ツイノベまとめ 魂に刻まれた記憶 キスの日記念ss
「はぁ……」
頭の上で落ちた溜息を拾い、とろりとした微睡の中で意識が浮上する。
瞼が重く、体はいうことを聞いてくれない。骨がギシギシ音を立てているのは昨晩の余韻だと思うけれど。
それより問題なのは、くり返されるため息だ。マヒルは何か悩みを抱えているみたい。
「ハァー、困った……」
「ど、したの?」
「ん?……起こしちまったか。おはよう、オレの彼女さん」
「お、はよ……」
うん、確かに起こされはしたけれど。辺りを見渡せば暖かい日差しの光に包まれている。いつもより遅い時間だという感覚はあるけれど、もしかしてもうお昼時?
ハッとした瞬間に私のお腹が『ぐぅ』と音を立てた。
慌ててお腹を抑えると、私の頭を乗せていた人間まくらが動き丸太みたいに太いその腕に抱え込まれてしまう。顔にむぎゅむぎゅ当たるのは厚い胸板だ。
耳のすぐそばでチャリ、という金属の擦れる音がする。
暗闇の中でずっと聞こえていたのはマヒルの甘い吐息と、波のような揺らぎに沿う鎖の音だった。
顔が勝手に熱を持ち、それを隠したくて思い切りしがみつくと髪を撫でられた。
指先が髪の間から地肌に触れるたびに胸の鼓動が速くなる。素肌のままでくっついているから彼には伝わっているだろう。今さら隠しても意味がないものは仕方ない。
「ふむ……誰かさんは腹が減って起きたのか」
「違うの!マヒルのせい……けほっ、」
「声が掠れてるのは、確かにオレのせいだな。ため息がうるさかったか?」
「うるさくはないけど、気になったの。……なんか恥ずかしいね、こういうの」
「確かに照れくさいが慣れてくれ。これから先もずっとこういう朝が欲しい」
「くっ!恋人になったら突然そういう事……ん?待って、マヒルって普段からこんなこと言ってたような……」
「そうだな、オレはずうっとお前を好きでいたから。一度離れた後思い知ったんだ。兄妹なんかになれるわけがなかった、こんなに好きで好きで仕方ない女の子にその地位でいてもらうことはできないって」
「…………妹の座はもうないの?」
「恋人と両立してもらわないといけなくなるぞ」
「うん。それは、大丈夫」
「ならいい。たまにはな」
マヒルの柔らかい声の中には、私への真っ直ぐな想いと優しさが含まれている。いつものヤンチャな感じも、執艦官の軍人然とした様子も、この人の中にはあるはずなのに。
そっと胸元から見上げると、彼は小首を傾げて『どうした?』と聞いてくる。
ゆるい弧を描く暁の色に私だけが映る。黒、紫、そしてオレンジ。太陽の光を吸い込んで星が瞬くように瞳の奥でその色が煌めいていた。
少し目にかかる長めの前髪、憎たらしいほど整った鼻筋、マネキンよりも整った唇の口角は上がりっぱなし。
沈黙のままで見つめ合っていると、瞳の中に熱が浮かんでくる。
頬に指先が伸ばされて、どうしようもないほど綺麗な顔が近づいてくる。半ばパニックを起こしそうになった私は両手を突き出して動きを止めた。
「むぐ」
「す、ストップ」
「ふぁんでは」
「な、なんでもイイでしょ!」
「…………キスしたい」
「キスで終わる気がしないんだけど」
「…………」
「もう。マヒルの体力に合わせてたら壊れちゃうよ」
「……ふ、」
わずかに微笑んだ彼は瞳の中の熱をさらに上げて、私を見つめたまま手のひらに唇で触れる。柔らかなそこにも同じ熱が宿り物欲しそうな目が問いかけてくる。
「……ダメか?」
「……だ、だめ」
「どうして、オレたちは一つじゃないんだろうな。何度繋がっても足りないんだ」
「そういう事言わないで!」
「これもダメなのか?どれだけ『愛してる』って言っても足りないのに。
好きだ、愛してる、オレの大切な人……かわいいな。もし壊れたら、ずうっと大切にしてやる。オレが全部面倒見てやるから」
「――〜〜ッッ!!!」
繰り返される甘い言葉の間にもキスは落とされて、だんだん近寄ってくるマヒルは耳と頬が赤く染まっている。
このまま流されるわけにはいかない。私は本当に、身体中から悲鳴が上がってるんだから。介護生活は勘弁してほしい。
「私たちが一つになったとしたら、こうやって見つめ合うことはできなくなるよ」
「…………」
「キスもできない」
「……たしかに」
「マヒルがしたいっていうアレなアレもできないよ?」
「セックスができなくても、こうしてそばにいられるならそれだけで幸せだ」
「……ごほん。ここに座って」
大人しく私の隣に座り、ショボンとした姿が可愛いと思うなんて。私も大概マヒルのことが好きなんだな、としみじみ思う。だからこそ、マヒルのとろけた思考に喝を入れなきゃ。
「体とか、存在とか、物理的に一つになることじゃなくていいの。こうやって手を繋いで、あなたの瞳に私が映る方が好き」
「そうか……」
「愛情を伝え合ったとしても、満足するのは……その、時間がかかると思う。私だってマヒルに求められるのがイヤとかそういうのじゃないんだよ」
「でも、昨日は4回目で張り手をもらったぞ」
「うん、具体的な数字はいいから。えーーと……何が言いたいんだっけ」
ズキズキするこめかみを抑えると、彼は肩に手を回して私の体を引き寄せ、頭をこつんとぶつけてくる。
そのまま猫のように頬を寄せててくるのは昔からの癖だ。握った手も、大きな親指が絶えず私の指をさすっている。
彼の愛情を受け止めてあげたいし、そんな風に表現されたら私だってとても嬉しい。でも、『足りない』という言葉の中には不安が混じっているようにも思えた。
「目に見えるもので確かめたいのはわかるけど、目に見えないものはもう……私たちは一つになってるでしょう?」
「ふぅん、例えば?」
「心とか、想いとか。私はマヒルを愛してるし、マヒルも私を愛してる。疑う余地がないほど表現してくれてますから」
「……うん」
「人と人であっても、他の何かだとしても心は確かに存在している。想い合うことで私たちは繋がって、いつでも一つになれるでしょ?だから、そんな風に不安に思わなくていいの」
「あぁ……わかった。ごめんな、情けない奴で」
「情けなくなんかないよ。あなたはずっと私のヒーローだった」
「そうだといいが……なぁ、」
納得した雰囲気を醸し出していたはずの彼は、再び私の瞳に問いかける。濡れたようにうるうると揺らぐ瞳の中には『長年待った分ご褒美が欲しい』とでも書いてあるようだ。
私は仕方なく頷き、溢れんばかりの輝く笑顔を迎えるしかなくなった。
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二人が一日を終えて寝静まった深夜、彼の腕に抱かれた彼女は掠れた声で寝言を囁く。
最近になって譫言のようにくり返されるこれを知っているのは、そばにいるマヒルだけだった。
「わたし、たち……は。もう、離れ……ない」
「あぁ、そうだな」
「宇宙は……寒い」
「あぁ、すごく寒かった。でも……お前がいたから、心の中はいつでもあたたかい。今も、その時もそれだけは変わらない。オレはずっとそばにいる」
小さく頷いた彼女を抱きしめ、マヒルはようやく眠りにつく。
寄り添うふたりの睫毛には、静かな祈りのように――小さな雫が宿っていた。