月はすべてを語らず
夜の学園は、深い静寂に沈んでいた。
回廊の窓から差し込む月光が、白い床に細く流れ、淡い影を落としている。
風はなく、ただ遠くで夜鳥がひと声鳴いた。
医務室の中には、薬草と聖水の匂いが穏やかに漂っている。
灯された小さな魔導灯が、やわらかな金色を揺らしていた。
扉が、そっと開く。
「……失礼します」
二人の生徒が、控えめに顔を覗かせる。
中央の寝台。
そこにはハムザ・ハウゼンが横たわっていた。
包帯も傷もない。
ただ静かな寝息が、規則正しく胸を上下させている。
「……ハウゼン様」
ひとりが、かすれる声で呟く。
部屋の隅で書類を整えていた治癒師が、歩み寄った。
「見舞いですね。
治療はすでに終わっています。過労と精神的疲労が重なったのでしょう」
穏やかな微笑。
「今は深く眠っておられるだけです。心配はいりません」
「……そう、ですか」
安堵と、どこか拭いきれぬ不安が混じる。
二人は寝台のそばへ進み、しばらく言葉を失ったまま立ち尽くした。
月明かりが、少年の横顔を白く照らしている。
怒りも、焦りもない。
ただ、年相応の穏やかさだけがそこにあった。
「ハウゼン様……」
小さな笑いがこぼれる。
「口は悪いし、すぐ威張るし……」
「でも、誰よりも朝早く剣を振ってましたよね」
「誰もいない時間に」
二人の声は、静かに揺れる。
「きっと……無理、してたんですよね」
返事はない。
だが、その寝顔はどこか幼い。
「俺達じゃ、頼りないかもしれませんけど……」
拳を握りしめる。
「次は、ちゃんと支えます」
しばしの沈黙。
「早く戻ってきてください。
俺達、待ってますから」
そっと頭を下げ、二人は立ち上がった。
治癒師に礼をし、音を立てぬよう扉を閉める。
廊下へ出た瞬間、ふたりは小さく息を吐いた。
——その背を、遠くから見守る影があった。
回廊の端。
淡い光に照らされ、金色の髪が静かに揺れる。
アルテリス。
ハムザが倒れた真の理由。
悪魔との契約、そして“悪魔化”。
それを知る者は、わずかしかいない。
聖騎士団より、厳重な口止めが敷かれている。
公には、過労による意識消失とされた。
二人の背を見送りながら、アルテリスは静かにに目を伏せる。
(……案外、友に恵まれているようですね)
その胸の奥で、張り詰めていたものがほんの少しだけ緩んだ。
月明かりに背を向け、音もなく廊下を歩き去っていく。
残された医務室では——
少年の穏やかな寝息だけが、夜の静寂の中で優しく揺れていた。




