営業活動
「ね、眞咲さん、前はどこにいたの?」
「プリンストンっていって、アメリカの西の方。母がスパルタでねー、おかげでこの年まで全っ然遊ぶ時間なくて」
「うわぁ……マジで?」
「そーなの。だから流行とかさっぱりで、もうおばあちゃん並。同情して、ぜひ」
「あはは! かっわいそーに」
目の前で繰り広げられる級友と転校生の和気藹々としたやりとり。
できるだけ近づかないでおこうと心に決めたばかりだというのに、志奈子は持ち前の面倒見のよさを遺憾なく発揮して、理沙を連れて転校生に構っていた。
下手に口を挟むとまずいような気がして、心持ち一歩下がって話を聞いていた理沙は、ふと違和感に気付いて首を傾げた。
眞咲の話し方は、見た目よりも大分とっつきやすい。だからかなと考えているうちに、その違和感の正体に気付いた。
(あ……そっか、やけになじんでるなって思ったら……)
違うのだ。イントネーションが。
記者会見ではNHKのアナウンサー並にかっちりした発音で話していた彼女が、今は言葉こそ標準語だけれど、この辺りのイントネーションで喋っている。
この一月ちょっとで、染まったのかもしれないけれど――習得したんだとしたら、すごい根性だ。こわい人かもしれない。
「そーいえば、この子の弟、ユース入ってるんだよ。知ってる? 森脇陸っていうんだけど」
唐突に話を振られ、理沙はぎくっとして身を竦めた。
眞咲の大きな目が、ちょっと驚いたように理沙を見る。
「や、あの……! ジュニアだから! 知らなくて普通だと思うし……っ」
「ミドルシュートが得意な、MFの森脇陸くん?」
「って、え!? うそ、マジで知ってるの!?」
志奈子が思わずといった感じで声を上げる。驚きすぎて声もない理沙に、眞咲はいたずらっぽい笑みを見せた。
「なんて、資料の丸暗記だけどね。びっくりした?」
「えー? なあんだー」
志奈子はあっさりと納得して笑ったが、理沙は笑えなかった。
だって、いくら弱小クラブとはいってもジュニアまで含めれば結構な人数だ。それをわざわざ暗記しておくだなんて。
聞きたくても聞けないジレンマに黙り込んでいると、眞咲が肩をすくめて続けた。
「なかなかそこまで手が回らなくて。見に行きたいとは思ってるんだけどね。未来のガイナスを背負って立つ人材だもの」
――未来。
(ガイナスに、それがあるの?)
投げかけそうになった言葉を、危ういところで飲み込んだ。
膝の上で、両手をきつく握り締める。
(……バカ、当たり前じゃない)
今のクラブは、そのために必死になって駆け回っているのに。
――サポーターのはしくれの私が、信じなくてどうするの。
「ところで二人とも、ウチの試合、見たことある?」
「んー、何回か。だいぶ前だけど」
「あ……うん、私も、何回か……」
少しばかりの嘘に、肩身が狭くなる。
「そのうちテレビででも見てみて? ……ウチ、結構イケメン揃いだから」
身を乗り出した眞咲がひそひそと言って、ニヤリと笑った。
志奈子が真顔になって、同じように身を乗り出す。
「……マジで?」
「マジですとも。10番とか17番とか、あとキーパーも人気ね。それに今年は、ユースから二人トップ登録される予定だし。見所満載って感じでしょ?」
「え? それって……プロになるってこと?」
「今年結果が出れば、ね。ここの二年よ。越智選手と、留学生のフージ選手」
「うっわ、スゴイ!」
ガイナスが現役高校生をトップ登録するのは、白田以来だ。
志奈子がはしゃいだ声を上げる。そんな簡単な話じゃないんだけどなぁと、理沙は内心で嘆いた。
むしろ、それだけ台所事情が厳しいということだ。新加入はその二人と、J1クラブから戦力外として放出された選手だけ。これで本当に戦えるのか、というのがサポーターの大多数の意見のようだった。
――もっとも、大型補強なんてするお金がないことは皆が知るところだから、仕方ないという空気も強いのだけれど。
気付かれないよう、理沙がひそかにため息を吐いたとき、無遠慮な少年の声が飛んできた。
「おい、木村! おまえ図書委員だろ、さっさと来いよ!」
「えー? なによー」
「なによー、じゃねえ。俺一人に押し付ける気か?」
「めんどいなー、もー」
しぶしぶといった様子で志奈子が席を立つ。じゃあね、と手を振る志奈子に、眞咲も笑顔で応えた。
二人きりになると、とたんに気まずくなった。どうにか自然に離れられないものかと考えているうちに、眞咲と目が合った。
しまった、と内心で呟いた理沙に、彼女はきょとんとして、可笑しそうに笑う。絵になるなあと思ってしまって、なんだか肩を落としてしまった。
「いい人ね、木村さんって。ちょっとびっくりしたけど」
「あ、うん……しーちゃん、世話焼きで……って、違う! あの、面倒見がいいって言うか、その、ちょっとずけずけしてるけど、悪気はなくて、えっと……!」
かえって墓穴を掘っていることに途中で気付いて、余計に混乱する。
眞咲はくすくすと笑い声をこぼした。どうやら、悪口ではないと取ってもらえたらしい。
「うん。森脇さんも、いい人だっていうのはわかりました」
「え」
にこ、とお手本のような笑顔を見せられて、顔が熱くなった。
女の子に見惚れてどうするのよと心の中で叱咤して、膝の上で手のひらを握り締める。
迷ったあげく、理沙はおずおずと訊ねた。
「ねえ、眞咲さん……なんで、高校来たの?」
きょとんと目を瞬き、眞咲は口角を持ち上げて笑った。
ちょいちょいと手招かれ、理沙は困惑しながら身を乗り出す。
そっと耳打ちが落ちた。
「営業活動」
――素直すぎる返事だ。
理沙はびっくりして目を見張る。
人差し指を唇にあて、内緒ね、と彼女は笑った。