植え付けられるもの
朝日がカーテンの隙間から差し込み、瞼の中にまで光を侵入させてくる。
体を動かそうとして、気づいた。
首の下と、腰に久しぶりの感触がある。私の頬に触れているムチムチした筋肉は、多分彼の胸だと思うんだけど。
そうっと瞼を開くと、紺色のシャツにプリントされた黒い文字が陽光を弾いていた。
彼が居る。昨日の夜、私を寝かしつけてから夜航任務に行ったマヒルが。
無事に帰ってきてくれたのだという安堵感と、珍しく私のベッドに横になって居るという不安が浮かぶ。
ベッドボードに載せた目覚まし時計をチラリと確認してみても、普段起きる時間よりは早い。
がっしりした体躯の緩い拘束の中でもがき、ようやく頭の上にある顔を見つけた。私の前髪をくすぐる吐息があたたかい。
目を瞑った彼の涙袋の下に、うっすらとクマができている。
怪我はなさそうだけど、普段は私を起こさないよう自分のベッドで寝る筈。朝起きて、キッチンに行けば朝食の匂いと彼の笑顔が迎えてくれるのがいつものはずなのに。
そうっと指先を伸ばして、頬に触れる。お風呂に入ったのだろう、石鹸の匂いはしているけどまた保湿をしていない。
カサついた皮膚は私の指先に乾燥を伝えた。
「もう。私には勝手にしてくるくせに、どうして自分のケアはしないの?
......何かあったのかな」
「ん、」
皮膚と同じくカサカサの唇が動き、まつ毛のびっしり生えた瞼がわずかに上がる。
オレンジ色と紫の境目まで持ち上がったそれはやがて焦点を合わせ、私の姿を映してじわじわと瞳孔を広げていった。
「マヒル?起きたの?」
「......」
「珍しいね、寝ぼけてる」
「......まだ、早いだろ」
掠れた声で囁かれ、腕の筋が動き、私は彼の腕の中に閉じ込められる。
珍しく寝ぼけたままのマヒルはふぅ、と小さなため息を落として口端を上げた。
「......かわいい」
「え?」
「お前は本当に、かわいい」
緩んだままの顔でそう呟き、再び瞼が閉じられる。
私の心臓は突然の衝撃に悲鳴をあげ、激しく脈打つ。
別に、ときめいたとかそういうんじゃないし。通り魔にあったというか、貰い事故というか、うーん......。
一通り自分への言い訳を思い浮かべていると、引き寄せられた胸の奥から穏やかな音が聞こえてくる。
マヒルは、爆発事件の後再開してから私の不安をいち早く察して、わざわざ心音を聞かせてくれる。
マヒルだって突然の事故でどうにもできなかった。被害者は彼で間違いないのに、私は思い出したように不安に押しつぶされそうになる。
これはトラウマというべき心の傷だった。何度も不安になり、何度も確かめて、何度もホッとする様子を目の前で見せることは申し訳ないと思うけれど、私自身もどうにもならないことの一つだ。
この世で唯一無二の家族であり、大切な人を亡くしたという衝撃には二度と耐えられる気はしない。
胸の中にじわじわと広がる火傷のような痛み。それを覚えさせたのも、忘れさせてくれるのも兄さんだけ。
この腕の中は暖かくて、優しい。ここは、今のところ私だけのものだ。つんつんと指先で彼をつつくと、再びくぐもった声が聞こえた。
「ん、寂しいのか?こっち来い」
「マヒルのバカ」
「うん」
「バカ……」
「……うん」
当分は起きそうにない彼の返事は当てにならない。筋肉質な胸元にグリグリと顔を押し付けて瞼を閉じる。規則的に上下する胸の動きと、鼓動が体に伝わって、耳に染み込む。
背中に回った大きな手のひらがトントン、と優しいリズムを刻み、その速度が落ちていく。
こうなったら私も寝てしまおう。微睡の中に足を踏み入れた瞬間、私の名が呼ばれた。
「......マヒル?」
わずかな沈黙の後体全体にその低くて柔らかい、優しい声は響く。
「愛してる」
当然、私の眠気はどこかへ消え失せた。




