シリウスが恋心に気付いたとき それが恋しいリヒトとの別れのとき
強烈な痛みで、僕は目を覚ました。
外は、まだ暗い。
顔に手をやると、ユーリのように包帯でぐるぐる巻きにされている。
僕は、痛みを緩和する神通力を自分に掛けようとして、やめた。
この痛みも傷も、リヒトさんの唇が、僕の口に触れた証だ。
リヒトさんの微笑む顔、
吸い付くような耳たぶ、
滑らかな首筋、
僕の首に回した手
微かな吐息、
細い体の柔らかい部分…
そんなことが次々と思い浮かぶ。
どうしていいか分からない。
いっそ転げまわりたくなる。
僕は、柔らかい枕の一つを抱え込んで、西の空にかかる月を見つめた。
僕は一度目を閉じた。
そして、諦めて、これまでの僕のリヒトさんへの気持ちに、名前を付けた。
これは「恋」だ。
簡単なことだった。
神鼠は、猫に恋をしてしまったのだ。
あの気高い猫族の少女は、
僕の感情を再生するだけでなく、
創生までしたのだ。
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僕は、枕をリヒトさんの頭に見立てて抱え込んだ。
口もつけようとしたが、包帯が邪魔で、できなかった。
これでも、在位8年のこの国の大王だ…
恋と認めてしまえば、後は進むだけだ。
この想いを、リヒトさんに伝えるんだ。
リヒトさんは、僕をどう思っているんだろう。
あの「会いたかった、ずっと」は、どの意味なのか。
聞く前に獣化してしまったのが残念だ。
僕の「恋」を伝えたら、リヒトさんにもう一度聞こう。
いや待て、「恋」を伝える前にすることがある。
フレドリック、マリア、リュウザキ夫妻に会って、
婚約の予定を断るんだ。
これは、僕から直接言おう。
色々大変だろうが、そこは乗り切ろう。
閉会の儀の前後に、彼らと面会する時間を調整するよう、ロベルトとステファニーに言わないと。
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また傷の痛みが激しくなった。
うたた寝から覚めた衛兵に、ロベルトを、可能であればステファニーも共に呼ぶよう命じた。
僕は、久々に晴れやかな気持ちだった。
起き上がり、服の乱れを整えて、白いガウンを羽織る。
彼らと話しやすいよう、痛みを止める神通力を自分にかけた。
*************
彼らはすぐに来た。
ステファニーが何か言おうとするのを制して、僕は切り出した。
「フレドリック、マリア、リュウザキ夫妻と面会する時間を調整してほしいんだ。
閉会の儀の前でも後でもいい。」
「なぜ面会を…」
「婚約の「予定」を断ろうと思う。」
彼らが何かを言おうとするのを、僕はまた制した。
「聞いてほしい。僕は、リヒトさんといたい。その…」
さすがに顔に血が上ってきたが、僕はくじけなかった。
「リヒトさんが好きなんだ。
だから、マリアとの婚約の「予定」を断りたい。」
ステファニーが、「リヒトさんは…」とかすれた声でしゃべり出す。
僕は、ステファニーの方を向いて言った。
「リヒトさんには、まだ、明確に僕の気持ちを伝えていない。
もう、分かっている気はするけど…
婚約の「予定」を断ったら、ちゃんと伝えようと思っている。」
二人が、「婚約の「予定」を断りたい」という僕の話を、猛然と制止することも予想していたが、
その雰囲気がないのは幸先がいい。
僕は少しホッとしていた。
ロベルトが、「リヒトさんは…」と低い声で話し出すが、僕は自分で続けた。
「リヒトさんが僕をどう思っているかは、分からない。
それは…僕の気持ちを伝えたら、聞く。
もしだめでも、僕を好きになってもらえるように…」
「リヒトさんは」
ロベルトは、今度は、明確に僕の言葉を遮った。
「リヒトさんは、もういません。」
「は…?」
僕は、ロベルトに向き直った。
「それは、僕が考え得る、一番悪い意味か?
…すぐに答えろ。」
「そうです。」
「神路開放!…神通力【鎖錠】!!」
瞬時に青い光の鎖が部屋中に張り巡らされ、ロベルトを宙で縛り付ける。
怒りで部屋ごと吹き飛ばしそうだ。
「不問だったんじゃないのか!?この計画で、あの人が僕を傷つけることは!!!」
口の傷が開いて、血が包帯ににじむのを感じる。
ステファニーが「シリウス様!」と走り寄ろうとするが、光の鎖で身動きがとれない。
「連れ戻せ!今すぐ!!!」
ロベルトは、何とか目だけを僕に向けて、声を絞り出した。
「リヒトさんは…自分から…出ていきました……」
「何を言っている…?」
「貴方の…シリウス様の肉を食べてしまったと…
…近くにいたら、殺してしまうと…」
何かをにちゃにちゃと食べる猟奇的なリヒトさんの顔が、頭をよぎった。
が、僕は激しく首を横に振った。
「そんなこと、これまでも…!!!」
ステファニーが叫んだ。
「リヒトさんは、震えながら、腕一杯、鎮静剤を抱えて、私たちのところに来たのです!!
打っても打っても、止まらない、と!!!
シリウス様への憎悪と食欲が…止まらないと!!!」
ステファニーは泣き叫んだ。
「肉の味を覚えた猫族には、もう鎮静剤は効かない…
また同じことを…繰り返すと…
シリウス様を殺してしまうと…
注射で腫れあがった腕と足を引きずって、
理性にすがって…必死に、必死におっしゃるんです!!!!!」
ロベルトは、光の鎖に縛られながら、僕を凝視して声を振り絞った。
「貴方が…リヒトさんの立場なら、ここにいることを選びますか…?
選べるんですか…?」
僕は、最後の可能性にすがった。
「別の鎮静薬を…」
でも、言葉は続かなかった。
光の鎖は部屋の端の方から薄くなっていく。
ステファニーが肩を震わせて言った。
「今の鎮静薬も、何百年もかけて研究されたもの…
安易に打てば、リヒトさんが死んでしまいます…」
光の鎖はすべて消え、ロベルトが床にドサリと落ちた。
部屋は、元の薄暗さに戻った。
僕の頭は、真っ白だった。
「僕、嫌だよ…リヒトさんに会えないなんて…」
僕はぼんやり呟いた。
「やっと、さっき、会えたんだよ…」
胸に鉛のような痛みが突き上げる。
「リヒトさんに、会いたい…」
包帯を通り抜けた血のしずくが、白いガウンにボタボタと散る。
「僕、もっと頑張るから…仕事も…勉強も…訓練も…だから…」
ステファニーは顔を覆った。
ロベルトは膝をついたまま、凍り付いたように動かない。
「だから…」
でも、僕はもう、その後を続けられなかった。
僕は扉に向かって歩き出した。
ほどけた包帯が虚しく揺れて、顔にまとわりつく。
扉を開けると、廊下中に衛兵が待機している。
「ついてくるなと全隊に伝えろ。
蟻の子一匹、僕に近づけるな。」
親衛隊長に命じると、隊列が道を開ける。
僕はボタボタと血を流しながら、その場を去った。




