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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 3
18/95

カンファレンスと幼馴染

 


 


 


「え? 眞咲さん、お休みなの?」

「うん。なんか仕事だってさ」


 土曜日とはいえ、塾代わりの役目を求められている理沙たちの高校では、特別講習というものがある。

 ぬくぬくと惰眠をむさぼる弟を転がし起こしてやりたい気分になりながら登校した理沙を迎えたのは、そんなちょっとした朗報だった。


 編入早々大変ねぇと志奈子が苦笑いで肩を竦める。

 ガイナスのスケジュールを思い出して、理沙は納得した。


(あ、そっか……今日、サポカンだっけ)


 サポーターズカンファレンス。

 要するに、クラブのサポーターを相手に、今後の方針だとか計画だとかを説明するイベントだ。始まるのは夕方だけれど、色々と準備があるのだろう。

 大丈夫かなぁ、と自然に思ってしまって、そう思った自分に驚いた。


(え、あれ? ……いやいやいや)


 思わず内心で打ち消した。心配してどうするというんだろう。


 あれ以来、例の編入生であるところのガイナス社長は、やたらと理沙に構ってきた。

 主にクラスメイトや教師のことを訊ねてくるのだが、情報を集めたいなら人見知りの強い理沙よりも志奈子が適任だと思うのに、にっこり笑顔で毎度のごとくかわされてしまう。


 多忙を理由に休みがちだから、毎日のことではないのがちょっとした救いだけれど――友好的な笑顔を隙がないと思ってしまうのは、さすがにちょっと穿ちすぎだろうか。

 それでもなんとなく、眞咲の前ではついつい身構えてしまう。


 たぶん見た目どおりの可憐な女の子じゃない。何匹か大きな猫をかぶりまくっているか、そうでなきゃスーツとメイクできっかりスイッチが切り替わったりするタイプだ、たぶん。

 そもそも卒のない彼女のことだから、理沙に心配されなくたって華麗に役目をこなすだろう。


 それでもやっぱり心配してしまったのは、ガイナスの状況が甘くないせいだ。

 たぶん誰が社長になったって、気に食わない、信頼しきれないサポーターはいると思う。前の社長よりマシなのは確実だけど、それだけで大手を振って歓迎するには、ちょっと崖っぷちに立ちすぎている。


「……あのさ、理沙。何か、悩みごととかあったりする?」

「え?」


 知らずうつむけていた顔をあわてて上げると、志奈子が首裏に手を当てて目を逸らした。


「な、なんで?」

「んー……なんか、去年あたりからめちゃくちゃため息増えてるし。あたしには話せない?」


 気まずそうな顔に、胸がぎゅっと痛んだ。

 とっさに言葉が出てこなくて、両手を握り締める。


 ――友達、だとは思う。だけどどこか、距離があるのも確かで。

 中学の頃からそうだった。何でも話せる友達関係なんて、築いてこなかった。距離の縮め方を知らなかった。縮めようと、しなかった。


 嬉しいような、申し訳ないような気分になって、理沙は目線を落とした。

 志奈子のことだから、きっと本当のことを話したって、別に馬鹿にしたりしない。興味はこれっぽちもなくったって、笑ったり、引いたりしないでくれるはずだ。


(うん、話そう。……えっと、どこから話せばいいかな……いきなり「ガイナスが潰れそうだから」っていうのは……うわぁ、今自分でダメージ受けた……って、いや、今はそれじゃなくて。「今まで黙ってたけど、実は私、ガイナスのファンで」……うん、これで行こう)


「しーちゃん、あの……」


 決意して顔を上げた理沙に、志奈子が苦笑をひらめかせた。


「……なんて、冗談だって! もー、深刻な顔しないでよー。なんかいじめたみたいじゃん」

「え? あ、あの」

「まあ、話したくなったら話してよ。無理にとは言わないから、そのうちね」


 明るい声でごまかした志奈子に、理沙はあわてて首を振りそうになって――かえって誤解を助長させることに気付いて、硬直した。

 そうじゃない、そうじゃないのだ。


「しーちゃん、ちが」

「あ、先生来たね。じゃあホント、気にしないでよ。ね?」


 止める間もなく、志奈子は自分の席に行ってしまう。

 行き場のない手をよろよろと降ろして、理沙は机に突っ伏した。


(タ……タイミングを逸した……!)


 間が悪いというのかドンくさいというのか。あれはもう、完全に誤解された。

 机の冷たい感触に泣きたくなりながら、理沙はため息を吐いた。








 サポーターズカンファレンスと一口に言っても、クラブによって様々だ。

 ――正確には、クラブの規模によってというのが正しい。

 人気クラブなら限定100人の上抽選ということも少なくないものの、J2の底辺に落ち込んでしまっているガイナスでは、当然ながらそんな人数は集まらない。


 一番恐れていたのはガラガラの状態でやることだったのだが、文化センターの会議室は収容人数ぎりぎりの人数が集まっていた。

 記者会見のときとは空気が違う。それは、このクラブに対する思い入れの差だ。


(けっこう入ったなァ……よきかなよきかな)


 強化部長である広野は、内心でひとりごちた。

 ざっと五十人といったところか。例年のサポーターズカンファレンスはせいぜい二十人が限度だったので、それなりの人入りに胸を撫で下ろす。


「入りましたねぇ」


 小声で話し掛けてきた広報担当は、苦笑いで室内を見渡していた。

 彼は中国電工からの出向だったが、すでにガイナスでは古株だ。ほとんどの出向社員が本社に戻る中、4月からはわざわざガイナスに転職してくるという変り種である。

 いくら優秀な人間を雇っても、ベテランのいない組織は脆い。

 ガイナスにとってはありがたい存在だ。


「大丈夫ですかね、社長」

「大丈夫だと思いますけどねぇ。ほら、どー見ても緊張してないし」


 本来なら彼女は、親会社に押し付けられたトップでしかなかった。当初のとおり清算人として就任していれば、クラブにとっては恨みを向ける対象にすらなっただろう。

 ――だがしかし、そうはならなかった。

 初めて会ったときにはかたくなさが強かったが、それ以上に彼女は柔軟さと熱意を持っていた。そして相応の能力を培ってきていて、その上で自分に足りないものをきちんと認識している。


 ――たとえばあれが、いい例だ。


 ぴりぴりと殺気立った視線を受けながら、眞咲はマイクを受け取った。その斜め後ろには、地元の名士でもあるガイナスの総取締役が穏やかな風情で彼女を見守っている。


(んー、なんかお守りみたいだよねぇ。なんていうんだっけ……背後霊?)


 何か違うような気もしたが、まあいいかと広野はあっさり頭を切り替える。

 明らかに虎の威を借る図式だが、そのあたりが彼女の賢さだ。

 眞咲は自分を「小娘」でしかないと理解している。それが多くの場合不利に働くことも。だからこそ客寄せパンダを装うことを躊躇しないし、実際に取り仕切っているのは総取締役なのだという無言の態度を崩さない。

 はたしていつまで続くかは分からないが、いまのところ、彼女のもくろみはそれなりに上手く運んでいる。


 広野は口角を持ち上げた。


(……さてと。頑張ってくださいよ、社長)


 定刻になり、会議が始まった。



「このたび社長に就任いたしました、眞咲萌です。本日はご多忙の中、お集まりいただきいただきまして、ありがとうございます」


 よく通る声に、反応はない。

 淡いグリーンのスーツとメイクでごまかしているものの、既に眞咲の実年齢は彼らの知るところだ。好奇心に満ちた目も多少は見られたが、ほとんどの出席者は、彼女の出方を慎重に伺っていた。


「まずは、お礼を申し上げたいと思います。皆様が集めてくださった署名のおかげで、我々は行政から一年間の猶予を得ました。不甲斐ない現状にも関わらず、支えてくださった皆様の思いに、感謝を禁じ得ません。――本当に、ありがとうございます」


 思いを込めた声で言い、眞咲は優雅に一礼した。

 顔を上げ、強い視線で室内を見渡す。


「記者会見をご覧くださった方も多いかとは存じますが、ガイナスは現在、深刻な経営危機に直面しております。筆頭株主であった中国電工は撤退を表明しており、株そのものは現状どおり保有していただけるものの、今後の出資については大幅な減額を避けることはできません。

 そもそも、わたしはこのクラブを清算するため、就任の要請を受けました。ですが……ガイナスは県内唯一のプロスポーツです。潜在的な需要は高く、実際にチームを見ても、再生の可能性を感じました。就任前の考えは既にありません。ガイナスを存続させるため、全力を尽くす所存です」


 思いを踏みにじられつづけたサポーターの信頼を、再び得るためには――言葉だけでは足りない。目に見える結果が必要だ。

 フロントとの確執はあまりに深く、長すぎた。


 まずはここで、彼らの共感と希望を得られなければ、この先に道は拓けない。


「そのために、我々が打ち出した目標は、次の三点です。

 ひとつは、ホームでの平均観客動員数を3000人以上とすること。

 二つ目は、クラブサポーター数を5000人以上とすること。

 三つ目は、中国電工を除くスポンサー収入を5000万円以上とすること。これらはいずれも、経営の正常化に欠かせない条件です。

 まず、動員数の増加についてですが――」



 当初2時間を予定していた会議は予定通りに質疑応答が紛糾し、大幅な遅れを見せた。

 新社長の資質や監督人事に対して厳しい意見が出たものの、想定を超えるほどのものではなかった。改めて実感したのは、参加者のクラブへの思い入れの強さだ。怒りや苛立ちはその裏返しだからこそ屈折する。

 一番の敵は、無関心だ。

 話題性としても営業活動としても、これまで興味のなかった層を取り込むことが至上命題であることに変わりはない。開幕までの猶予は決して長くなかった。


 なんとか無事に終了を告げ、片付けを始める社員と眞咲が言葉を交わしていると、不意に呼び止められた。


「眞咲社長」


 どこか聞き覚えのある声に振りかえると、柔和な笑みを浮かべた青年が小さく会釈した。

 わずかばかりの苦さとともに思いだす。

 岡山のスタジアムで会った、白田の友人だ。

 眞咲は当たり障りのない笑顔を作って、彼を迎えた。


「牧さん……でしたね。驚きました。いらしてたんですね」

「ええ。講義が終わってからダッシュで。ギリギリで間に合いました」

「ありがとうございます」


 眞咲は苦笑で返した。ただでさえ少ないサポーターだ。カンファレンスに来ようと思う層ともなれば、さらに数は限られる。


「何かご不明な点が?」

「いいえ。僕はただの学生ですけど、素晴らしいプレゼンテーションだったと思いますよ。……ただ、ひとつ、お願いしたいことがあったんです」

「何でしょう」


 眞咲が小首を傾げる。

 牧は言葉を選ぶように、爪先に目を落として、やがて思い切ったように顔を上げた。


「白田との賭け、聞きました」

「……そうですか」

「怒らないで下さいね。僕は白田に、移籍しろって言ったんです。白田は、ガイナスにこだわってますけど……白田本人のためには、その方がいいと思いましたから」

「……ええ」


 確かに、それは真実だ。

 年代別の代表に選ばれる選手はさして珍しくない。その中で生き残るには、環境を選ぶことも重要だ。それはカテゴリーだけの話ではない。監督やチームスタッフ、施設、周囲のレベル。J2で下位に沈んでいるガイナスとは何もかもが違うのだと、眞咲も認識している。


「だけど、ご存知でしょう? 彼自身が選んだんです」


 眞咲の問いかけに、彼は苦い笑みを浮かべた。

 押さえようとして押さえきることができなかった苦味。その色に、眞咲は純粋に興味を覚える。


「……あいつは、特別なんですよ」


 その言葉には、複雑な思いが滲んでいた。


「どう考えたって他の奴らとは違う。高円宮杯でユースとやったときだって群を抜いていましたよ。……僕とは本当に、比べものにならないくらい、あいつは特別で。……なのに、本当にどうしようもないバカなんです。思い込んだら曲げないし、人の話は聞かないし、これでもかってくらい前しか見てないから……心配になるし、応援したくなるし、負けて欲しくないんですよね」

「それは……わかる気がします」


 驚くほど直情的なエースの顔を思い出し、眞咲は自然に笑う。

 苦労も挫折もそれなりに経験してきたはずなのに、意地を張って曲がらない。なんとなく、彼はベテランになってもあのままのような気がした。

 牧は天井を仰いで息を吐いた。


「あいつが選んだことだから、本当なら僕がどうこう言うことじゃないんです。でも、どうしても言いたかった」


 笑みを消し、真剣な目が眞咲を見据える。

 ためらうことなく、彼は頭を下げた。


「あいつがこの一年を選んだことを、間違いにしないでください。……お願いします」

「……ええ。必ず」

 

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