シリウスが私と国を守って死ぬときは 私も死ぬからね
神竜フレドリックが死んだ、その後。
未明になって、僕はようやく自室へ向かった。
廊下の途中で「エデ」と呼ぶと、すぐに大柄なメイドが後に続く。
「リヒト様は、ショックが強く、
嘔吐を続け、ようやくお休みになっても、すぐに起きて嘔吐なさいます。
先ほどまた眠りにつかれました。」
それを聞いて、僕は自室ではなく、リヒトさんの部屋に足を向けた。
「この後は僕がリヒトさんを看る。…僕は、朝までリヒトさんと共にいる。
後は取り計らえ。」
エデはすぐに下がる。
僕はリヒトさんの部屋に行くと、ノックをせずにそっと扉を開けた。
枕元に近づくと、ネグリジェのリヒトさんが背を丸めるようにして、
眉根を寄せ、土気色の顔をしかめたまま寝ている。
胸が締め付けられる思いがする。
僕が守りますと言ってあげたい。
土気色の額に手を伸ばしたが、ようやく眠りについたことを思い出した。
手を握りしめて、ただ、よく休めるようにと祈った。
小さいノックの音が聞こえ、エデが入ってきた。
僕の着替え、湯を張った陶器の桶、熱いタオルなどが準備した台を置いてくれる。
軽食や酒まで添えて。
僕がエデに「ありがとう。」と頷くと、彼女は即座に退出した。
リヒトさんが良く寝ていることを確かめると、
僕は服を脱いで、香油を染み込ませた熱いタオルで、
頭と身体を拭けるだけ拭いた。
湯に浸かって、先ほどの悍ましい事件を洗い流したいが、
今はこれで満足すべきだろう。
その間に、サンドイッチやマフィンを次々と口に詰め込んでいく。
行儀は良くないが、体技学院や騎士学校で会得した特技だ。
柔らかいシルクのシャツを着て帯剣すると、
グラスに酒を注いで、リヒトさんの元に戻った。
リヒトさんの眉から影が消えている。深い眠りについているようだ。
僕はホッと息をつき、リヒトさんの枕元に準備されたソファに体を沈め、
オットマンに両足を投げ出した。
最近、ツヴェルフェト王国内で州独立運動が活発化している。
十二支の王が煽動している運動ではない―というのが現時点での調査結果ではあるが、
十二支の各王、各種族の狂信者がいるのは確かだ。
各州が独立して、国となることに、彼らは何の利益を見出しているのか。
不利益に目を向けているのか。
まともな話が通じないのが狂信者で、
教育を充実させても、一部にはどうしても残ってしまう。
内心は自由だから、物理的な動きが起こらなければ何でもよいが、
最近はそうではない。
クロエの殺害も、昨日マリアを殺そうとした暴漢も、僕とリヒトさんを襲ってきた輩も、
おそらくはこれに関連している。
なぜ、急にこのような動きが活発化したのか?
僕が思うのは、誰か求心力のある中心人物が出現したのではないか。
疑心暗鬼に陥るのは禁ずべきだが…
十二支の王クラスの、力と求心力のある人物が…
あの愛すべき彼らに?
生まれたときから僕を守り続けてくれた彼らに?
僕はグラスの酒を一気にあおった。
手を伸ばせば届きそうなところに、リヒトさんの寝顔がある。
3年間も離れ離れで、大神殿に帰ってからも会えなくて、
フレディの凄惨な事件があって…
今ここに、リヒトさんの寝顔を見ていることが嘘のようだ。
でも、これは嘘ではない。
そして、リヒトさんがリヒトさんであることも…
リヒトさん…
リヒトさんの寝顔を見つめるうちに、僕の瞼も重くなっていった…
********
目を覚ましたときに、私の視界に入ってきたのは、
ソファに座って目を閉じるシリウスの姿だった。
身を起こして周りを見たが、シリウスしかいない。
きっと、私が具合を悪くしたと聞いて、付き添ってくれたのだろう。
シリウスこそ、遅くまで大変だったろうに…
窓の外は徐々に明るくなっているものの、雲が低く垂れこめている。
毛布を掛けてあげたいが、起こしてしまいそうだ。
帯剣までして、神経を尖らせているのだから。
私は諦めて、そっとまた横になった。
そうしてまた、シリウスを見る。
思い出すまいと思っても、グロテスクな光景が私に蘇ってくる。
神竜フレドリックの、双子の妹への歪んだ、道に外れた恋。
彼は、自身に向き合わず、周囲を、とりわけシリウスを、
恨み、
妬み、
憎み、
その結果、妹を殺し、人外に堕ちた。
あれを眼前にしても全く動じず、完璧に動く十二支は、やはり十二支だ。
私など、ただ怯え、竦み、目を逸らし、守られるだけ。
でも、その十二支の命が絡む事件が…数年おきに起こっていないか?
クロエ様は?
…偶然だ。
コルデールの襲撃事件は?
…これも偶然だ。
神竜フレドリックの件は?
…彼自身の問題だ。
遡れば…あの誘拐戦争は…?
…偶然に決まっている!
でも、もし偶然じゃなかったら?
今後、シリウスにも……?
私は、憂いを含んだシリウスの寝顔を見ながら、思わずシーツを握り締めた。
どうか、神様、
どうか、シリウスの命をお守りください…
シーツに顔を埋め、手を握り合わせて祈る。
「大丈夫ですか…?」
ハッと目を開けると、シーツがめくられて、シリウスが私を覗き込んでいる。
私はパッと起き上がった。
「ごめんなさい。起こした…?」
「十分寝ました。それより、苦しいですか?
水飲みますか?」
言いながら、シリウスは水差しからグラスに水を注ぐ。
どうしてかくもシリウスは、一つ一つの動作が様になるのかとぼんやり見惚れていると、
シリウスが静かにグラスを手渡してくれる。
「グラス、持てますか?」
と言いながら、屈みこんで私の背中を支え、グラスを口に持っていってくれる。
もう大丈夫なのだが、この優しさに甘えておきたい思いが勝って、そのまま飲ませてもらう。
「シリウスは大丈夫…?ちゃんと食べた?」
「僕は寝る前、ここで結構食べました。
リヒトさんこそ、少し食べないと…」
というと指をパチンと鳴らす。
すぐにノックが聞こえ、扉の外から、エデさんの「参りました。」という声が聞こえる。
エデさんは元・女性騎士で、親衛隊長ダンテスさんの奥様。
シリウスが、私がコルデールから戻ってきたときに専属の護衛・メイドとして付けてくれた。
無口だけど、頼もしくて優しくて、恐ろしく仕事が早い方だ。
シリウスは「リヒトさんの食事を、ここに。」と短く言う。
エデさんは、すぐに支度を整えて来てくれるだろう。
…私の考えはちっともまとまっていない。
でも、エデさんが来るまでに言わなければと思った。
私は、うなじの刻印に手をやった。
熱を持っている気がする。
どんなに「偶然だ」と言い聞かせても予感は剥がれ落ちない。
それなのに、私は、昨夜のように、
ただ怯え、竦み、目を逸らし、守られるだけなのか?
それは嫌だ。
シリウスが背負っている重荷を共に背負いたい。
私は、曇天の中に広がる薄明を見つめながらシリウスに問うた。
「何かが、十二支に起こっているのね?」
グラスを机に戻していたシリウスの動きが止まった。
「シリウス、貴方にも、また、何かが起こるかもしれないのね?」
私はシリウスの方を見た。
シリウスはグラスに目を落としている。
その姿こそが答えだ。
「『命に代えてもツヴェルフェトとリヒトさんを守る』とか、バカなこと思ってる?」
シリウスは私に向き直って、ムッとしたように言い返す。
「バカなこと?
命に代えなきゃ守れないときだってある!
僕は死んでもリヒトさんを…」
「馬鹿シリウス!!!!!!!」
私は爆発したようにベッドに立ち上がると、思いっきりシリウスの頬を引っぱたいた。
シリウスは反射的に私の手を掴んで、怒りを含んだアクアマリンの視線でキッと見る。
「何するんです!!」
私は掴まれた手を引き離そうとしながら、この鈍感バカに怒り心頭になった。
「バカだからでしょ!!!」
彼の鋼鉄のような指と腕は、私の反抗ごときでは微動だにしない。
「何がバカですか!!!
いつもそうやって、何も話してくれずに、勝手にして!!!」
「全部話さないと分からないの!?
だからバカなんでしょ!!!!!」
私は「離して!」と歯ぎしりしながら、反対の手でシリウスの指を引きはがそうとする。
シリウスは、その反対の手も易々と掴み上げると、光を放つ目で私を睨んだ。
「貴女と国に命を懸けようという僕の気持ちを、バカ呼ばわりですか?」
ああ…この人はバカだ。
「君が、命を懸けて国を守ったら…」
私の声は、否応なく戦慄いた。
「私を守って、君が死んだら…」
耐え切れずに涙がこぼれ落ちる。
「私、すぐに死ぬから。」
(次話に続く)




