デコヒーレンス/不可逆的なプロセス
X02side
「兄さん、これは何?」
「ん?……こんなのどこで拾った?」
「そこに落ちてた」
「紙の本か、よくこんな綺麗な状態で残ってたな」
「折り紙にできる?」
目の前で小首を傾げたオレの妹……A01は瞳を輝かせている。文化的な遺産であろう本を手にして、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
彼女にとっては……いや、この世界にとって過去を知る物になど価値はない。
実験室を出たばかりで、戦場しか知らなかったオレたちは外の世界のありとあらゆるものが新鮮だった。知りたい事は、他に沢山ある。
「あぁ、できる。けど……ちょっと中をみていいか?」
「いいよ」
妹は昨日の晩作った折り鶴を取り出して、僅かに口端が上がる。今まで感情の機微を知らずにいた彼女は、新しいおもちゃに夢中だ。
「ふぅん、絵付きの本てことは雑誌ってやつか。題名は……」
色あせた表紙の砂をはらい、そこに現れた文字。言語についてはどこに行っても不自由しないよう脳内にインプットされてはいる。これは極東で書かれたものらしく、検索に僅かな時間がかかったがようやく翻訳できた。
「『キメたい二人のAtoX』?なんだそりゃ」
言語が読めても意味がわからない。キメは決めでいいだろうに、わざわざカタカナにしているのは何故だ。
そして、AtoX?俗的な表現でAtoZ、つまり始まりから終わりまでを表すスラングがあるのは理解出来る。
だが、Aから始まる文字原語は終わりがZのはずだ。どう言う意味でAからXにしたのかはわからないが、オレ達にも馴染みの深い文字が中身を知りたい欲求を駆り立てた。
傍にあった倒木に腰掛けると、A01が膝に乗ってくる。オレの肩に頭を置いて、瞼を閉じた。
心地よい重さと体温が伝わると、胸の内側からふわふわした何かが生まれる。
彼女は兄であるオレを信頼している。幼少期に顔を合わせていたが、逃亡に失敗して……彼女は頭の中を弄られている。だが、不穏な記憶として抹消されたはずの自分を覚えていてくれた。
それが嬉しかったし、同時に悔しかった。オレは彼女の自由と未来を掴み損ねた。それからずっと、一枚の壁を隔てなければそばにいられなかったんだ。
今はこうして何にも隔たりはなく、触れたいと思えばそうできる。そして、彼女も同じ気持ちを持ってくれているのだと確信できた。
思わずニヤけてしまう頬を揉み、眉に力を入れて真剣な心地で本を開く。
あたたかな寝息が首をくすぐると、腰が浮くような感覚がする。気を逸らしそうになるも、冒頭の文章を読んでから集中せざるを得なくなった。
――オレはこの時、この感覚がなんなのか……理解していなかったんだ。
━━━━━━
「兄さん」
「ん?どうした」
「なんで一緒に寝てくれないの?」
「……それは、その……」
トゲのある音の抑揚に、背筋がヒヤリとする。オレたちは崩壊しかけた都市に初めての棲家を得て、違う星へ旅立つための準備をしている最中だ。
今までずっと一緒に眠っていたから、彼女は待ちくたびれて口を尖らせている。
オレは……あの本を見ている途中で、半端に得た知識を彼女に与えてしまった。
〝気遣い〟と言う唇の触れ合いが持つ正確な目的を、瞬間の触れ合いが意味する先を知った今、再び彼女に触れるのが怖い。
あの本は、恋人たちがする行為の知識本だった。
その割にはやたらと文章が長く、装飾の用語が多いから読むのに手間取ってしまった……と言うのは言い訳にしかならない。
一つになりたい、と漠然とした思いを抱えていたオレは、その欲望の真意を知ってしまった。
「マヒルが一緒にお布団に入らないと、寝られない」
「……ぐっ」
「イヤなの?私、あなたに嫌われた?」
「ちがう。そうじゃない」
慌ててベッドサイドに駆け寄ると、彼女は両手を掲げて笑みを浮かべる。
自分の欲望の向かう先を知ってしまった今、安らぎを得るはずの光景が凶器のように胸に刺さった。
「……はやく」
「ん、うん」
「なんだか変だよ、兄さん本当に私のことが」
「嫌いになるわけがないだろ」
「じゃあ、ちゃんと行動で示して」
「……………………」
これを教えたのはオレだ。気遣いと称して身体のふれあいをインプットしてしまった罪は、自分にある。
潤んだ瞳は不安を浮かべ、じっと見上げてくる。メカスーツを脱いだ〝いもうと〟がまとう薄い布は、体の形を勝手に視覚情報として伝達する。
ぎこちない笑顔が柔らかに浮かぶようになった頃から……いや、もっとずっと前から持っていた、たった一つの望みが腹に熱を生む。
「あのな、こう言うことは兄妹でやっちゃいけないんだ」
「どうして?」
「…………気遣いの先にあるモノが問題で、その、」
「先があるの?教えて」
「お前は女の子だから、取り返しがつかなくなる。初めてしまえばオレは途中で止まれる自信がない」
「私、壊れるの?」
「そんなようなもんだ」
「いいよ、壊しても」
「そういうことを簡単に言うな。意味がわかってないから……」
「だから教えてって言ってるの。私を壊すなら、それをする人は兄さんがいい。他の人はいや」
「…………ぐぅ」
ぐうの音も出ない、という表現を体感してオレは唇を噛む。わざわざ『マヒル』と『兄さん』を使い分けているが、彼女は何も知らないはずだ、兄妹が示す本当の意味を。
オレたちのような作られた存在にそんなものが定義されるのかすら怪しいが、試験管の中にあったのは確かな命だったはず。
気遣いの先にあるものは、禁忌だ。そしてそれを侵さない自信は微塵もない。
この世の何もかもより可愛くて、何もかもより愛おしい彼女を永遠に繋ぎ止めるため、曖昧な関係を定義した言葉は禁断の果実そのものだった。
「……っ、」
「なっ、なんで泣くんだ?」
「気遣い、欲しいのに……くれないから」
「ごめん」
慌てて抱き上げると、彼女は身を丸めてしがみついてくる。尻を抱えて額にキスすると、幸せそうな笑みが浮かぶ。
涙を唇で拭うと、彼女も同じようにオレの眦に触れた。雫に濡れた唇が月明かりに照らされて、胸の中で何かがザワザワと蠢きだす。
「マヒルも、なみだがでてる」
「あぁ、そうみたいだ」
「気づかなかったの?センサーが故障した?」
「故障、したかも知れない」
「なおす?」
「エネルギーを無駄にしちゃいけないだろ」
「いい。マヒルが壊れたら、私がなおす」
彼女をベッドに戻すと、そのまま首に回された腕に引き寄せられる。
柔らかい四肢の感触を頭の中にしっかり刻みながら、仕方なく寄り添った。
「……このまま一緒にいたら、二人とも壊れちまうかもな」
「そうなの?」
「そうかも知れないって、言ったら?」
「…………」
腕の中におさまったA01は、何も知らないままの無垢な瞳にオレを映す。そこには、顔を上気させてただ彼女を壊そうという欲望を必死で抑える男が居る。
我ながら、酷い顔をしていると思った。
「何度も言わないとわからないの?わたしは、マヒルになら壊されてもいい。兄さんが知っている事を教えて」
「元に戻れなくなるぞ」
今度こそ満面の笑みを浮かべた彼女は、柔らかな唇を唇に押し当てて密やかな笑いをこぼした。
「――いいよ、最初からそのつもりだったでしょ」
続きはpixivにあります。




