宿屋に残された手記
──さて、ここが件の館だろう。
深い森の奥、道中では晴天の下色鮮やかな毒花が咲き乱れ、特有の香りで虫を誘い出し栄養源としていた。そんな色鮮やかな毒花と緑に囲まれ、木漏れ日に照らし出されている廃墟。
外壁の横板は白い塗装が所々剥がれ、割れた裏から下地が見えている。窓ガラスこそ割れてないが、窓枠には大きなヒビ。見上げた屋根材の端はかろうじて繋がっているのか、捲れた屋根材がぶら下がるように風で揺らめいていた。
廃墟の廃れ具合と明るい景色が何処となく栄枯盛衰を感じさせ、それは描き上げられた1枚の絵画のように思える景観であった。
爽やかで清涼な青さの中に紛れる微かなカビ臭さと毒花の薄い甘ったるさ。夜に来たならば不気味に見えたかもしれないが、晴天下においてはただの経年劣化で古くなった館。聞いた話では2年程前から居住者が失踪して今に至る。館外周を見て回り気になったのは、外壁や窓枠の劣化に対して窓ガラスが綺麗に見えた事であった。
玄関の取っ手に手をかけると、まるで誘うような自然さで静かに扉が開き、足は淀み無く館の中へと踏み込んでいた。
◆◆◆
私はいつも考える、この旅の終わりについて。
きっとそれは辿り着く場所ではなく、私の求める何かに気づけた時に終わるのだろう。
そう思っていた。
今日辿り着いた街はオークレア領にある都市の1つ、商業都市だ。
目的地ではなく、放蕩した先にあっただけの通り道。生きる為には良質な食事と休息は必要。急ぐ道程ではない、ならば目先の快楽を優先するのも悪くはないだろう。
商業都市と言うだけあり、人に溢れ活気に満ちている。宿屋も安い所から高い所、飲食街に娯楽施設が充実。それなりに良い宿を取り、部屋で一息をつく。荷物を一処に纏めて手記とペンを取り出し、備え付けの椅子に腰を掛けると机に手記を開いた。
コンコンと乾いた音が入り口から響き、一声の後に店員が頭を下げ室内へ入ってくる。宿泊に付帯して、陶器の杯に入れられた温かい飲み物を提供しているらしい。手記の横へそれらを置くと店員は再度頭を下げた。
「こちらへは御旅行で?」
「そうですね……、たまたま立ち寄った。と言うのが正しいかもしれません」
「そうでしたか。予定にない道中と言うのも予期しない発見があり面白いものですよね」
「この周辺は初めて来たのですが、何か面白いものはありますか?」
「面白いものですか……」
ふぅむと考え込んだ店員は少しばかり瞼を閉じた後、窓の外を見やる。
「初めていらっしゃったのであれば、この街を見て回っても面白いとは思いますが……。お客様は噂話などはお好きで?」
「何か面白い話が?」
「面白い、と言うよりは不気味な話になりますが……。この街の南に別の都市へ続く道がありまして、その道中の森の中に長らく人の住んでいない館があるのです。そこに行った人は帰ってこないとか」
「よくある怪談ではありますね。いつから住人はいないんですか?」
「2年程前ですね。何回か住人が変わっていた様なので、それに尾ひれがついたのかもしれませんね」
「何か事件でも?」
「それは聞いた事がありませんね……。そもそも館自体がいつからあったのかを知っている人に会った事がありません。どうにも5年前にはあったみたいなのですが」
「人が住んでたのは知ってるのに、いつから館があったかはわからないんですか。それは少し不思議ですね」
「ははは、少しでも楽しんでもらえたなら何よりです。それではごゆっくりお休みください」
朗らかな笑顔を浮かべた店員は部屋を後にする。店員が見据えた窓の先、南に面した通りの先に木々が生い茂る森が見えた。
なるほど、たまにはそんな寄り道も悪くはない。ともすれば、その寄り道こそ運命であり私の求める何かがあるかもしれない。杯に注いだ飲み物から湯気が立ち、香ばしい香りが鼻を抜ける。その落ち着く香りに気を許し、ペンを取ると開いた手記に墨を引いた。
◇◇◇
L887/09/54_12:00
オークレア領マレビス地区、商業都市ヴィルヴィア着。
宿屋シャロンテールを拠点に数日滞【これうめぇな】在予定。
初めて来たが活気のある街である。
これが数年前までは魔王の支配域で【結局、勇者はどこに行ったんだか】魔族が跋扈する恐ろしい都市だったとは思えない平和さだ。
店員から面白い話も聞いた。
今日は街を回り、明【魔物もこの辺じゃ見なくなったなぁ】日は件の館へ行くとしよう。
◇◇◇
日付のみペンを走らせた後に、ペンから手を離し杯に口をつける。熱を持った呼気が口内を焼いた。本来自重で机に転がるであろうペンは自立して手記の上を変わらず走り、思考を殴り書いていく。これは旅の道中で得た魔法道具のペンと少しばかりの魔法技術の賜物である。自身の思考とペンをリンクさせて遠隔で自動筆記を可能とする魔法。難点は整理しない思考すら反映させる為、気を抜くと文脈を無視して唐突に【これうめぇな】等と感情的な言葉を力強く書くことだろう。
この手記は私に何かあった時の為に宿に置いて行く。
きっとこの手記が私の帰る場所となり、無事の帰還を果たすだろう。
これは遠隔筆記を得てから始まった1つの願掛けであった。
◆◇◆◇◆◇
L887/09/55_09:00
館の扉は音も無く開いた。
あまりに手応えがなく、誘い込まれたとすら錯覚する。
どうにも見た目の劣化具合と噛み合わない所が散見され、やや不穏さはあるが引くべきか。
窓ガラスが綺麗なことが幸いしてか、館の中は存外に明るく視認性がよい。僅かにカビ臭さはあるもホコリ臭さはなく、空気もさほど淀みがない。住人がいないだけで来訪者は定期的にいるのだろうか。
──いや、どこからか緩く風が流れている。
劣化による隙間風だろうか。
L887/09/55_09:10
しばらく歩いたが静かだ。
視界に映る景色は廃墟の廊下そのもの。廊下の板は所々に穴が空き、ヒビ割れ欠けている。踏んだ感触も自重で沈んでいる事を認識させた。だが音がない。こういった劣化した建物であれば重さで床板がたわみ軋むものではないか。しかし、この館ではそんな音が一切しない。
壁に関して言えば、壁紙が破れてめくれ下地の板が見えている。
……何となく違和感があった。
どうにも見た目は壁の下地と仕上げの壁紙だが、何というべきか厚さを感じない。一つの壁を塗り分けたような【どうなっている?】平坦さ。
触るか、否か。【止めるべきではあるが】
考えるより先に好奇心は手を伸ばす。
触れた下地は確かに木の感触と特有のざらつきを指に伝えた。そのまま下地をなぞり、壁紙に触れる。やはり素材が違うのは確かなようで、ほんのりと柔らかく奥行きのある感触がした。しかしながら人の目とは凄いものである。見ただけで違和感に気づけるのだ。この壁は見た目と質感こそ違うが素材が一体化して素材間で厚み差がない。それどころか素材間で【木材がそのまま壁紙になっている?】区切りも存在していない。こんな建材が存在するのだろうか?
L887/09/55_09:30
一通り館を見回り終え【3階が一番上か】立ち止まる。
不意に視界が開けた気がして見上げた天井が高い。
……こんなに高かっただろうか。
最初に見た時は白い色の仕上げだった気がしたが、どこかくすみ朽ちている【やはり劣化している】ように見える。天井の仕上げも捲れているが恐らく壁と同じで一体化しているのだろう。その捲れた仕上げが緩く揺れている。それを見て初めて気づく。ほんの僅かな微風が肌を撫でていた。それは定期的に切り替わり正面からは清涼な、背後からは僅かに生暖かい風が【外からの風ではない?】吹いてくる。自然の風が隙間から入ることはあるだろうが、定期的に切り替わるのはあまりに不自然だ。
……早く外へ行こう。【好奇心は猫を殺すというが……】
一通り見終わったここに用はない。
L887/09/55_10:00
おかしい。
玄関まで戻った記憶はある。だが気づけば館の奥におり、何度も玄関へ向かっていた。
出られない。【失敗した】
床も天井も壁も、気づけば完全に朽ち果てた見た目に代わり妙な脈動を打ち始め、空気全体が【あぁ、この生ぬるさは何かの呼気のような……】生ぬるい。妙な匂いがする。
匂い自体は薄いが甘ったるい。だが不快ではなく、鼻に馴染むと違和感無く心地よい。【違和感に慣れるな】それは何処かで嗅いだ気がする香りであった。
窓の外を見る。
一瞬、窓ガラス全てに瞳が【内側を見る必要があるのか?】見えた気がした。
恐らく窓ガラスが経年劣化により湾曲し、日光を反射させた結果だろう。だが、外が変に暗い。まだ午前中で日も出ている。にも関わらず暗い。窓ガラスに近づき確認するが、ガラス自体は透明な様だ。触れると指の腹とは違う柔らかさを感じた気がしたが、強く押すと硬い板であった。少しばかりのぬめりは指先の汗だろう。
L887/09/55_10:30
出られないのであれば、出る手段を探すしかない。
そう思うも足が【行かなければ】重い。思考に引き摺られるようにして【行かなければ】ようやく足が持ち上がった。ふらふらと出口を探そうと足が勝手に動き出す。何度か向かった玄関とは【行かなければ】違う方へと歩きだし、散策した際には見た覚えの無い場所へと辿り着く。
ここが館の【行かなければ】最奥だろう。何故だが、そう直感した。
薄暗い廊下の突き当り。何色とも判別しが【あの先に】たい肉質的な壁の中央に、普通の木戸が配置されていた。そこからは他の場所よりもはっきりと【あぁ、誘われて】空気が流れ出し肌を撫であげ、強い甘さが漏れている。木戸へ向かい一歩踏み出すと足裏に伝わる感触が変わった。
──くちゅり。【気持ち悪い】
足元から粘性を帯びた水音が聞こえた。体重を受ける床の強度が変わり、足が僅かに柔らかく沈【逃げなければ】んだ。
これ以上は危険だ。【目の前に美味しい】
曇る思考の中、逃げる為にも後ろへ振り返る。そこは今まで歩いた館の風体など微塵もない、一本道の肉の洞穴。恐らく出口と思われる突き当たりには両開きの扉が配置されており、外の光を取り込んで眩しく光っていた。
脳内で警鐘が鳴り響くも、理性を置き去りに足は奥へと進み光が遠ざかっていく。
ぐにっ、くちゃ、ぬるっ、ぐちゅ。
脈動する肉が粘性の音を立て、最奥へと自分を押し【これではまるで飲み込まれる様な】運んでいく。
気色の悪い感触と音が【もう目の前に】心地よい。
あぁ、甘い匂いが思考をぼかしていく。
ゆっくりと伸ばされた手が木戸の取っ手を【早くはやくハヤク】掴んだ。
◆◇◆◇◆◇
生物とは適者生存。
弱肉強食を是とする魔王ですら勇者に討伐されたこの世界。もし現在に至るまでに絶滅した生物と同様に考えるならば、魔物も環境に適応したものが生き残るのだろう。
魔物に対する敵対環境を考えるならば、やはり最も厄介な要素は人間だ。それは魔王すら討伐された事を考えれば道理だろう。厳しい自然環境ならば快適な自然環境の土地で住めば良い。食料が無くなれば移動すれば良い。だが人間は討伐すべきと判断すれば、魔物の生存環境や習性など気にせずに現れ討伐を敢行する。
つまり、魔物にとっての現環境による適者とは人間に気付かれない事が最たるものだ。
魔王が存在した頃、ミミックと呼ばれる魔物がいた。
それは魔族が関わる建物に住み着き、宝探しで生計を立てる冒険者を待ち受け捕食すべく宝箱のような箱物に擬態していた。魔王亡き今では見なくなったが、果たして絶滅したのだろうか。
もし魔物が、ミミックが進化、あるいは特殊個体だけが現環境に適応したならば?
餌は人間、擬態は箱物……。
どうにかして人間を誘い込めるのなら……。
◆◇◆◇◆◇
L887/09/55_10:35
木戸を開くと熱を帯びた【ついに】空気が溢れ出す。
刺激的な甘さが【ついについに】脳に突き刺さり、目が眩む。
辿り着いたそこは部屋とは言えない【鮮やかな】空間であった。
淡く桃色に明滅する肉質的な壁が活発に脈動し、青と緑の筋が空間を抑えるように網目状に【桃源郷が】浮き上がっている。
──それが妙に美味しそうに見えた。
否、美味しい果実だと脳が理解していた。
理解よりも【早く】体は跪き【食べなきゃ】両手を床につけ、顔を押し【たべなきゃ】付ける。両手に、顔に柔らかく生暖かい感触【あぁ甘い】が伝わり、顔全体に粘膜がまとわり付【顔中が甘い】く。全身が総毛立つ感覚に身震いするが、侵食する粘液に全身【あぁ甘い】が包まれると震えは止まった。耳から、鼻から、目から……、【食べたい】粘液は体の内側を犯しては細胞の一つ一つに染み込んだ。耳障りで心地よい音を脳内に響かせながら【全てが】甘い香りに溺れていく。突き立てた歯が【犬歯で、唇で、舌で】ぬるりと果実の肌を何度も撫でるが、食べたい。【果実が掴めない】諦められない。
【何度も、何度も】
【何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も】歯を突き立てる。
明滅する空間に照らし出される影は、死肉を貪る魔物そのものであった。
──ずぷり、と歯が肉に突き刺さる。
【あぁ、私を。私達を食べて】
粘膜とは別の生臭い、ドロリとした【甘い、酷く甘い】液体が口内に流れ込んだ【喉に纏わりついた】瞬間、館全体を振動させる声にならない咆哮が全身を揺さぶった。
◇◇◇
L887/09/55_12:00
気がつけば館を背に外にいた。
私は何をしていたのか【ここは……?】思い出せない。
振り返れば朽ちた館。
あぁ、そうか。物見遊山で散策に来たのだ。
だが所詮噂は噂、ただの廃墟であった。
日が高い。
存外長居してしまった【そんなにいたか?】様だ。
鼻腔に残る甘さと生臭さは【心地良い】館に長居したせいか。
ほんのりと胃に熱を感じるの【満たされた果実の】は空腹感だろう。
宿に戻って昼飯としよう。
あぁ、晴天下の木漏れ日と肌を撫でる清涼な風と花の香りの心地よさ。
【人間とはこうも心地よいものか】
◇◇◇
「おかえりなさいませ」
「ただいま、お昼御飯は出来ていますか?」
「えぇ、もちろんですとも。午前はどちらへ?」
「面白い話を聞かせてもらったので、件の館へ」
「ははは、そうでしょうね。お食事はお部屋にお持ちしますので、まずはお風呂へ行かれると宜しいかと」
「では、そうさせてもらいます」
「はい、では後ほど食事をお持ちしますので」
噂話を教えてくれた店員と会話後に、促されるまま風呂を済ませて着替え終える。開かれた手記の上に転がるペンを見て椅子に座り目を落とした時、扉が叩かれ店員が顔を出した。
「お待たせしました。お食事をお持ちしました」
「ありがとうございます」
にこやかな店員は手記の横に料理を配膳していく。
「結構豪華なんですね」
「お客様は特別ですよ」
2つ置かれたガラス製の杯には、赤い、ドロリとした。そしてメインディッシュには……。
「いつでもお越しください。共に乾杯しましょう」
「生物の本懐は生きる事、それは人間も魔物も変わりませんね」
「その通り。生きたもん勝ちなのです。魔王様のような絶対的な強さは不要」
「細く長く永遠に。いずれは私達が魔王様以上に世界を支配するんでしょうね」
カチン、乾いた音を響かせた2人は杯を一息に空け楽しそうに笑う。
まるで旧知の様に、旧来の友の様に、家族の様に【同一存在の様に】──。
何事にも始まりがあれば終わりもある。
きっと私の旅は今日終わったのだろう。
そして今日からは、新しい旅に出る。
──私達が世界を支配するその日まで。




