戦う者の歌が聴こえるか
この秋、フィリピン映画「ボルテスVレガシー」が日本でも公開された。映画館に行くタイミングを逃していたが、BSで放送されるようなので楽しみにしている。
超電磁マシーン ボルテスVは元々は日本のアニメ(1977〜78年)であるが、当時は大きなおともだちはついていなかったように思う。
フィリピンに輸出され、放送されると子どもには大ウケしたが、太平洋戦争の記憶がある大人には反日感情もあり良く思わなかったとされている。終盤、ボアザン星の革命の回が放送されようとしていた1979年8月、フェルディナンド・マルコス政権(1965年〜、1972年戒厳令施行)から放送禁止にされる。
その後もマルコス独裁政権は続いていたが、1983年8月21日のベニグノ・アキノ氏暗殺を契機にフィリピン全土に反マルコス運動が広がっていった。
1986年2月7日投票の大統領選挙で野党連合のコラソン・アキノ氏が勝利したが、中央選挙委員会はマルコス勝利を発表、野党連合のみならずカトリック教会やフィリピンに基地を置いていたアメリカ合衆国政府からも非難を受け、大規模な反マルコスデモが沸き起こり、22日に国軍クーデターが勃発、25日にマルコス夫妻がアメリカへ亡命、アキノ政権が成立した。この一連のエドゥサ革命もしくはピープルパワーで歌われた「ボルテスVの歌」は革命歌として扱われるようになった。
これは日本のアニメソングが他国で革命歌・軍歌として扱われるようになった一事例であるが、日本ではどうだろうか。
海上自衛隊では護衛艦の出港時に「宇宙戦艦ヤマト」が演奏される。「必ずここに帰ってくると〜」の歌詞になぞらえている、とのことである。公式儀礼曲である「行進曲軍艦」とともに、海自音楽隊による演奏会・イベントでも重要なレパートリーとして演奏されている。事実上の「軍歌」と言ってもよいだろう。
自衛隊の音楽イベント「自衛隊音楽まつり」(毎年11月、日本武道館)では陸上自衛隊・航空自衛隊の音楽隊もアニメや特撮の曲を演奏することが多くなった。陸自は新世紀エヴァンゲリオンや機動戦士ガンダム水星の魔女、空自はマクロスFのライオンの演奏実績があるが、自衛隊といえばこの曲、という一曲がある(ただし軍歌ではない)。
今年2024年の自衛隊音楽まつり、自衛隊創立70周年のこの年、冒頭でナレーションがやらかした。同じく70歳のゴジラを「自衛隊のライバル」と紹介したのだ(右や左の世間様は許さないのかもしれない)。しかし、ゴジラと今まで一番戦ったのは自衛隊であり、自衛隊としても今まで一番戦ったのは映画ではゴジラ、現実では災害であった。いや、ゴジラ自体が人知を超えた災害のメタファーであるので、ゴジラが「自衛隊のライバル」という表現はまちがっていない。
だがしかし軍隊(自己完結能力を持つ集団)である自衛隊はソ連・ロシアや中国や北朝鮮(などの仮想敵国)と戦うのか本分だ、と強く主張する人がいる。音楽隊や広報はいらない、東京大阪のワクチン接種なんて自衛隊の職務じゃない、果ては災害派遣は警察や消防が行え、と。そうなのか?。
昨年2023年の自衛隊音楽まつり、陸海空の全音楽隊(陸海空の中央、方面、各師団・旅団)の合同演奏として、ミュージカル「レ・ミゼラブル」から「民衆の歌」が演奏された(「劇団四季」版、岩谷時子訳詞)。フランス革命と「ラ・マルセイエーズ」をモチーフにした曲であるため、「よくもまあ決裁が通ったなあ」とびっくりはしたし、YouTubeの当該動画には否定的なコメントもある。
しかし戦っているのは、銃を撃つものだけではないのだ。守っているのは国の主権、国民、領土。自己完結能力を持つ唯一の集団として、そして集団たらしめるために、裏方や協力企業を含めすべてが戦っている。
1995年の阪神淡路大震災あたりから顕著になったのだろうか、自衛隊への志望動機として、「災害派遣に貢献したい」というのが表に出てくるようになった。「戦わない奴ら」が何かを言うのは勝手だけど、最後にこの言葉を添える。
「ファイト」