求めているもの
車を降りて総取締役に挨拶を終えると、溜まりきった疲労に思わずため息が落ちた。
(……ああもう、疲れた)
丸まった背中をどうにか伸ばして、眞咲はくしゃりと髪をかき混ぜた。
ガイナス因幡の事務局は、かなりの割合が親会社からの出向社員で占められていた。彼らの来年度以降の取り扱いについては、お互いに譲りがたい部分でもある。人事担当との話は平行線をたどっていた。
それでも中国電工としては、解散させるよりは売却を実現させることを望んでいるのも確かだ。
総取締役の鈴木から上層部にかけあってもらい、いくらか資金を回収できるならばという言葉を引っ張り出した。その時点で勝ち目は出ていたのだが――当然面白くない思いをした人事担当から、延々とチクチク言われる羽目になったのである。
頭上を乗り越えて交渉したわけだから、無理もない。
気分を切り替えるためにもう一つ息を吐いて、眞咲はふと足を止めた。
練習場の方から声がする。大勢の人の気配に、首を傾げた。
(あれ? ……まだやってるの?)
思わず時計を見た。出たときにはもう始まっていたから、ゆうに二時間は経っている。まだ試合をしているとは思わなかった。
誘惑に駆られ、眞咲は足を止めたまま空を仰いだ。
(……うん。ちょっとだけ)
今日のような意味を持つ試験試合に社長が居合わせるのはいいこととは言えないだろうが、さすがに消耗した。デスクワークに戻る前に気晴らしが欲しい。
練習場に回ってみると、やはりまだ練習試合は続いていた。
「あれ、社長? お疲れ様です」
こっそり覗くつもりで行ったのだが、後ろに目でもついているんじゃないかというようなタイミングで広野が振り返った。
なんとなくうしろめたいような気分になって、眞咲は空咳をする。
「ずいぶん長引いてるのね。大丈夫なの?」
「うーん、シーズンの疲れはまだ取れてないですね。まあ、でも更改は年内にやっておかないと、行くとこなくなっちゃう可能性がありますし」
「……そう」
極力感情が表に出ないようにして、答えた。
プロスポーツの世界は、シンプルでシビアだ。使えるか使えないか、今のチームに必要か否か。その判断に悩むことはあっても、結果として切り捨てられる人間は常に存在する。
一丸となることを求めるならばと眞咲は現有戦力の維持を考えていたのだが、通常の企業経営とは大きく違うのだと思い知らされる。
「……でもちょっと、ハードすぎるような気がするよーなしないよーな……」
「え」
ぼそっと落ちた呟きに、思わず顔を上げる。
椛島がころころと笑った。
「あらあら。生き残るための戦争が、ほどほどでどうするんです?」
「お言葉ですが、怪我人を出しては元も子もないのでは?」
思わず口を挟んだ。
とっさに発言を悔やんだが、監督はにっこりと笑顔を見せて、ピッチの中に目を戻した。
「もうすぐ終わりますよ。折角ですから、見てお行きなさいな。あなたが抱えていこうとしているものを」
ものやわらかな口調だったけれど、心臓を掴まれたような気がした。
とっさに言葉を返せずに、眞咲は言われるまま、荒れた天然芝のグラウンドを見た。
サッカーの公式試合は90分だ。いくら頻繁に入れ替えているとはいえ、足が止まりかけている選手も少なくなかった。
それでもその顔には、苛立ちや怒りに似た気迫があった。
「オラ右だ、喜多! 西、ファー切れ!」
ゴールマウスを守る新屋が声を飛ばす。
ボッ、とサイドから蹴りこまれたボールを、走りこんだ白田がヘッドで流した。
(っ……!)
眞咲は思わず息を呑む。
待ち構えていた外国人選手が、すかさずシュートを打ち込んだ。
地を這うような低い弾道。
ゴール隅に飛び込もうとしたボールを、新屋が押さえ込むようにして捕らえた。
「クソッ」
「っし、いいぞ! 足止めんな、上がれ!!」
まだ若いDFに、発破をかけるその姿に、先日眞咲をからかった軽さはない。
大きく蹴り出されたボールはセンターラインを超えて、ほとんど動いていなかった掛川に渡った。
練習試合とは思えないと感じたのは、眞咲がまだサッカーというものをよく知らないためか、それとも監督の言葉どおり、これが生き残りを賭けた戦争だからなのか。
早鐘を打ち始めた心臓を、宥めるように息を吐く。
唇を結んだ眞咲に、椛島が選手のプレーを眺めながら言った。
「プロになれるのは、高校までサッカーをしていた子のうち、ほんの一握り。蹴落とし蹴落とされ、生き延びることができるのは、さらにほんの僅かな選手だけです」
眞咲は椛島を見た。
穏やかに見える目に映っているものは、自分とは違うもののような気がした。
「……そうやって篩い落とし、切り捨てて……そうまでして求めているものは、何だと思いますか?」
眞咲は眉をひそめる。
口元に笑みを浮かべ、椛島は強い口調で言った。
「勝利です」