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Jardin miniature 神々の箱庭で、少女たちは軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第3章 厭う地で志を繋ぐ
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綻び

シャマル邸に戻った頃には、夜は完全に更けていた。


花火は終わり、

空には焼け残りの煙が、かすかに漂っている。


遠くでは、まだ祝祭が続いているのだろう。

笑い声も、灯りも、途切れる気配はない。


——だからこそ。


この場所の静けさは、際立っていた。


灯りを落とした廊下を抜け、

ムスタファは自室へと入る。


扉が閉じられる音が、夜を区切った。


外套も脱がぬまま、

長椅子へ腰を下ろす。


動かない。


「殿下……」


アルテリスは慎重に声をかける。


「お疲れでしょう。

せめて、お休みになる支度を——」


返事はない。


月明かりだけが、横顔を白く照らしている。


祝福の光ではなく、

冷たく、均一な光。


やがて——


「……アル」


低く、掠れた声。


呼ばれ、アルテリスが一歩近づいた、その瞬間。


何の前触れもなく、ムスタファが縋りついた。


抱き寄せるのではない。


張り詰めていた何かが、

ふと力を失ったように。


「殿下——」


「……少し」


胸元で、声が震える。


「少しでいい。

このままでいさせてくれ」


懇願でも、命令でもない。


ただ——

耐え続けた者に生じた、わずかな綻び。


アルテリスの身体が、わずかに強張る。


王子が。

主が。


誰にも見せぬはずの姿を、

今、自分に預けている。


「殿下、それは……」


止めるべきだ。


分かっている。


だが。


額が肩に触れる。


震えてはいない。

それでも、その重みは確かだった。


花火の下で向けられた言葉。

王宮で浴びせられる視線。


積み重なったものが、

今、わずかに軋んだのだろう。


「……すまない」


小さな、謝罪。


「だが、今は……」


それ以上は、続かない。


言葉にすれば、また強くあろうとしてしまうから。


アルテリスも、それ以上は言わなかった。


許されぬ距離。

越えてはならぬ線。


だが今、この腕を退けば——

この人は何事もなかったように立ち上がる。


それを、望めなかった。


ゆっくりと、背に腕を回す。


抱きしめはしない。


ただ、崩れきらぬように支える。


それだけ。


ムスタファの呼吸が、少しずつ整っていく。


やがて——


「……なあ」


「はい」


「歌を、歌ってくれないか」


アルテリスは、一瞬、言葉を失う。


「頼む」


命令ではない。

縋る声。


その一言で、迷いは消えた。


アルテリスは、静かに歌を紡ぎ始める。


澄んだ旋律。

柔らかな声音。


強さを讃える歌ではない。

勝利を祝う歌でもない。


ただ、孤独な魂に寄り添うための歌。


主のためではなく。

王子のためでもなく。


ただ——

一人の少年のための歌。


歌声が部屋に満ちる。


ムスタファの身体から、ゆっくりと力が抜けていく。


「……アル」


「はい」


「お前だけだ」


囁き。


「俺が、こうして弱さを見せるのは」


アルテリスの喉が詰まる。


(私も)


(こうして歌うのは、あなたの前でだけです)


決して口にはしない。


触れてはならぬはずの距離で、

互いの欠けたものを埋めるように、

ただ黙って寄り添う。


許されぬと知りながら、

離れられない。


それが慰めなのか、

ただの弱さなのかも分からないまま。


それでも今夜だけは——

このぬくもりを、手放せなかった。

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