柔らかな看護
マヒルside
「ん……ぅう」
「……?」
重い瞼が持ち上がり、謎の呻き声に意識が浮上する。胸の上で寝息を立てていたはずの彼女は、ベッドの下にうずくまって蠢いている。急速に覚醒し、慌てて起き上がった。
「ッどうした!?」
「……マヒル」
「寝ぼけたて落ちたのか?あ、もしかして」
返事はこず、瞼が半分下がったままの瞳が目線をよこした。これは……そうだ、今日が予定日だからオレは休みを取ったんだった。
「トイレに行くか?」
「うん」
ゆらゆらと体を揺らし、傾ぐ彼女を抱えて持ち上げると、上目遣いの視線を感じる。
なるべく振動を与えないようにゆっくり歩いていると、この時期特有の高い体温が腕に沁みてくる。
たどり着いたトイレのドアを開き、棚の上からナプキンを取り出して手渡した。
「自分でできるな?」
「ん、」
「迎えにくるから、座って待ってろ。湯たんぽを作ってきてやるから」
「ん……」
短い返事を返すたびに瞬きし、小さな手のひらが腹を抑えた。痛み止めも飲ませてやらなきゃだな。
ゆっくり立たせてドアを閉じると、中でゴソゴソ音がしている……大丈夫そうだ。
慌ててキッチンに駆け込み、ケトルのスイッチを入れた。
━━━━━━
「お姫様、支度はできてるか?」
「……」
「開けるぞ」
準備を終えてトイレから出てくるのを待っていたが、いつまでも出てこず仕方なくドアを開く。彼女は壁に体をもたれて、眠っている。
ゴミ箱を見ると、必要な処理はできたようだった。
「ごめん、待たせたか」
「……ん」
「そのまま寝てろ、オレが連れてってやるから」
来た時と同じように抱き上げると、腕が首に回され抱きついてくる。先ほどよりも熱は上がっているようだ。
女の子ってのは、本当に大変だ。この期間は痛みもあるし、体だけでなく心も調子が悪くなる。せめて貧血にならないように、後でバランスの取れた飯の作り置きをしておこう。
「ベッドとソファ、どっちがいい?」
「ソファ……」
「わかった。豹柄のブランケットと、湯たんぽ、生姜ミルクがあるぞ」
「はちみつ、は?」
「もちろん多めに入ってる。あったかい物を腹に入れてから、痛み止めを飲もう」
「うん」
本人の顔にようやく笑顔が浮かんで、思わずホッとした。
ソファに座らせて、ぬるめの飲み物と痛み止めを飲んだ途端、また眠くなってきたみたいだ。うつらうつらしたままこちらに手が伸びてきた。
今回は睡眠欲が強いパターンか。
「抱っこ」
「はいはい、仰せのままに」
ソファに腰を下ろしてブランケットを巻きつけ、膝の上に乗せてやると胸元に擦り寄ってくる。甘えん坊も追加されているらしい。
「寒くないか?」
「うん」
「湯たんぽ、腰に当ててやろうか?」
「うん」
オレに抱きついたまま彼女はモゾモゾと動き回って居心地のいい場所を探し、やがて満足げな顔をして瞼を閉じる。
頭を撫でて湯たんぽを腰に当ててやると、大きな大きなため息が落ちた。
「めんどくさいね、わたし」
「お前の世話を面倒だと思ったことは、一度もないぞ」
「ん……明日まで一緒にいてくれる?」
「あぁ、作り置きの飯も用意してってやる。生理初日はそばにいるって約束しただろ」
「うん」
もう一度ため息が落ち、それが震えていることに気づいた。もう少し早く痛み止めを飲ませておけば苦しむこともなかったのに、夜航任務の後でうっかり眠ってしまって後手を取ったな。
丸まった腰に湯たんぽを押し付け、背中をさする。体を預けたまま身じろぎもしない体を思うと、オレの胸もちくりと痛んだ。
「もっと早く薬を飲ませればよかった。予定日通り来たのに、うっかり寝ちまったんだ。ごめんな」
「…………」
「オレが痛みを代わってやれたらいいのに」
「……だ、め」
「えっ?」
熱で赤く染まった手は、オレの右腕に触れてゆっくりとカタチをなぞる。胸元に押し付けられた顔がどんな表情をしているのか見えないが、しかめ面をしているだろうことは察せられる。
「オレは、痛みに慣れてる。よく知ってるだろ?」
「知ってるけど、いやなの」
「前は感じて欲しいって言ってた」
「そういう意味じゃないでしょ。〝私を感じるための痛み〟なら感じて欲しいって意味だよ」
「……そっか」
胸のうちから広がるあたたかな気持ちに浸っていると、ぐりぐり頭が押し付けられた。そこからくぐもった声が聞こえる。
「マヒルが痛いのは……もう、これ以上は絶対、だめ……」
彼女の言葉は胸元から全身に広がり、甘い気持ちが浮かんでくる。仕事で空になった心に、柔らかな幸せを満たしてくれる。
これは小さな頃から彼女だけが持ち続けているものだ。他の人では満たされない器を持つ自分は、彼女の所有物だと言える。
やがて穏やかな寝息に変わったそれは、オレの体の中に確かなものとして残された。
「――どれだけ痛みを抱えていても『お前がくれるものがオレの欲しい物だ』って、前に言っただろ?
それは、ずっと変わらないよ」
呟いた声は、自分でも驚くほど優しく響く。窓の外の朝焼けを眺め、満ち足りた気持ちで口端をあげた。




