サポーターと転校生
chapter 3――Mid Jan, 2008
それでも、忘れられない。そのときに抱いた感情を。
――この人ならきっとという、確信にも似た、強い期待を。
教室の机に頬杖をつき、森脇理沙はため息を吐いた。
長い休みの後は、ひたすら学校に行くのが億劫になる。
いやというほどじゃない。面倒というのもちょっと違う。だから理沙は「億劫」という言葉を使ったわけなんだけれど、志奈子には年寄りくさいと笑い飛ばされてしまった。
じゃあ何て言うのよとふてくされれば、「ダルイ」という一言がきっぱりと返ってきた。
ああそうか、と思わず納得してしまって、さらに爆笑されてしまったのだけれど。
ともかく何かにつけ、やる気の出てこない時期だ。
(……おまけに、今年は……)
思い出して、再びため息。
ぶっちぎりでブービーを掻っ攫ったガイナスが天皇杯で結構いいところまで行って、来季こそと意気込んでいたところに発覚した経営難。あと一年で結果を出せなければ、クラブがなくなってしまうだなんて、正直、実感が湧かない。ただひたすら気分が落ち込むだけだ。
(白田先輩、どうなるんだろ)
少なくとも路頭に迷うことはないだろうけれど、今年一年だとしたら、白田がガイナスに残るメリットなんてほとんどないのだ。
新聞のスポーツ欄を開いては、移籍の記事がないことに胸を撫で下ろす日々。もうそろそろ疲れてきた。契約はもう更新されているから普通なら考えにくいけど、経営陣が変わってしまったことは大きい。もし今年、解散することになってしまえば、売り払うなら今が最後だ。来年になってしまえば移籍金ももらえない。
今年はオリンピックの予選もある。代表に呼ばれつづけるには、白田は移籍したほうがいい。そんなことはわかっている。
それでも、わかっていたって、信じたいと思ってしまう。
(ああ、もう。早くシーズン始まっちゃえばいいのに)
最後かもしれないけど、と思って余計に落ち込む。
机に手をついた志奈子が、呆れたように顔をしかめた。
「なによ理沙、新学期そうそう暗い顔してー」
「んー……テスト近いし……。しーちゃん、何か明るいニュースちょうだい」
「ふむ。今日さ、転入生が来るんだって」
唐突に落とされた発言に、理沙は思わず目を瞬いた。
「えぇ? うそ、今から?」
「そうそう。そっれがさあ、なんかすごい子らしいんだよね!」
なにせ正月があけたばかりだ。親の転勤なんてこの時期にはないから、普通の転校生とは思えない。
身を乗り出してくる理沙に、情報通のクラスメイトはにんまりと笑った。
「すごいって、何が?」
「ほら、ちょっと前に騒がれてたじゃん。ガイナスの社長が変わってさー、なんかすごい若いって。あんたも知ってるでしょ、弟がユース入ってるんだし」
「いや、あれはジュニアだから……って、え? うそ、もしかして、あの社長?」
「そう! なんと高校生なんだってさ!」
「うそ」
絶句して、志奈子をまじまじと見てしまった。
確かに若いなあとは思ったけど、まさか同じくらいの年だなんて思わなかった。
「だって、社長でしょ? なんで高校来るの?」
「さあ、そこはわかんないけど。でもさ、聞いた話じゃ編入試験、ほぼ満点だったって」
「うそぉ。うち、けっこう難しいのにー」
なんとなく口を尖らせてしまう。
やっぱりなんていうのか、別世界の人間だ。近づく試験に一喜一憂してる自分が馬鹿みたいに思える。
それと同時に、心臓が高鳴っている自分を押さえこむのに苦労した。
ガイナスのユースはみんなこの高校に所属するから、繋がりは強い。わからないわけじゃない。
だけど、まさか、社長なんて立場の人がすぐ近くに来ることになるなんて。
(どうしよう……なんだか、余計なこと言いそうでこわい……っ!)
基本的におとなしい方だと自己認識している性格は、だがしかし、たかだか十六年の人生で、ときどきとんでもないことをやらかしている。引き金を引かれてしまったら止まれないのだ。
いままでだってそうだった。目の前に前社長がいたらぜったいひっぱたいてやるのに!と握りこぶしで思ったことも一度や二度ではない。
ガイナスのサポーターは、けっこう、肩身が狭い。試合を見に行ったなんて話をしようものなら、すごく微妙な顔で「……へえ?」とか言われてしまうレベルだ。さすがにユースが所属している高校だから、「なにそれ?」でないだけマシなのかどうか。
サッカーにはそこまで興味ありません、という顔をしている理沙にとって、去年はもはや、試練の域だった。
あれだけひどい社長もそうはいないだろうし、厳しい時期に頑張ってくれるといっている人だから、きっと悪い子じゃないと――思いたい。思いたいんだけれど。
(で……できるだけ、近づかないでおこう。うん、そうだよ、同じクラスになるとは限らないし……!)
だがしかし。
こういうときに限って、くじというのは当たってしまうものなのである。
「眞咲 萌です。よろしくお願いします」
にこやかに笑った転校生に、教室のどよめきはなかなか収まらなかった。
テレビで見ていたから、綺麗な子だというのは知っていたつもりだった。つもりだったんだけれど。
(……本っ当に、かわいい……!)
理沙は内心でうめいた。
よく言うけれど、テレビと実物じゃ大違いだ。細いだけじゃなく全体的にすごく華奢。おまけに顔もとってもちっちゃい。
可愛くて自慢だったうちの制服が、まるで彼女のためにしつらえたみたいに似合っている。
「知ってる人がいたら嬉しいんですけど、ガイナス因幡というサッカークラブの社長をやっています。そこで、ひとつお願いが……」
言葉を切った転校生は、ちらりと担任を見て、いたずらっぽい笑みを見せた。
「先生、ちょっとだけ宣伝してもいいでしょうか」
「え? ああ、えー……どうぞ?」
戸惑いがちに担任が手を向ける。
では、と咳払いを一つ落とし、彼女は握りこぶしで切り出した。
「ただ今、ガイナスは大ピンチです。具体的にどうピンチかというと、本気でお金がありません」
美少女がきっぱり言うことじゃない。
呆気にとられるクラスメイトを前に、眞咲は力強く続けた。
「今年が勝負です。生き残るために一丸となって全力で頑張りますので、ちょっとでもご興味をお持ちいただけましたら、ぜひともスタジアムまでお運びのほどを! 来季よりグループ割引やカップル割引、ファミリー割引も導入しますのでご利用ください! なお、サポーター年会費は現物納付大歓迎です! 農家さんも漁師さんも牧場の方も、どうぞご協力をお願いいたしますっ!」
怒涛のような口上を滑らかな発音で告げ、ぺこん、と一礼。
それは会見のときに見せたような優雅なものではなくて、親近感のわく威勢のいいものだった。