表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Jardin miniature 神々の箱庭で、少女たちは軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第3章 厭う地で志を繋ぐ
82/92

許されぬ温もりの中で

最後の音が、夜の静寂に溶けていった。


歌い終えたアルテリスは、静かに息を整える。

胸の奥へ、そっと旋律を戻すように。


だが——


ムスタファは動かなかった。


アルテリスの肩に額を預けたまま。

まるで、その温もりが消えぬことを確かめるように。


離れれば、終わる。


そんなふうにでも思っているかのように。


「……不思議だな」


低い声が、耳元に落ちる。


「お前の歌を聴いていると、

昔のことを思い出す」


吐息が首筋にかかる。

それだけで、鼓動がわずかに乱れた。


本来なら、許されない距離だ。


アルテリスは何も言わず、ただその重みを受け止める。


しばらくの沈黙。


やがて。


「……今日」


ぽつりと、声が落ちた。


独り言のような、掬い上げられなければ零れてしまう声音。


「父上に会った」


アルテリスの指先が、わずかに強張る。


だが、声は挟まない。


「久しぶりだというのに、

気遣う言葉は一つもなかった」


一拍。


「代わりに言われたのは——

『立場を弁えろ』」


空気が、冷える。


「『王太子の地位を脅かすな』だ」


淡々とした声。


怒りも、悔しさも滲まない。

だからこそ、重く沈む。


「だから——」


ほんの一瞬、言葉が途切れる。


「しばらく、ランデュートへの入国を制限するそうだ」


アルテリスは、息を呑む。


王子でありながら、国から遠ざけられる。

その意味は、言葉にせずとも分かる。


「俺は無断で国に戻り、行動した。

今回の件は、余計な憶測を呼ぶ」


静かな声。


「分かっていたことだ。

父上の判断は、間違いではない」


そして、わずかに笑う気配。


「昔から変わらない。

俺は——存在するだけで、厄介なんだ」


その言葉に、胸の奥が鈍く軋む。


あまりにも自然で。

あまりにも、当たり前のようで。


どれだけの時間をかけて、そう思うようになったのか——

考えることすら、ためらわれた。


沈黙が落ちる。


指先に、わずかな震えが宿る。


——自分は、止められなかった。


ランデュートへ向かうと告げた時、

止めるべきだと分かっていた。


それでも——


その背に縋るように、頷いてしまった。


自分一人では、何もできない。

けれど彼がいれば——


彼女を救えるかもしれないと、思ってしまった。


その結果が、これだ。


喉の奥が、ひどく乾く。


それでも、言葉を選ぶ。


踏み越えてはならない線を、なぞるように。


「……殿下には」


わずかに息を吸う。


「ここに、いていただきたいです」


空気が、止まった。


肩にかかる重みが、かすかに揺れる。


やがて。


「……だから、だろうな」


かすれた声。


額が、ほんの少しだけ強く押しつけられる。


「この歌が、余計に沁みるのは」


アルテリスの胸が、静かに締めつけられる。


「お前の歌は、過去を連れてくる。

忘れようとしてきたものを、

否応なく思い出させる」


一瞬の沈黙。


「……だが、不思議と苦しくはない」


衣の端が、そっと引かれる。


強くはない。

だが、離さないという意思だけが、そこにあった。


「温かな光で包まれて、

“大丈夫だ”と

言われている気がする」


吐息が、耳元に触れる。


「だから、

過去を否定せずに……

受け入れられる」


その声は、王子のものではなかった。


ただ一人の、人の声だった。


「“ここにいていい”と

そう言ってくれる歌だ」


アルテリスは、視線を伏せたまま答える。


「この歌は——」


一瞬だけ、迷う。


「殿下のための歌です」


指先にかかる力が、わずかに強くなる。


縋るようでいて、

どこか安堵した気配。


「……ありがとう」


それだけだった。


それ以上は、語られない。


肩に預けられた重みは、離れない。


離そうとする気配も、ない。


夜はまだ終わらない。


だが、朝は必ず来る。


そのとき彼は、また王子の顔を被るのだろう。


この温もりを、なかったことにするように。


それでも——


今、この瞬間だけは。


彼は確かに、ひとりではなかった。


触れてはならぬ距離で。


互いの傷に、触れるように。


歌の余韻が、二人の間に静かに残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ