表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Jardin miniature 神々の箱庭で、少女たちは軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第2章 変わりゆく繋がりの中で
58/91

風の気遣い

翌日、ジャミーラは直ぐにムスタファから呼び出された。


執務机から顔を上げたムスタファが、簡潔に告げる。


ムスタファの後方。

わずかに下がった位置に、アルテリスと、ライルが控えていた。


「長期休暇前の巡回任務だ。

本日中に入れるが、問題はないか」


「ございません」


ジャミーラは、即座に背筋を伸ばして答える。


どのような心境であろうと揺らぐことのない、聖騎士見習いとしての責務。

悩みがある時は、ありがたいとさえ思う。


「ではこの後、学園周辺の巡回を任せる。

現役の聖騎士が先導、ライルが補佐に入る」


「はい」


補佐はライル。

予想通りだった。


アルテリスとは——ここでは言葉を交わさない。

それもまた、仕方のないこと。


(焦る必要は、ないわ)


ジャミーラはそう言い聞かせ、

目の前の任務に意識を戻す。


「急で悪い。

時刻と集合場所、任務内容の詳細は、そこにある通りだ」


差し出された書類を、両手で受け取る。


「承知いたしました」


ジャミーラは一礼する。


「休暇前で学園も浮き足立っている。

だが、聖騎士の任務は常に平常だ」


ムスタファが低く付け加えた。


「空気に流されるな。

見習いとしての立場を忘れず、任務に当たれ」


「はい」


短く、迷いのない返答。


「以上だ。

ライル」


「承知しております」


ライルがジャミーラの傍に歩み寄る。


「失礼いたします」


二人並んで一礼し、踵を返した。


⚜️⚜️⚜️


ジャミーラは静かに歩き始めた。


数歩遅れて、同じ足音。


並ぶでもなく、離れすぎるでもない距離で、ライルが歩く。


ただ、無言で。


静けさが鮮明になってきた頃、

頃合いを見計らったように、ライルが口を開いた。


「シャマル様」


呼びかけの、ほんの一瞬前。


——気づくか気づかないかほどの、小さな声で。


「《風の精よ》」


囁きが、空気に溶ける。


その直後。


ライルの手元で、

畳まれていた布が、ふわりと浮いた。


風に支えられるように、わずかに形を保つ。


指先で軽く整えられたそれは、

簡素ながら、どこか“顔”のように見える輪郭を持つ。


(……?)


ジャミーラが視線を向ける。


ライルは、無表情のまま、わずかに声色を変えた。


「——本日は巡回日和でございますな」


布が、わずかに揺れる。


風に乗るように、

“頷いた”ような動き。


「気温よし、視界よし。

おまけに補佐も優秀ときております」


一拍。


「どうぞ、安心して任務に臨んでください」


小さく、一礼。


風が緩み、布の輪郭が少しだけ崩れる。


ライルはそのまま、元の声音に戻る。


「……だそうです」


ジャミーラは、一瞬理解が追いつかなかった。


けれど。


精霊術を使っているはずなのに、

それを感じさせないほどの自然さと。


あまりに淡々とした本人の態度に——


「……ふふ」


思わず、笑みがこぼれた。


ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。


「イルハン様、腹話術もお上手ですのね」


「よく弟妹たちの相手をしておりましたので」


軽く返す声音。


布は、ふっと力を失い、

静かにライルの手の中へと落ちた。


「いいお兄様ですのね」


ライルは、わずかに肩を竦める。


ジャミーラはくすりと、もう一度だけ小さく笑う。


「ありがとうございます。

気分が軽くなりましたわ」


「それは何よりです」


踏み込まず、飾らず。


ただ、それだけを返す。


それ以上は続かない。


布は何事もなかったかのように畳まれ、

懐へと仕舞われる。


風もまた、痕跡を残さず消えていた。


沈黙が戻る。


けれど——


先ほどまでとは、少し違う。


張り詰めていたものが、

わずかに、ほどけている。


(……この方は)


踏み込まない。


問いかけない。


それでも——


必要な分だけ、支えてくれる。


無理に引き上げることもなく、

ただ、崩れないように。


「参りましょうか」


「はい」


今度の返事は、

先ほどより、わずかに柔らかかった。


⚜️⚜️⚜️


巡回は、滞りなく進んだ。


学園外縁の通りを歩き、

露店の配置や人の流れを確認する。


呼び止められれば足を止め、

要件を聞き取り、必要であれば先導役へ引き継ぐ。


先導する聖騎士の動きを視界に収めながら、

ジャミーラは半歩後ろの位置を保った。


前に出過ぎず、

遅れも取らない。


落ち着いている。


——はっきりと、分かる。


先ほどまで胸にあったざらつきは、

もう、表に出てこない。


そのさらに後方に、ライルが控えている。


言葉は少ない。

だが、視線と気配だけで、役割は明確だった。


問いかけに対する補足、

見落としの拾い上げ、

動線のわずかな調整。


指示を待つだけでも、

独断で動くでもない。


“間を埋める”ような動きだった。


途中、迷子の子どもを保護する場面があった。


泣き出す寸前の子どもに視線を合わせ、

落ち着いた声で名を尋ねる。


要点だけを聞き取り、

無理に安心させようとはしない。


所在を確認し、

周囲の大人へ簡潔に状況を共有する。


やがて家族が見つかると、

短く引き渡しを済ませた。


巡回は、そのまま大きな問題もなく進み、

やがて日が街路を淡く染めはじめる。


「……以上で、本日の巡回は終了だ」


先導役の聖騎士が告げる。


「この後、聖騎士団へ戻り、簡易報告を行う。

問題がなければ、そのまま解散とする」


「承知いたしました」


短く応じ、聖騎士団へと向かった。


⚜️⚜️⚜️


聖騎士団での簡易報告は、簡潔に終わった。


巡回経路、対応件数、特記事項。


必要な要素だけを整理し、

過不足なく伝える。


その後、

ジャミーラとライルは連れ立って生徒会室へ向かった。


室内は、いつもと変わらず静かだった。


執務机の向こうにムスタファ。

その背後、わずかに控えた位置に——アルテリス。


書類から視線を上げる。


報告は、簡潔に。


「巡回任務、終了いたしました」


ムスタファは静かに頷く。


「ご苦労だった。問題はなかったか」


「特筆すべき事項はございません」


短く、要点だけ。


ムスタファは一瞬だけ視線を細め、頷いた。


「よくやった」


それ以上は言わない。


評価も、過不足なく。


「長期休暇前の業務は、これで一区切りとする。

初めての休暇だろう。適度に羽を伸ばしてこい」


一拍。


「——ただし、基礎訓練は怠るな」


「承知しております」


わずかに声音を引き締めて応じる。


「休暇前に、改めてご挨拶に伺います」


深く一礼した。


その間も、

アルテリスは一言も発さなかった。


視線も、姿勢も、変わらない。


——ただ、そこに在る。


それが役割であるかのように。


それでも——


ジャミーラにとって、その沈黙は不思議と重くはなかった。


風が通り抜けたあとのように——

心は、静かに整っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ