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Jardin miniature 神々の箱庭で、少女たちは軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第1章 聖エリュシア学園入学編
26/90

執着

俺は、どれほど努力しても“1番”にはなれなかった。


年の離れた兄が一人いる。


広い屋敷の中央階段。

磨き上げられた大理石。

高い天井に吊るされた燭台の光。


その中心に立つのは、いつも兄だった。


文武両道。

誰もが認める優秀な兄。


成績は常に最上位。

剣を握れば迷いがなく、

礼儀作法も完璧。


家庭教師は彼を褒め称え、

両親は誇らしげに微笑む。


その光景を、俺は少し離れた廊下の影から見ていた。


俺が生まれた時から、

両親の視線はいつも兄に向いていた。


暖炉の前で語らう夜も、

祝宴の席での乾杯も。


俺は端に座り、銀の食器の映り込みで

自分の顔をぼんやりと眺めていた。


振り向いてほしくて、必死に努力した。


夜更けまで机に向かい、

指が痛むほど筆を握り、

剣を振り続けた。


だが——


どれだけ頑張っても、俺の成績は兄の足元にも及ばない。


家庭教師は兄ほどには俺を褒めず、

両親は相変わらず兄の予定に付き添う。


俺は乳母に育てられた。


彼女の部屋は屋敷の奥、

日当たりの悪い小さな一室。


窓の外には古い木が一本立っていて、

いつも風に枝を軋ませていた。


家の中で俺は、空気のような存在だった。


豪奢な廊下を歩いても、

足音は誰の記憶にも残らない。


誰にも見られず、

誰にも必要とされず。


“1番”になるという夢は、

次第に形を失い、ただの幻想へと変わっていった。


——学園に入れば、何かが変わるかもしれない。


夜、窓から見上げた星空にそう誓った。


屋敷の外に出れば、

俺だけの価値が見つかるはずだと。


だが、その希望は初日で崩れた。


広い講堂。

ざわめく新入生。

名家の子息令嬢が並ぶ中で、

俺はただの“中途半端”だった。


中途半端な家柄。

中途半端な成績。

何もかもが中途半端。


それでも、まだ耐えられた。


——“あいつ”が現れるまでは。


アルテリス。


陽光を受けて淡く光る金の髪。

透き通るような琥珀の瞳。

孤児のくせに、整いすぎた美貌。


そして——


試験結果の掲示板の最上位。

金の文字で、記される名。


アルテリス。


賞賛はされない。

称えられもしない。


それでも、誰よりも上にいる。


静かな影のまま、

頂点に立ち続ける。


それが、俺には耐えられなかった。


俺だって努力していた。


寮の灯りが消えた後も机に向かい、

指が震えるまで筆を走らせ、

朝靄の中で剣を振った。


なのに——届かない。


なぜだ。


なぜ俺は、兄にも、アルテリスにも、追いつけない。


胸の奥で、何かが軋む。


目障りだ。


苛立つ。


あの柔らかさが。

あの落ち着きが。

あの“選ばれた側”の空気が。


全部、俺を惨めにする。


——ある日の昼下がり。


石畳の中庭に面した掲示板の前。

試験結果が貼り出されている。


太陽は高く、

白い光が紙面を照らしている。


人だかりの隙間から、俺は自分の名を探した。


指先が震える。


視線が、上へ、上へと滑る。


そして——止まる。


一位。


アルテリス。


その下に、王子の名。

そして——


さらに下に、俺。


——兄の背中が、脳裏をよぎる。


胸の奥が、音を立てて軋む。


喉が、ひりつく。


周囲のざわめきが遠くなる。


風が吹き、掲示板の紙がかすかに揺れる。


その時だった。


『——悔しいか?』


不意に、声がした。


真昼のはずなのに、

背筋に冷たいものが走る。


誰もこちらを見ていない。


だが確かに、耳元で囁かれた。


甘い。


熟れすぎた果実のような、

ねっとりとした甘さ。


だがその奥に、微かに腐臭が混じる。


『——お前の望み、俺が叶えてやろうか?』


掲示板の文字が、にじむ。


白い紙が、じわりと赤く染まったように見えた。


視界の端で、真紅が揺れる。


(……俺の、望み?)


心臓が早鐘を打つ。


『“一番”になりたいんだろう?

努力を、正しく評価されたいんだろう?

誰かに——選ばれたいんだろう?』


胸の奥を、正確に抉られる。


誰にも言っていない願い。


俺自身すら、見ないふりをしていた欲望。


『なら、俺が手を貸してやる』


喉が焼ける。


陽の光はまだ空にあるのに、

足元だけが暗く沈む。


影が、ゆっくりと俺の爪先に絡みつく。


『望むなら与えよう。

お前が“あいつ”を越えるための力を』


影が、濃くなる。


掲示板の文字が、歪む。


一位の名が、赤く滲む。


ああ。


やっと理解した。


努力では足りない。


才能でも足りない。


なら——


別の力を使えばいい。


拒む理由など、どこにある。


俺は、視線を上げた。


人混みの向こう。


誰も気づかない影の中で、

真紅の瞳が、細く笑った。


その瞬間、胸の奥に何かが落ちる。


冷たいはずなのに、甘い。


黒い雫が、静かに広がる。


歓声も、ざわめきも、

すべて遠のく。


世界の音が、薄れていく。


俺は、ゆっくりと頷いた。


昼下がりの光の下で。


誰にも気づかれないまま。


甘い闇が、

静かに、確実に、

俺の内側へと根を下ろしていった。

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