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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 2
13/95

パンダと虚無僧

 


 


 


「え、何、社長来てるって?」

「マジで? 見たい見たい!」

「おおー。マジだ、本物だ。……って、なんでシロが一緒よ」

「ズリィぞ抜け駆け!」


 開けっ放しになった食堂の扉の向こうから、せいぜい青年といった年頃の選手たちが山となってこちらを覗いている。入り口にたむろするだけで入ってこないのは、おそらく寮長の背中が発するプレッシャーのせいだろう。

 かしましい騒ぎにちらりと顔を向け、眞咲はにこりと笑って挨拶代わりに小首を傾げた。

 おー、という感心するようなどよめきが起きて、その笑顔は苦笑いになる。


 確かに客寄せパンダの自覚はあったし、むしろそのつもりでイメージ戦略を展開してきたわけだが――なんで身内にまでパンダ扱いされているんだろう。

 少しばかり、がっくりきてしまう。


(……やっぱりまだ、「お客さん」なのね)


 フロントや周囲を固めるのに精一杯で、選手に関しては強化部長や監督陣に任せきりになっていた。――ついつい猫をかぶってしまう自分にも、原因はあるような気がするが。

 就任して日が浅いとはいえ、開幕までにはもう少し一体感を持ちたい。


(年が明けたら地域の奉仕活動もいくつかあるし、できるだけ参加して……交流イベント、回答待ちは二つだったかしら。それから……ああ、そうだ、高校はいつからだっけ?)


 ぼんやり考えていた眞咲は、目の前に運ばれてきたトレイに反射のような礼を言って――思わず、中身を凝視した。


 色鮮やかなパプリカとニンジンのポタージュスープ、白身魚のソテー。

 ミントが添えられたデザートは、豆乳のプリンか何かだろうか。

 おまけに小さなオムライスには、手作りと思しきガイナスのエンブレムがちょこんと立っている。


「……えーと……」


 顔を上げ、厨房に引っ込む寮長の背中をまじまじと見た眞咲に、白田が笑った。


「すげぇイメージ違うだろ。大体そんな感じなんだよな」

「何て言うのか……ずいぶん、かわいらしい、わね」


 少なくとも虚無僧テイストではない。

 メニューだけでなく飾りつけも可愛らしくて、まるでカフェのメニューか、そうでなければ新妻の料理だ。


 両手を合わせて「いただきます」と口にする。洗い物をしながら、寮長が無言で肯いた。

 スープは塩加減も絶妙で、やにさがりそうになった。会食以外でのまともな食事は久しぶりだ。なんだかんだ言って、おなかがすいていたのだと今さら自覚する。


「……おいしい」

「そりゃ何より」

「教師じゃなくて、シェフだったって言われても信じるわ。レシピつきでブログとかやったら広報になりそうね。寮長、パソコン使えるかしら」

「……すぐ仕事に行くのな、あんた……。仕事取り上げたらやることねぇだろ」


 呆れまじりの言葉に、眞咲はむっとして顔を上げた。


「失礼ね。そんなことないわ」

「ほー。じゃあ何して暇つぶすんだよ」


 思わず言い返したものの、改めて訊ねられると言葉に詰まった。


 ――趣味らしき趣味は……ない。暇だなんてものは今に至るまでまったくといっていいほど存在しなかったから、それで困ったこともなかった。読書はほとんどビジネス書だの経済誌だの仕事関係ばかりだし、音楽はクラシックを多少、知識として知っている程度。運動神経がないからアウトドアなんて選択肢はそもそもない。

 考えるほど眉根が寄っていくのがわかり、眞咲は口元に拳をあてた。


 もし、いきなり、明日一日仕事がまったくできないとしたら。

 ――昼寝くらいしかすることがないような気がする。


 あまりに長い沈黙に、白田が気まずげに後ろ頭を掻いた。


「……悪い、そこまでマジになって考えて出てこないとは思わなかった」

「謝らないで。何か趣味くらいあるはず……!」

「あー、じゃあ、趣味じゃなくてさ。何か、やりたいこととか」


 仕事以外で、と眞咲はテーブルを睨みながら内心で復唱して、ふと声をこぼした。


「あ」

「ん?」

「サッカー、見たいわ」

「……それ仕事だろ」

「そ、そうじゃなくて。単純に試合を観戦したいだけよ。……この間の試合、面白かったから。……うん、これはちゃんと、興味だと思う」


 眞咲は一人うなずいて満足する。無趣味人間のレッテルは回避できたはずだ。

 機嫌を立て直して少し冷めてしまったスープに口をつけると、ぼそりとした返事をよこされた。


「……そいつは、どーも」


 もごもごとしたお礼の言葉に顔を上げると、白田がいわくいいがたい表情で顔をそむけていた。

 眞咲は首を傾げた。笑うのを堪えているような、妙な顔だ。


「何?」

「いや、なんでも――」


 白田がごまかすような咳払いをしたとき、すっかり忘れていた出入り口の人だかりから長身の青年が乱入してきた。


「なに雰囲気作ってんのかなーお前はっ」

「うわっ!? っぶね!」


 背後から頭を引っ張られ、白田が引っくり返りそうになって悲鳴を上げる。

 わざわざ足音を忍ばせてきたらしい。

 突然の行為に顔をしかめ、眞咲はため息を吐いた。


「……一体何をしているんですか、新屋さん」

「あ、ひでぇなー他人行儀。喜成さんって呼んで♥ よっしーでも可」

「力の限りお断りします」


 眞咲が笑顔できっぱり答える。

 一度堰が決壊したからか、どやどやと選手が食堂に入ってきた。


「新屋さん、それセクハラっすよ」

「何ぃ!? お前先輩に対してこともあろうにそんな単語をっ!」

「いや、普通にセクハラだし」

「うん、セクハラだよな」

「お前ら……くっ、なんて薄情な奴らだ!」

「意味わかんねーし。こんばんはー、社長。お疲れ様ー」

「これ夕飯? 足りるの? あ、気にしないで食って食って」

「社長ー、危険ハ新屋サンヨリ白田ダヨー。コンナ顔シテむっつり――」

「おいちょっと待て捏造すんな! 誰に吹き込まれた、フージ!」

「新屋サン」

「新屋さんッ! どーいうことッスか!!」

「え、事実じゃん」

「うん、事実だな」

「まごうことなき事実だとも! なあみんな!」

「いい笑顔で親指立ててんじゃね――――――!!」


 あっという間に大きくなった騒ぎに、眞咲はこめかみを押さえた。おまけに蚊帳の外だ。

 時折飛んでくる話題に苦笑いに近い笑顔で応じながらとりあえず食事を続けていると、不意に、腹に響く低音が聞こえた。


「おい」


 とたん、騒ぎが風船の空気を抜くようにしぼんだ。

 長身痩躯の寮長が、腕組みをして鋭い眼光を飛ばす。


「……風呂入って、とっとと寝ろ」

『ウス!!』

「って、俺も!?」


 蜘蛛の子を散らすとはこのことだろう。あっという間に散会した面々(むしろ新屋に首根っこをつかまれて引きずられて行った白田)に眞咲が呆気にとられていると、寮長は気難しげな顔に憮然とした表情を乗せて、ぼそりと言った。


「すまんな」

「え? いえ、大丈夫です」

「疲れとるだろうが」


 きょとんと目を瞬き、眞咲は苦笑する。

 まるで叱っているような低い声だが、不思議と労わられているような気分になった。


「……そんなに、無理をしているように見えますか?」


 返事はなかった。

 肯定なのか否定なのか、ちらりと見られただけではわからない。口数の多い人ではないようなので、眞咲は諦めて大人しく食事に専念した。

 トレイの中身をすべて空にして、遅い夕食を終える。

 騒ぎのために冷めてしまったのが残念なくらい、食の進む料理だった。


「ごちそうさまです」


 寮長が無言で肯き、トレイを手に取った。

 近くに寄れば寄るほど、監督とは対照的な組み合わせだと思う。小柄な観音様と長身の虚無僧。想像すると、なかなかシュールな光景だ。

 コートを羽織り、眞咲は洗い場に引っ込んだ寮長に声をかけた。


「ありがとうございました。お手数をおかけして――」

「構わん」

「……ええと、おいしかったです」


 無言のまま、肯きが返る。

 会釈した眞咲に、無感動な声が言った。


「夕飯は18時からだ」

「え?」


 振り返り、かけられた言葉を咀嚼した。

 今日の手間を叱っているわけではないだろうから――多分、食べに来いということなんだろう。

 細く息を吐き、眞咲は苦笑いを浮かべた。


「すみません。努力します」

 

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