第5話 チェルヴィナー城(2)
夕方、レンカは厨房の長机で、炒ったブナの実ときのこのスープを食べていた。
ドングリは二週間ほど天日干しする必要があるので、しばらくはお預けだ。
(銛が見つかったし、明日は魚を捕ろうかな)
胸を躍らせていたレンカは、ふと階段を下りてくる足音に気づいた。
後ろを振りかえると、向かって左の戸口から、シルヴェストルが入ってくるところだった。
「あ、起きたんだ。もしかしてお腹すいたの? ちょっと待ってて、今用意するか、ら……」
レンカの言葉は、尻すぼみになって終わった。
シルヴェストルは吸血鬼なのだから、レンカと同じものを食べるはずがない。彼が必要とするのは、人間を筆頭とした動物の血液のみである。
(うっかりしてた)
レンカが気まずい思いをしていると、シルヴェストルは「必要ない」とそっけなく答えた。
「そんなことより、風呂に入りたい。今すぐ用意しろ」
「はあ? そんなの、自分で用意すればいいじゃない」
予想外の要求に、レンカは眉をひそめた。
「なぜ僕が? それは召使いの仕事だろう」
「わたしもあんたの召使いじゃないんだけど」
「僕は王族で、おまえはどう見ても平民だ。おまえが僕に奉仕するのは、しごく当然だと思うが」
シルヴェストルは首を傾げた。
自身の発言を信じて疑わない様子に、レンカは声を荒らげた。
「名ばかりではあるけど、わたしはこれでも貴族です! というか、あんたはわたしの主じゃなくて下僕だよね。こき使わないって言ったのは認めるけど、こき使われたいとはひとことも言ってないから!」
「では、僕に使用人の真似事をしろと? 王であるこの僕が?」
「当たり前でしょう! わたしは食料調達したり、薪を拾ったり、掃除したりで忙しいの。あんたに構ってる暇なんて全然ないんだから! それにお忘れのようだけど、今のあんたは王さまじゃなくて、ただの吸血鬼でしょ。昔のように一から十まで世話してもらえるとは、ゆめゆめ思わないでよね!」
肩で息をしていると、シルヴェストルから不機嫌そうににらみつけられた。
「僕だって、これから調べ物で忙しくなるんだが」
「それなら諦めたらどう?」
「嫌だ」
彼は間髪をいれず、きっぱりと言った。
「だいたい、かしずかれてきた僕になにもかもひとりでやれとは、ずいぶん薄情だな。相手を思いやる気持ちがないのか?」
「あんたにだけは言われたくないんだけど……」
こちらの危機に目もくれず、手首を切り落とそうとした冷血漢こそ、目の前に立つ吸血鬼なのだが。
レンカは叫びたくなる衝動を抑えこみ、息をついた。
シルヴェストルとは生きてきた時代はもちろん、育った環境も身分も違う。
価値観のまるで異なる相手に、こちらの考えを押しつけてもどうにもならない。どこまで行っても平行線をたどるだけだ。
レンカはしぶしぶ、いくらか譲歩することに決めた。
「……わかった。ご飯を食べおえたら手本を見せるから、次からは自分でやってよね」
シルヴェストルが露骨に嫌そうな顔をしたので、レンカは指輪をはめた手を突きだした。
「お望みなら、これを使って命令してもいいんだよ? わたしは痛くもかゆくもないし」
これ見よがしに手を振ってみせると、シルヴェストルはぎりぎりと歯がみし、こちらをねめつけた。
「おまえ……指輪がはずれたら覚えておけよ」
レンカは内心たじろいたが、食事を再開することで聞こえなかった振りをした。
城内には井戸が二か所設置されている。一階と三階にあり、レンカは一階の井戸から水をくみあげた。
バケツに移した水を厨房まで運び、大鍋に入れて湯をわかす。更にそれを、三階の寝室にある木製の風呂桶に入れていく。一回では終わらないので、階段を何度も往復する必要があった。
「……これを毎回やれと?」
幕を張りめぐらせた風呂桶に湯がたまるころには、シルヴェストルは明らかにうんざりとしていた。
「そうだよ。どんなに大変かわかったでしょう? あんたは今まで世話してくれた使用人に、おおいに感謝すべきだと思う」
レンカがしかつめらしい面持ちで腰に手を当てると、シルヴェストルは鼻先で笑った。
「使用人が風呂を用意したのは、それが仕事だからだ。報酬目当てで働いている人間に、なぜわざわざ感謝する必要がある?」
「お金のためだろうがなんだろうが、あんたのために大変な思いをしたことは事実じゃない。……まあ、次からは嫌でもありがたく感じるでしょうよ。あんたひとりでやるんだから」
「やらない」
「え?」
「こんなに面倒なら、風呂に入らなくてもいい」
「はあ!?」
そっぽを向くシルヴェストルに、レンカはつかみ掛かりたくなった。
「わたしにここまでさせておいて、それはないでしょう!」
「今回は入るのだからいいだろう、べつに」
シルヴェストルはしれっと言うと、無造作に外衣を脱ぎはじめた。
「……なにしてるの?」
「おまえは服を着たまま風呂に入るのか?」
ぎょっとするレンカを、シルヴェストルは小馬鹿にしたように一瞥した。
「そうじゃなくて、なんでわたしの目の前で脱ごうとしてるわけ!?」
「風呂を用意する人間は、僕の入浴の世話もした。僕がひとりで風呂に入れるわけがないだろう」
そんな情けない事実を、堂々と告げないで欲しい。
唖然とするレンカを尻目に、シルヴェストルは外衣を床に放り、チュニックを絞るベルトに手を掛けた。
そこでレンカは我に返ると、一目散に戸口へ向かい、勢いよく扉を閉めた。
「おい!」
「年頃の女の子に手伝わせようなんて、なに考えてんの!? 頭わいてるんじゃないの、この馬鹿、変態っ!」
思いつく限りの罵詈雑言を叫ぶと、レンカは騒ぎたてるシルヴェストルを無視して、その場から走り去った。
大広間を抜け、螺旋階段にたどり着いても、レンカの頬はほてったままだった。
「あー、もう!」
レンカは羞恥心を払いおとすようにかぶりを振ると、憤然と階段を下りはじめた。
「まったく、あいつ自分が主人だと思ってるんじゃないの!」
やっと父親から解放されたのに、引きつづき他人の世話をするなど、冗談ではない。
どしどしと階段を踏みつけながら、ふと懸念が胸をよぎった。
(こんな調子で、これから大丈夫なのかな)
主従契約を破棄するまでは、あの甘ったれ吸血鬼と暮らさねばならない。
前途多難な先行きに、レンカは腹の底からため息をついた。