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【完結】白い結婚をしたはずの夫が、呪いで(中身だけ)若返って溺愛執着してきます!  作者: 藤原ライラ
本編

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19.許さない

 まるで読み終わった本のページを、そのままめくり直したかのようだった。


 何度も何度もヴィルヘルムに会わせてくれとグレンに頼んだ。けれど、一度も夫は会ってはくれない。ただ概ね結論はアンジェリカをブロムステットへ返す方向に流れていっているようだった。


 何も話せないまま、この四年をそっくりそのままなぞるように、今度は祖国へ帰る準備が進められていく。


 全てはヴィルヘルムと重臣との間で話し合いがなされて、決められていく。


 おそらくは金銭の補償も検討されている。割の悪い話ではないし、妃を一人返すだけで争いが回避できるのなら、きっと自分だってそうするだろう。


 己のことであるのに、アンジェリカに口を挟む権利はない。


 一体これからどうすればよいのだろう。まとまらない考えをどうにかしたくて、クレアだけを伴い散歩と称して部屋を出た。


「はあ」


 吐いた溜息は何にもならずに廊下に落ちる。共に国に帰るはずの侍女は、近頃は窺うようにアンジェリカを見遣るだけだ。


 さて、この溜息の意味はなんだろう。今もまだ逃げるだけの幸せはアンジェリカの元にあるだろうか。


 十六歳と二十八歳の夫の間にあるものを考える。

 嫁いでからこの四年間、一度もアンジェリカが気に掛けることのなかったもの。


 コンラートが死んだのは、ヴィルヘルムのせいではない。あの兄弟の間に起こったのはただの不幸で、誰かに原因を見出せるような者ではないはずだ。


 王妃は、ヴィルヘルムを強く罵ったという。愛していたからこそ、コンラートの死は受け入れがたかったはずだ。


 だからヴィルヘルムは心の奥で殺したのだろう。あの明るく真っ直ぐな、自分自身を。


 “正しい王太子”であるために。

 コンラートになる、そのために。


 そして、本当のところで魔女がかけた呪いとはなんなのかと考えた。


 ヴィルヘルムはずっと、心を殺すことが正しいと思い込んでいる。ヴィルヘルムは、自分で自分を呪っている。


 だって、わたしも願った。好きな人だけが生き残ってほしいと。二十八歳の夫より、十六歳のヴィルヘルムの方が恋しかった。


 時折、アンジェリカは探してしまうのだ。

 あの灰青色の瞳の奥に確かにあったきらめきを。そんなもの、永遠に見つかるはずなんてないのに。


 強い思いは必ずしも人を幸せにはしない。一緒に居た時間が幸せであるほど、別れはつらくなる。これは、母の膝の上にいた頃のアンジェリカには、まだ分からなかったことだ。


 己の心など、思い通りになるものではないのだと知った。無駄だと分かっていても、気持ちは止められない。結局のところ、アンジェリカは自分の心ひとつ定めることができなかった。


 そこで、あの木の前に出た。


「あ」


 ヴィルヘルムが颯爽と降りてきたあの木。その幹をそっと撫でた。

 だからといって、何があるわけでもない。木は木としてそこにあるだけだ。


 ――木登りのコツは二つだけ。


 そう言った快活な声が蘇る。今のヴィルヘルムはこんな声で話したりはしない。上質な天鵞絨(ベルベット)のような低い響きは、ただ流れていく。


 ――一番近くの枝に手を伸ばすことと、絶対に下を見ないことだ。


 そうだ。ヴィルヘルムはそう言ったのだ。


 ちゃんとあるじゃないか、ここに。

 たった一つ、巻き戻らなかったもの。


 アンジェリカはさっと靴を脱いだ。続けて、絹の靴下もするりと脱ぐ。


「ひ、姫様!?」


 クレアが素っ頓狂な声を出すのが聞こえた。けれど、アンジェリカは止まらなかった。そのまま、木に手をかけた。


 わたしはもう、あの人と出会う前のわたしではない。わたしだけは、そこへは戻れない。


 枝に手を伸ばしながら、思い出す。


 迷いなくガラスに手を伸ばしたあの大きな手。ヴィルヘルムは、己を懸けて自分に関する真実を手に入れてみせた。


 同じことを、やってみようと思った。元より、アンジェリカに懸けられるものなんてこの身のほかにない。


 何もない、アンジェリカの部屋。ヴィルヘルムが殺風景だと言ったあの景色。

 そこにずかずかと飛び込んできた、あの男。招き入れたつもりなんて、なかったのに。


 ぐっ、と枝を掴んで体を持ち上げる。

 力仕事をしないやわらかな手に痛みが走る。


 けれど、ヴィルヘルムはこの手を取ってくれた。頭では覚えていないのかもしれないけれど、彼の体には何かしらが残っているのかもしれない。


 太い枝の上にアンジェリカは立った。見下ろせば、木の根元でクレアがただおろおろとしていた。何度か、叫ぶようにして自分のことを呼んでいる。


「クレア。こちらに、ヴィルヘルム王太子殿下をお呼びして」


 責任を取ってもらう。あんなキスだけして、いなくなるだなんて許さない。

 人の心に勝手に入ってきた責任の重さを、思い知ればいいのだ。


「わたしは殿下以外とお話する気はないわ」


 クレアはしばしの間呆然としていた。けれど、アンジェリカが一歩も引かずに本気だと分かったのか、弾かれたように駆けて行った。


 ヴィルヘルムはすぐに、護衛とともに現れた。


「どういうことだ、これは」


 連れられてきた端整な顔には戸惑いが浮かんでいる。その銀色の頭を見つけて、アンジェリカは心を決めた。


 か細いか細い、一本の糸。わたしとあの人が一緒に過ごした、短い時間。


 アンジェリカの部屋に飾られているリラの花は、まだ美しかった。だから、あれは前に十六歳の彼がくれたものとは別物だ。


 あの花の咲いている場所を知っているのは“ヴィルヘルム”しかいない。間違いない、ちゃんと十六歳のヴィルヘルムの延長線上に、今の夫はいるのだ。


 五枚の花びらのリラは幸せのお守りだと、ヴィルヘルムは言った。


 だとしたら、今の彼も願ってくれるのだろうか。

 わたしの幸せ、とやらを。


 どれほど微かでも、それに縋るしかない。


 わたしは、あなたが咲いていたことを忘れない。


「ヴィル」


 名前を呼んだ己の声が震えていたのが分かった。夫に聞こえていたのかは、分からない。


 この身一つで一体どれだけのものに手が届くかは分からない。けれど、これで無理ならもう、アンジェリカの愛した男はこの世にはいないのだ。あのヴィルヘルムの中、それ以外は。


 それならもう、何も惜しくない。


 賭け金はこの愚かなわたし。あなたがすきだと言ってくれた、わたしだ。


 それを盾にわたしは望むものを手繰り寄せてみせる。

 自分の使いどころは、自分で決める。

 わたしはもう、誰かの駒じゃない。


「わたしは、国には帰りませんっ!」


 強くスカートの裾を握った。素足に、樹の皮のざらりとした感触が触れる。そのままその枝を強く蹴ってアンジェリカは木の上から飛び降りた。


 遠目から見ても、灰青色の目が大きく見開かれたのが分かった。


 茶色の髪が上へと流れていく。耳の後ろで、どくどくと脈打つ己の鼓動を感じる。


 スカートは大きく広がって、ばたばたと風にはためいた。ふわりと、腹の中が浮かび上がるような心地がする。


 アンジェリカは、地面に叩きつけられる予感にぎゅっと目を瞑った。


「アンっ!!」


 ただ、真っ暗な闇の中で鋭い声が自分の名を呼んだ気がした。


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