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Jardin miniature 神々の箱庭で、少年少女は軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第3章 厭う地で志を繋ぐ
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愛を知る者

応接間の扉が、静かに閉じられた。

夕食の支度を理由に席を外したシャマル侯爵夫妻の足音が、廊下の奥へと遠ざかっていくのを、ライルは静かに耳で追っていた。

残されたのは——ジャミーラと、ムスタファ、アルテリス、そしてライルの四人だけだった。


先ほどまで張り詰めていた空気が形を変え、重い沈殿物のように室内に満ちている。

その息苦しい沈黙を破ったのは、ムスタファだった。


「——どうやら、見立てを誤ったようだ」


感情の乗らない、氷のように冷ややかな声。唐突な言葉に、向かいに座るジャミーラが弾かれたように顔を上げた。


「俺が表立てば事足りるかと思ったが、どうやら俺の出る幕ではないようだ」


「そんな——」


思わず声をあげかけたジャミーラを、ムスタファは表情一つ変えずに遮る。


「勘違いするな。ただの事実だ」


一切の感情を削ぎ落とした、冷えきった響き。その言葉の裏にある底知れぬ威圧感に当てられ、ジャミーラが小さく息を呑む気配がした。反論の糸口すら見出せないのか、彼女は怯えたように口を結んで押し黙ってしまう。


「殿下……」


見かねて、たしなめるように口を開きかけたライルを見て、ムスタファは小さく、吐き出すようなため息をついた。


「言い方が悪かった。俺には親の愛情というものが理解できない。理解できないものに対して、有効な手立ては打てない。盤面を変える必要があると言いたいだけだ」


声音は冷徹なままだが、自身の言葉足らずを認めるように補足する。

そして、はっきりとライルを捉えた。


「ライル。お前の出番だ」


「……俺、ですか?」


不意を突かれ、ライルは目を瞬かせた。

ジャミーラの不安げな視線がこちらに向く。

視界の端では、アルテリスが主の意図を正確に読み取ったのだろう、微動だにせず沈黙を守っているのが見えた。


「今日ここに来た三人の中で、お前だけが、両親からの“愛情”というものを受けて育っている」


ムスタファの口調には自嘲すらない。ただ、事実を事実として並べるような、酷薄こくはくなまでの合理性があった。


「侯爵夫妻の恐れや迷いを、俺は正確に推し量れない。“娘のため”という言葉が、本当に娘を思っての行動なのか、ただの支配なのか——それを判断する物差しを、俺は持っていない」


ムスタファの射抜くような眼差しが、ライルを逃さない。


「だが、お前なら理解できるはずだ」


突き放すような問いかけに、ライルの喉がわずかに鳴った。


(愛を受けて、か)


否定はできない。両親は仲睦まじく、家にはいつも温かな空気があった。


——ただ。

その二人は、よく家を空けた。外交、視察、時には半ば旅行のような遠征。

広い屋敷で、灯りの少ない食卓に向かう夜も、決して少なくはなかった。

静まり返った食堂。用意された料理。向かいの席には、誰もいない。


(寂しい、と言えば)


きっと二人は、予定を変えてくれただろう。ライルがそう望めば、彼らは応えてくれるだけの愛情を持っていた。

だが、それを望んだわけではない。ただ、我慢して口にしなかっただけだ。


そして、いつの間にか。その席には、小さな弟や妹たちが増えていった。

親の不在に不安げにこちらを見る視線。無理に明るく振る舞う彼らの声。


——同じ思いを、させたくはなかった。

だから、弟妹たちが笑っていられる時間だけは、せめて自分が守ろうと決めたのだ。親の愛情の形がいびつでも、家族を想う気持ちの強さだけは、身をもって知っていた。


(家族愛について、偉そうに語れる立場じゃない)


けれど。

一切の温もりを与えられなかった殿下の境遇。そして、孤児として生きてきたアルテリス。

二人を思えば——少なくとも自分が、この中で一番“家族というものを理解できる側”であることは、否定しようがなかった。


ライルは、ゆっくりと胸の奥の重たい息を吐き出した。


「……適任かどうかは、分かりません」


少しだけ、自嘲気味な苦い笑みがこぼれる。


「でも——どうしてそこまで必死になるのかは、想像できるつもりです」


そう言って、ライルは場を和ませるように、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「説得できるかは分かりません」


だが、はっきりと顔を上げ、言葉に力を込める。


「それでも、出来る限りのことはいたします」


ムスタファは、感情の揺らぎを一切見せずにライルを見下ろしていた。やがて、わずかに顎を引く。


「……いいだろう」


それだけだった。


「なら、この件」


ムスタファは視線をジャミーラへ移す。


「あなたが構わないなら、ライルに一任する」


ライルは迷いなく頷き、真っ直ぐにジャミーラを見た。彼女の瞳には、まだ迷いと、それ以上の決意が揺らいでいた。


「わたくしは——」


ジャミーラが、ゆっくりと、祈るように口を開く。


「両親の気持ちが、分からないわけではありません。ランデュートの現状も、承知しております。だからこそ——学園に入る前は、神聖術師への憧れも、神聖術のことも、ひた隠しにして参りました」


一瞬、彼女が悔しげに唇を噛むのを、ライルは見逃さなかった。


「でも……わたくしは」


彼女は顔を上げ、はっきりと告げた。


「少しでも可能性があるなら、学び続けたいのです。周囲の視線を理由に、自分の夢を諦めたくはありません」


ムスタファは、静かに頷いた。


「それでいい。俺は、何の成果も得られないまま帰るつもりはない」


そして、一瞬だけ視線をライルへと向ける。


「もっとも——頼みの綱は、お前になるがな」


「誠心誠意、努めさせていただきます」


ライルは深く、胸に手を当てて一礼した。


「……殿下、イルハン様」


ジャミーラの声が、かすかに震えていた。

自分たちのために彼らがここまで真剣に動いてくれることに感極まったように、彼女は深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


ムスタファがわずかに目を細めるのを、ライルは静かに見届けた。

アルテリスは相変わらず、ひとりで沈黙を貫いている。


——それでも。

その動機が冷徹なまでの合理性であろうと、熱を帯びた願いであろうと。今、この場に集まった想いは、確かに同じ方向を向き始めている。

ライルは胸の内に、確かな温かさと静かな手応えを感じていた。

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