episode1. 光 始発の光
Prologue|始発の光
朝の霧が晴れるころ、
心の中の線路もまた、
静かに動き出す。
それが、すべての始まり。
「軌跡」を読むあなたへ
人生には、速さよりも大切なことがある。
それは、「どんな速度でも、自分の線を走ること」。
誰かより遅くても、途中で止まってもかまわない。
風が止む日もあれば、光が見えない夜もある。
けれど――
線路は、必ずどこかへと続いている。
この物語は、五人の人間がそれぞれの“速度”で生きる軌跡の記録です。
光は、未来へと走る人。
翼は、風に並走する人。
輪太郎は、速さの果てで止まる人。
颯介は、動かずに支える人。
美咲は、止まることで新しい始発を見つけた人。
彼らの人生は交わらなくても、
同じ線の上にあり、同じ方向へと進んでいます。
その線こそが、「奇跡」であり、
同時に「軌跡」でもあるのです。
この本を開いたあなたにも、
どうか、自分の速度で進む勇気がありますように。
――走らなくても、人生は進んでいる。
あなたの“光”が、今日も誰かを照らしています。
episode1. 光
動くたび、心が震える。
迷いながらでもいい。
進むことそのものが、
あなたの「光」になる。
episode1. 始発の光
朝霧の郡上八幡。
山々のあいだからこぼれる光が、まだ眠る町をやさしく照らしていた。
川のせせらぎと、遠くで響く汽笛の音。
あの日と同じ匂いが、春の風に混じっていた。
小学生のころ、私はよく幼なじみの颯介と線路沿いを歩いた。
線路の継ぎ目から聞こえる「カタン、コトン」という音が、
まるで心臓の鼓動のように感じられた。
「これ、どこまで続いとるんやろうな」
颯介がしゃがみ込み、小石のような銀色のかけらを拾い上げた。
それは朝の光を受けて、まるで宝石のように輝いた。
「きっと、東京まで」
彼の言葉に、私は目を見張った。
“東京”という名前の響きが、遠くの世界の入口のように思えた。
――いつか、この線路の上を自分で走らせてみたい。
その瞬間、胸の奥で何かがはじけた気がした。
***
あれから十年。
私は郡上八幡駅のホームに立っていた。
片手には小さなキャリーケース、もう一方にはお母さんが作って
くれた郡上染めのお弁当袋。
ホームに流れる始発のアナウンスが、少し震える心を包み込む。
車両の窓に映った自分の顔は、期待と不安を同じくらい抱いていた。
母がそっと手を握って言った。
「無理して笑わんでもいい。走りたいときに走ればいいのよ」
列車が動き出す。
ゆっくりと景色が流れ、川が遠ざかっていく。
私は胸の中で静かに呟いた。
――誰かのレールを走るんじゃない。
自分のレールを、探しに行こう。
***
大阪に来た春。
キャンパスの桜が舞い、どこか潮の香りが混じる風が心地よかった。
鉄道研究会の部室を訪ねたとき、私は少し緊張していた。
男子ばかりの部室で、私はおそるおそる口を開いた。
「女の子でも、入っていいですか?」
一瞬の静寂のあと、笑い声が響いた。
「そんなん関係あらへんやろ!」
そう言って笑ったのが、翼だった。
関西弁特有の軽やかさと、どこか少年のようなまっすぐさ。
その日から、私の毎日は少しだけ風通しがよくなった。
研究会では、夜行列車を撮影しに行ったり、模型を並べて議論したり。
終電を逃して、駅のベンチで朝まで語り合ったこともある。
翼は本気で鉄道が好きで、でも少し不器用なところがあった。
「オレ、ほんまはパイロットになりたかってん」
カップ麺をすすりながら、ふいに彼が言った。
私は笑って返した。
「空もいいけど、地面を走るほうが、安心する気がする」
彼は少し驚いたように笑い、
「なるほどな。光らしいわ」と言った。
そのとき初めて、自分の名前が好きになれた気がした。
夜の窓の外を、貨物列車が通り過ぎる。
線路の上に残る光の筋を見ながら、私は思った。
――空を飛ぶより、地を走るほうが、ずっと自分らしい。
***
大学を卒業する年。
進路を決める時期が近づくと、心はだんだん重くなっていった。
机の上には、二つの封筒。
ひとつはANA。もうひとつはJR。
どちらも、私にとって夢の形をしていた。
深夜、部屋の窓を開けると、春の風がカーテンを揺らした。
遠くで、夜行列車の走行音が小さく響く。
スマートフォンが震え、颯介からのメールが届いた。
――空は速い。でも、地は強い。
たった一行の言葉に、胸が熱くなった。
あの郡上の線路のかけらが、今もどこかで輝いている気がした。
私は机に並んだ封筒を見つめ、ゆっくりとJRのものを手に取った。
速さよりも、確かさを選びたかった。
誰かの期待ではなく、自分の歩幅で生きていきたかった。
***
春の朝。
JRの訓練センター。
真新しい制服の袖に腕を通すと、少しだけ背筋が伸びた。
窓の外では、線路の上を始発列車がゆっくりと滑り出していく。
その光が、教室の床に反射して、まぶしいほどに美しかった。
教官の声が響く。
「安全は、心で守るものだ」
私はうなずき、胸の奥でひとつ深呼吸をした。
緊張と期待、そして小さな決意。
全部を抱きしめて、静かに目を閉じた。
ふと、あの郡上八幡の朝を思い出す。
颯介の手のひらにあった、あの銀色の線路のかけら。
あれはきっと、今もどこかで光っている。
ホームに出ると、春の風が頬をかすめた。
髪の隙間をすり抜けるその風が、
まるで“行ってこい”と背中を押してくれているようだった。
列車が滑るように動き出す。
ゆっくりと、でも確かに前へ進む。
私はハンドルを握り、心の中で小さく呟いた。
――光は、速さよりも確かさを運ぶ。
目の前の景色が、ゆっくりと朝の色に染まっていく。
空にはまだ淡い雲。
その向こうから、未来の気配が静かに差し込んでいた。
今日も、新しい一日が始まる。
そして、私の“線路”もまた、ここから始まる。
朝のホームに吹く風が、やさしく背中を押した。
それは、これから出会う誰かの物語へと続く――
“並走する風”のはじまりでもあった。
軌跡 ~five speed of life~
訪問閲覧して頂き、ありがとうございます。
旅、仕事、移動中に束の間トリップ。
記憶の情景にシンクロ出来たら幸いでございます。
もし高評価が頂けましたらepisode2以降を順次投稿させて頂きたいと思いますので、ぜひ感想をお聞かせくださいませ。
宜しくお願い致します。ーー茶太郎ーー




