友の門
ライルの実家は、王都の喧騒から離れた、砂風の静かな一角に建っていた。
そこは、ランデュート王国特有の、砂色の石造りの屋敷が並ぶ地区だった。
白壁には細かな幾何学模様の透かし彫りが施され、
丸みを帯びたアーチ窓には、深い藍と金で彩られたガラスがはめ込まれている。
庭には低い噴水があり、
水面に映る朝日が、石壁に淡い光を揺らしている。
香辛料と乾いた風の匂いが、遠い市場のざわめきを思わせた。
貴族の邸宅ではあるが、
王都近くの華美な館とは違い、
砂漠の熱と夜の冷え込みを考えた実用的な造りだった。
門をくぐり、
使用人に名を告げると、
ほどなくして屋敷の中へと案内された。
磨き込まれた石床。
規則正しく並ぶ柱。
静かに整えられた空間。
ふと——気配を捉える。
柱の陰。
曲がり角の向こう。
閉じきられていない扉の隙間。
視線だけが、いくつもこちらに向けられていた。
足音は、意図的に忍ばせている。
息遣いも潜められ、気配そのものを押し隠そうとしている。
けれど——
害意はない。
ただ、興味と——
抑えきれない好奇心。
それだけだと、直感で理解できた。
やがて、応接間の扉の前で足が止まる。
扉が開く。
ひんやりとした室内の空気が、外の乾いた風とは対照的に頬を撫でた。
色鮮やかな絨毯が敷かれ、壁には細やかな幾何学模様の装飾が光を受けている。
「——殿下」
立ち上がったライルが、
どこか楽しげに目を細めた。
視線が、ムスタファへ。
そして、その後ろに控えるアルテリスへ。
「お手紙は拝見しておりましたが……
まさか本当にいらっしゃるとは」
一拍置き、
軽く肩をすくめてから、深く頭を下げる。
「ようこそ、イルハン家へ」
「顔を上げろ」
ムスタファはいつも通り、淡々としていた。
「突然押しかけた。
迷惑だったか?」
「いえ。“殿下ならやりかねない”とも思っておりましたので」
顔を上げたライルは、
くすりと笑う。
「ただ——」
視線が、反射的に室内を巡る。
王宮の紋章。
随行の気配。
護衛らしき人影。
——何も、ない。
ライルの動きが、ぴたりと止まった。
「……念のため伺いますが」
先ほどまでの軽さが、わずかに引く。
「王宮には、もうご報告を?」
その問いは、礼儀であり、確認であり、そして——警告だった。
ライルの指先が、無意識に長椅子の背をなぞる。
「王宮へは、知らせていない」
即答だった。
ライルの眉が、はっきりと寄る。
「……ですよね」
小さく息を吐く。
「そんな気はしておりました」
声を潜めながらも、
焦りは隠せていなかった。
王子の無断行動。
政治的にも、
身の安全の面でも、
問題だらけだ。
だが。
「知るか」
ムスタファは、あっさりと言った。
ライルの目が見開かれる。
「俺は、王子として来たのではない」
その言葉に、
室内の空気が一段、冷えた。
「学園の人間として来た」
アルテリスは何も言わず、
ただ一歩、ムスタファの後ろに立つ。
——それが答えだった。
ライルはしばらく沈黙し、
拳を握りしめていた。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……本当に、無茶をなさる」
小さく苦笑する。
だがその目は、もう迷っていなかった。
「……承知いたしました」
そして、顔を上げる。
「でしたら——」
ほんのわずか、口元を緩める。
「私はイルハン家の一員として、
大切なお客様をお迎えするだけですね」
一切の形式を捨てた言葉。
「本日は、どうかごゆっくりお過ごしください」
「世話になる」
ムスタファは、わずかに口角を上げた。
「光栄です。
お部屋にご案内いたします」
ライルが一歩踏み出す。
「その前に、侯爵夫妻にも挨拶をしたい」
ムスタファは歩き出しかけたライルを、
軽く手で制した。
ライルの表情が、わずかに曇る。
「……申し訳ありません。
父も母も、今は出ておりまして」
「旅行か?」
「いえ。旅行からは戻っておりますが」
言いにくそうに、視線を落とす。
「もうすぐ、第一王子殿下の生誕祭ですので……
その準備で王宮に詰めております」
一瞬の沈黙。
「……そういえば、そんな時期だったか」
ムスタファは、どこか他人事のように呟いた。
ライルの視線が、わずかに揺れる。
王家の一大行事。
王都はいま、その準備で浮き足立っている。
だが目の前の王子は、
それをまるで遠い国の話のように受け流した。
「忙しい時に邪魔したな」
「いいえ。重要なことですので」
ライルはすぐに首を振る。
「ただ、シャマル様も数日前より王都のタウンハウスへ移っているようです」
「そうか」
「シャマル様の所へは、明日伺いますか?」
「そのつもりだ」
この家で一夜を過ごし、
翌日、
彼らはシャマル家の門を叩く。
嵐の前の、
短く、静かな合流だった。




