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第6話 渇望(1)

 

 その後もシルヴェストルは、レンカに対しあらゆる要求をしてきた。

 『着替えをだせ』『顔を洗いたいから水をくんでこい』『石けんがない? なら作れ』『寒いから寝具を暖かいものに変えろ』といった調子で、そのつどレンカを苛立たせた。


 だが、シルヴェストルと接すれば接するほど、「前王朝を滅ぼした狂王」という印象は薄れていった。

 確かに傲慢で身勝手で薄情者ではあるが、身内を皆殺しにするような冷酷さは、今のところ感じられない。

 もし、彼が本当に王朝を断絶させたのなら、いったいどのような経緯があったのだろう。


 気になる点は他にもある。

 

 人間の食事と同様、吸血鬼も血を摂取しなければ体が弱り、いずれは餓死するはずだ。

 にもかかわらず、シルヴェストルはレンカの血を一度も求めたことがないし、森の動物から吸血している素振りも見せなかった。

 このままで大丈夫なのかと気を揉みつつも、レンカは自身の血を差しだす気になれなかった。


 吸血鬼に少量の血を吸われるぐらいなら問題は起きないが、血を大量に奪われて命を落とした場合、その人間は吸血鬼と化す。

 そのうえ、血をすすってきた吸血鬼の眷属となってしまう。


 紅血の指輪がどこまで守ってくれるかわからない以上、シルヴェストルの眷属になる危険を冒してまで、彼に血を与える選択はできなかった。

 レンカは後ろめたさを覚えながらも、シルヴェストルの食事問題を放っておくことにしたのだった。


 そんな調子で、城に逃げこんでから一週間がすぎた。


 シルヴェストルはおのれの言をたがえず、城に散らばる本をかたっぱしから読んでいたが、成果ははかばかしくなかった。

 暇つぶしとして持ちこまれた書物の数々は、ほとんどが物語や詩集で、参考にはならないらしい。

 この城にあるものだけでは、有益な情報を得られそうになかった。

 

(街の本屋へ行かないと、手がかりは見つからないよね)


 夕食を食べおえたレンカは、シルヴェストルの部屋へ向かいながら頭を悩ませていた。

 街の本屋で本を買うという、ただそれだけのことが、今の彼女には難しい。


 なぜなら近隣の街は、間違いなくアーモスの配下によって見張られているからだ。

 くわえて、今のレンカは無一文だ。金銭を得るには、挙式で着用したローブや装飾品を売りはらうしかない。しかし、アーモスの手先にそれを知られてしまえば、販売経路から居場所を割りだされる可能性がある。


 こうなると図書館へ行きたいところだが、万民が利用できる場所は、王都アルテナンツェにしか存在しない。

 今いるステルベルツから王都までは、馬を使って七日はかかる。移動中は追っ手の目につきやすくなるため、実行する気にはなれなかった。


 手詰まりになったレンカは、仕方なくシルヴェストルに話を聞いてもらうことにした。当てにできるとも思えないが、ひとりで考えつづけるよりはましだろう。


 部屋を訪ねてみると、シルヴェストルは椅子に腰かけて本を読んでいた。

 採光が不十分なこの寝室は、黄昏時の今、すっかり闇に包まれている。高さのあるひつに置かれた蝋燭の明かりが、彼を柔らかく照らしだしていた。


 なんでも人任せなシルヴェストルだが、情報収集だけはまじめに取りくんでいるらしい。

 ただたんに、暇を潰しているだけかもしれないが。


「なんの用だ?」


 本に目を落としたまま、シルヴェストルは口を開いた。


「ちょっと相談したいことがあって……」


 シルヴェストルの正面に立ったレンカは、ふと違和感を覚えた。

 思わず身を乗りだし、彼の顔をまじまじと眺める。


「おい、そんなに近づくな。無礼だぞ」


 じろりとこちらをにらむ彼の面輪は、ぼんやりとした明かりの中でもわかるほど、やつれて見えた。


「なんだか具合悪そうだけど、大丈夫なの?」

「一度死した身に向かって、ずいぶんなご挨拶だな。僕は吸血鬼なのだから、精気に満ちあふれているはずがないだろう」


 取りすました顔のシルヴェストルに、レンカはもどかしさを覚えた。

 

「それはそうだけど、今はさらに不健康そうだよ。頬のあたりなんて肉が落ちている気がするし。……もしかして、血を飲んでないから?」


 触れまいと決めていた話題を、ぽろりと口にだしてしまった。

 レンカがしまったと思うのと、シルヴェストルが無表情になるのは、ほぼ同時だった。


「おまえには関係ない」

「関係あるよ。あんたの体調が万全でないと、追っ手を摘まみだせないでしょう。それに、指輪をはずす方法もまだ見つかってないじゃない。探しあてるまでは、元気でいてもらわないと困る」

「僕はいたって元気だ。おまえにとやかく言われる筋合いはない」

「そんなに強情を張らなくても」

「レンカ」


 鋭く名を呼ばれ、レンカはびくりと肩を揺らした。

 シルヴェストルはこちらを見あげながら、声を低めて言った。


「要件はそれだけか? 用が済んだのなら、出て行け」

「ちょっと待って、まだ話が……」

「出て行け」


 ぴしゃりとはねつけられ、レンカは口をつぐんだ。


 彼女は立ち去るさい、ちらりとシルヴェストルを盗み見た。

 本に視線を向けているはずなのに、彼の目はここではない、どこか遠くを見ているようだった。

 その抜け殻のようなありさまに、レンカはひどく胸騒ぎを覚えた。



***



 翌日の昼、レンカは弓矢で鹿を仕留め、手押し車で城近くの川まで運んだ。さすが狩猟用に造られただけあって、狩りのための道具一式は、チェルヴィナー城にそろっていた。


 レンカが弓を扱えるのは、父親から手ほどきを受けたからだ。


 今でこそなにもしないが、母が存命だったころ、父は積極的に狩りをしていた。狩猟は貴族のたしなみだと、固く信じていたのである。

 上層貴族が好む、鷹や猟犬を使った狩りではなかったが、弓を用いることが重要だったらしい。

 網や投げ縄、落とし穴を使う農民とは違うのだと、証明したかったのだろう。


(我が家は農民同然なんだから、貴族としての誇りなんて、さっさと捨ててしまえばよかったのに)


 下草の繁る、低くなだらかな岸辺に鹿を横たえ、レンカは顔をしかめた。

 

 父はもともと、小さな領地しか持たない、貧乏貴族の出だった。

 カンネリア王国が分割相続を定めているうえ、七人も兄弟がいる彼は、豪農にも劣るわずかな土地しか継承できなかった。

 その現実から目をそむけ、酒に逃げた父を、レンカは心底軽蔑していた。だが、こうして身を助けるすべを教えてくれたことだけは、感謝してもよさそうだ。


(……まあ、こういう作業は村人から教わったんだけど)


 レンカは鹿の腹をさばいて内蔵を取りだしてから、浅く、緩やかな流れの川にひたした。

 煙がたなびくようにして血が流れでて、川が赤く染まっていく。


 鹿の体を洗いながら、レンカは足に触れる水の冷たさに身震いした。

 寒さが本格的になるのはもうすこし先だが、木々に覆われた川縁は日あたりが悪く、空気もひんやりとしている。


 さっさと終わらせよう、と思っていた矢先、レンカの耳は、がさがさとこちらに近づいてくる音をとらえた。

 

(まさか、追っ手?)


 チェルヴィナー城に腰を落ちつけてから、追っ手が姿を見せたことは一度もなかった。

 それを訝しく思っていたが、やはり見つかってしまったのだろうか。

 レンカは全身を緊張させ、さっと背後を振りかえった。


「……シルヴェストル?」


 下草を踏み分けながらやって来たのは、予想外の人物だった。

 川端で立ち止まったシルヴェストルに、レンカはほっと肩の力を抜いた。


「どうしたの? 明るいうちに起きてくるなんて、珍しいね。というか、外に出ても大丈夫なの?」


 吸血鬼は、日光を苦手としているはずだ。

 にもかかわらず、彼は平然としている。日射しがまばらなこの場所では、問題なく動けるのだろうか。


 しかし、レンカの問いに答えは返ってこなかった。

 シルヴェストルは食い入るようにして、血で濁った川を見ている。

 そのどこか尋常でない様子に、レンカは眉をくもらせた。

 

「……ちょっと。大丈夫?」


 彼はぼうっとした面持ちで川に入り、ざぶざぶと音を立てながら、こちらに近寄ってきた。


「かぐわしい香りがする」


 そうつぶやくと、両手で赤い水をすくい、ひと息で飲みほした。

 彼は目を見ひらき、川に視線を落とした。


「もっと」


 シルヴェストルはむさぼるようにして、血の混じった水を飲みはじめた。

 それを何度か繰り返したあと、川底に沈む鹿に目をやった。


「足りない」


 彼はまじろぎもせず、鹿を凝視している。

 生気のないおもてにらんらんと光る瞳が、ちぐはぐで異様だった。


 足に根が生えたように動けないレンカをよそに、彼は腰をかがめ、勢いよく鹿の体を持ちあげた。


「これだ」


 シルヴェストルはうっとりとした表情で、鹿の裂かれた腹に顔を近づけた。


「これが欲しかった」


 ほほえみを浮かべたまま、口を大きく開け――。


「シルヴェストル!」

 

 レンカの叫び声で動きを止めた。

 シルヴェストルは我に返ったようにまばたき、周囲を見まわした。


「ここは? ……なぜ、こんなところにいる?」


 呆然とした様子で、彼は濡れそぼった鹿を見おろした。


「なんだ、これは。なぜこんなものを持って……」


 そこで血に汚れた川が視界に入ったのか、シルヴェストルは顔をこわばらせた。


「まさか」

「……ねえ。やっぱり、お腹がすいてたんじゃないの?」


 レンカが声を掛けると、シルヴェストルはのろのろと彼女に目を向けた。

 

「僕は……この鹿の血を飲んでいたのか?」

「川の水で薄まったやつをね。鹿の生肉にも、かじりつこうとしてた」


 レンカは束の間黙りこみ、ためらいがちに言い添えた。


「様子が変だったから、思わず止めちゃったけど……考えてみれば、止める必要はなかったね。その鹿、血はほとんど流れでちゃったから、他の獲物を捕ってこようか」

「ふざけるな」


 叩きつけるように言葉を返され、レンカは瞠目した。

 

「誰が血など飲むか!」

「そうは言っても、あんたは夢遊病者みたいにここまで来て、血を飲んでたんだよ。いくら心で拒否していても、体はもう限界なんじゃないの?」

「そうだとしても、これ以上は飲まない」


 シルヴェストルは怒りに燃えた目で、こちらをにらみつけた。

 

「血を飲むくらいなら、飢え死にしたほうがましだ!」


 苛立ちをぶつけるように鹿を投げすてると、彼は目と鼻の先にある城へと駆け去った。

 もろに水しぶきを浴びたレンカは、袖で顔を拭いながら嘆息した。


(どうしてあんなに、血を飲みたくないんだろう……)

 

 頑なに血を拒絶する限り、シルヴェストルは弱っていく一方だろう。


 こうなった以上、仮初とはいえ主であるレンカが、血を与えるべきだろうか。

 だが、彼が拒絶することは、火を見るよりも明らかだった。指輪を使って命令しようものなら、彼との仲は、修復不可能なほどこじれるに違いない。


(このまま放っておけば、あいつは飢え死にして、主従契約も解除される。そのほうが、わたしにとっては都合がいい)


 そう考えながらも、レンカは眉間にしわを寄せていた。


 シルヴェストルを見捨てることが正しい選択だとは、どうしても思えない。

 なんとかできないだろうかと考えつつも、レンカは結局、妙案をひねりだすことができなかった。

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