端緒
数日後。
窓の外はすでに夕暮れに染まり、室内には橙色の光が差し込んでいる。
書類の山は朝よりもいくらか低くなっていたが、それでもなお机の上を占領していた。
静寂を破ったのは、扉を叩く音だった。
「入れ」
短い応答。
扉が開き、ライルが姿を現す。
その表情はいつもと変わらぬ穏やかなもの——だが、その奥にわずかな緊張が滲んでいる。
「……殿下」
低く抑えた声。
「ダウサリーの件、返事がありました」
一言。
それだけで、空気が変わる。
ムスタファの手が止まり、アルテリスがわずかに視線を上げた。
ライルは机の前まで進み、一枚の封書を差し出す。
既に開封済みのそれを、ムスタファは無言で受け取った。
「どうだった」
短く問う。
ライルは一瞬だけ言葉を選び——そして答える。
「——結論から言えば、アルテリスの懸念は的中しています」
静かに、しかしはっきりと。
アルテリスの指先が、わずかに強張る。
ムスタファの視線が、封書からライルへと移る。
「続けろ」
「ダウサリーでも、結界石に“異常”が確認されています」
室内の空気が、はっきりと張り詰めた。
アルテリスが息を呑む気配。
ムスタファは何も言わない。ただ、続きを促すように視線を向ける。
「破壊には至っていません。外見上の損壊もない」
ライルは淡々と続ける。
「ですが——機能が一時的に低下していた形跡があるそうです」
「低下……?」
アルテリスが、思わず小さく問い返す。
「ああ。結界の出力が、局所的に落ちていたらしい」
ライルはそう言って、わずかに視線を落とした。
「そして——」
一拍。
「行方不明が増え始めた時期は、その後からだ、と」
沈黙。
今度のそれは、重い。
「……意図的、か」
ムスタファが低く呟く。
ライルは即答しなかった。
「関連性については断定できません。ですが——」
わずかに間を置く。
「“偶然”と片付けるには、出来過ぎています」
その言葉が、静かに沈む。
再び訪れる沈黙。
その中で。
アルテリスは、静かに呼吸を整えた。
結界石。
行方不明。
そして——学園。
点だったものが、細い線で結ばれ始めている。
まだ確証には遠い。
触れれば切れてしまいそうな、脆い線だ。
だが——
(……繋がっている)
確かに、そう感じていた。
「聖騎士団支部に報告を上げる」
ムスタファが、ゆっくりと口を開く。
「報告に足る材料は揃った。
これ以上は、こちらの裁量で抱えるべき案件ではない」
ライルが頷く。
「ええ。聖騎士団が関われば正式に動くことができます。
既に同様の異常を把握している可能性もあります」
「情報を集約する必要があるな」
短いやり取り。
だが、それは明確な“次の一手”だった。
アルテリスはわずかに目を伏せる。
小さな違和感だったはずのものが、形を持ち始めている。
まだ名もない異変。
だがそれは、確実に広がっていた。
——静かに、そして確実に。
物語の局面は、確かに次へ進み始めていた。




