最終話 礼拝所にて
一か月後。
レンカは相変わらず、バラーシュ家の屋敷に滞在していた。
当初は客人扱いされていたレンカだったが、途中から我慢できずに、屋敷の仕事を手伝うようになった。体を動かしているほうが、性に合っているのだ。
いっそのこと、正式に雇ってもらおうかと検討する、今日この頃である。
あれから、シルヴェストルとは普段どおりに接していた。
告白の返事は、いまだにもらっていない。
シルヴェストルは今、罪滅ぼしの方法を考えながら、領主としての務めを果たしている。自分のことで手いっぱいな彼に、返事を急かす気にはなれなかった。
彼がその気になるまで、のんびり待とう。
そう思っていた矢先、当の本人から「チェルヴィナー城へ行かないか」と誘われた。
末葉守によって隠されていたチェルヴィナー城は、現在、誰の目にも確認できるようになっていた。
だが、チェルヴィナー城も、それを囲む森も、元々は王家のものである。
シルヴェストルをせっついて、どうすべきかオレクサンドルに相談させたところ、バラーシュ家の所有にしていいと言われた。
もともとクレメントを討ちとった褒賞として、シルヴェストルに領地を与える予定だったが、本人が固辞したので、その代わりだという。
おかげで、思い出深いチェルヴィナー城に、なんの気兼ねもなく出入りできるようになった。
シルヴェストルとともに城へ行くと、彼は三階の礼拝所へと入っていった。
(なんでここに?)
レンカが首を傾げていると、祭壇の前で立ち止まったシルヴェストルから、「右手を出せ」と言われた。
そのとおりにすると、彼はベルトにとめてある鞄から、小さな箱を取りだした。
そこから出したものを、レンカの右手薬指にはめる。
「……これって」
レンカは、はめられたものを凝視した。
それは四角いガーネットのついた、金の指輪だった。宝石の両脇には植物の彫金が施されており、小ぶりながら、優美な意匠である。
「本来なら、婚約式ではめるものだ。だが、それを待っていたら、おまえがどこかへ行ってしまう気がして……それで、今はめることにした」
「ちょ、ちょっと待って」
レンカは指輪とシルヴェストルを、交互に見やった。
「これって婚約指輪なの?」
「今の世では、右手薬指にはめないのか?」
「えっ、いや、今もそうだけど!」
カンネリア王国では、右手薬指が婚約指輪、左手薬指が結婚指輪をはめる指だ。
「その、つまり……どういうことなの?」
まだ告白の返事ももらっていないのに、彼はいったい、なにを考えているのか。
混乱しきりのレンカを見やり、シルヴェストルは伏し目がちに話しはじめた。
「……おまえと僕は、紅血の指輪でつながった関係だった。だが、今はそれもない。おまえはいずれ、ここから去ってしまうだろう。そうなる前に、僕の婚約者にして、つなぎとめておきたかった」
「それって」
レンカは唾をのみこんだ。
「シルヴェストル……わたしのことが好きなの?」
「……正直なところ、よくわからない」
「わからない?」
思わず、レンカはがっくりと肩を落とした。
「人を好きになったことがないから、これが恋なのかと聞かれると、自信がない。だが、おまえが僕から離れていくのは嫌だ。これから先も、共にいたい。おまえが僕に言ってくれたように、おまえのいない未来など考えられない」
シルヴェストルは自嘲するように笑った。
「……この場所で指輪を贈ったのは、母上たちに見守ってもらいたかったからだ。だが、こんな中途半端な気持ちで求婚しては、叱られてしまうな。おまえに対しても、誠実ではなかった。やはり、今のはなかったことに――」
「できるわけない」
レンカはぴしゃりと言いはなった。
「もう忘れたの? わたしは、あんたのことが好きなの。求婚されて、嬉しいに決まってるじゃない! それに、あんたが今言ったことは、そっくりそのまま、わたしも思っていることなの。これって、気持ちが通じあってるってことでしょう? つまり、あんたはわたしのことが好きなの!」
「好き……」
シルヴェストルは、それが大切なものの名前であるように、そっと口に出した。
「好きじゃなかったら、つなぎとめようって発想にはならないよ」
そう言いつつ、レンカははたしてそうだろうか、と疑問に思った。
彼が抱く感情は、恋ではなく、親愛や友愛かもしれない。
だが、そうだとしても構わなかった。
「もし勘違いだったとしても、大丈夫。あんたを惚れさせればいいんだから! どれだけ時間が掛かっても、絶対に振り向かせてみせる。覚悟しておいてよね」
胸を張ってから、レンカはなにかを間違えた気がした。
今の言い草では、決闘の申し込みじみている。
首をひねっていると、にわかに、くつくつと笑う声が聞こえてきた。
レンカが目をぱちくりさせているうちに、シルヴェストルは、声を立てて笑いはじめた。
「その必要はなさそうだ」
「……そうなの?」
「ああ。今、ようやくわかった」
シルヴェストルはレンカの頬に手を添えて、まぶしそうに目を細めた。
「たぶんこれが、愛おしいという気持ちなんだろう」
シルヴェストルの顔が近づき、見えなくなった。
唇に、柔らかなものが触れている。
そう認識した直後、彼は離れていった。
レンカはしばし、口を開けて固まっていた。
なにをされたか理解した瞬間、体中の血が沸騰したように、全身が熱くなった。
思わず唇に手を当てる。
「なっ、な、な」
「嫌だったか?」
「い、嫌じゃない、けど……!」
真っ赤になってうろたえるレンカを、シルヴェストルは楽しそうに見つめている。
こちらとは違って悠然としている彼が、なんだか憎らしい。
しかし気づけば、レンカもくすくすと笑いだしていた。
ひとしきり笑ってから、祭壇の向こうに掛けられた、白鳥のタペストリーに目がとまった。
末葉守は今、この瞬間も見守ってくれているだろうか。
(見ていてくださいね、末葉守さま。わたしとシルヴェストルは、ふたりで一緒に幸せになりますから)
ほほえんだレンカの思いに答えるように、タペストリーの白鳥が、きらりと光った気がした。




