の言葉はわかりやすい。けれど、それが自分にどう関わってくるというのか、理沙にはわからなかった。


「来場者をリピーターにするためには、もちろんメインの試合は重要だけど、それだけじゃない。イベントとしての付加価値が必要だわ。そしてそれ以前に、土台となるのが、来場者への接客よ」

「……え……」

「ホームゲームの運営はボランティアの協力に頼る部分が多いの。ただ、はっきり言ってしまえば善意のボランティアに対する指導は限界がある。役割分担を見直して、アルバイトスタッフを増やすつもりよ。……そこで、最初の話に戻るんだけど」

「え? あ、えっと……そのバイトって、こと?」


 とまどう理沙に、眞咲は華やかな笑顔で言った。


「逆よ。人選に協力して欲しいの。つまり、採用側ね」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 彼女の言葉の意味を飲み込んで、思わず悲鳴をあげる。


「え……えええええ!?」

「大丈夫、何も面接をしろって言ってるんじゃないのよ。単に同席して感想を聞かせて欲しいだけ」

「む、無理! 無理だから! 私、ただの高校生だよ!?」

「年齢は関係ないわ。あなたがいいの」


 きっぱりと告げられて、理沙はぱくぱくと口を動かした。

 一体どうしてどこを見込まれてこんなことを言われるのか、本気で理解できない。

 へえ、と感心したようにこぼした白田に、恨みがましい目を向ける。


「し、白田先……選手、あの、なんとか言ってください……!」


 うっかり先輩と呼びかけそうになって、どうにか言い直した。

 きょとんとした白田が、困ったように首裏を掻く。


「いや、なんとかって。社長がそう言うんならそうなんだろうし」


 止めるどころか後押しされた。

 がっくりと肩を落として、理沙はため息のような声で訊ねた。


「……なんで、私なの……?」

「理由はいろいろあるけど……一番は、あなたに人を見る目があるから」

「えぇ?」


 まったく自信がない。

 さすがに驚き疲れて、胡乱な目を上げた。眞咲の笑顔は愉しそうだ。


「一種の才能ね。本質を感じ取るっていうのかしら。経験上、そういう直感を持つ人は重用することにしてるの。……わたしのこと、最初からうさんくさいと思ってたでしょう?」

「え……ち、違うよ、そんなんじゃなくてなんていうのか、あんまりお近づきになりたくないっていうか……、あ!」


 あわてて口を塞いだが、時既に遅し、だ。

 素直すぎる評価に白田が腹を抱えて爆笑した。

 怒ったかな、と理沙はおずおずと眞咲の顔をうかがったが、そこに浮かんでいたのは、何ともいえない苦笑だった。

 

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