第12話 再び、チェルヴィナー城
首謀者であるクレメントが倒されたことで、クーデターは失敗に終わった。
牢に押しこめられていた人びとや、餌として連れ去られた女性たちは、無事に解放された。
それと入れ替わるように、『翠緑の円環』の構成員四十二名が、牢に入れられた。
彼らのほとんどは、古くからの貴族だった。
裁判が開かれたあと、クーデターに直接関与した者は斬首刑となり、それ以外の者は、財産没収のうえ、貴族の身分を剥奪された。
王軍や近衛隊では、上官の命令に従っていただけの兵士や、寝返った者は赦免された。
吸血鬼である王軍の元帥はといえば、王宮が奪還されたとき、裏切った兵士によって首を斬られていた。近衛隊連隊長もシルヴェストルに討ちとられたので、クレメントの眷属は、処刑を待たずして全滅したのだった。
そうして粛清の嵐が吹き荒れたあと、ヘルベルト二世の葬儀が行われた。
喪が明ければ、オレクサンドルの兄・レオポルトが即位することとなっている。
しかしそれを待たずに、王宮奪還から五日後、レンカたちはステルベルツへの帰途についた。
***
誰かに呼びかけられた気がして、レンカは薄らと目を開いた。
(……ここ、どこだっけ)
ぼんやりと考えて、バラーシュ家の屋敷だと思い至った。馬車の旅は、ようやく今日、終わりを迎えたのだ。
シルヴェストルとの関係は白紙に戻ったものの、レンカはしばらく、ここに滞在することになっていた。
父の待つ故郷には帰りたくなかったし、なにより、シルヴェストルと離れがたかったからだ。
「レンカ、起きて」
うつらうつらしていると、出しぬけに、切羽詰まった声が聞こえてきた。
レンカはまばたきして、寝台の上に起きあがった。
天蓋の外が、妙に明るい。
さっと開けてみれば、すぐそこに、真珠のように輝く白鳥がいた。
「末葉守さま!」
レンカが目を丸くすると、白鳥は翼を広げ、早口で話しはじめた。
「シルヴェストルの様子がおかしいの。今、屋敷を出て森へ向かっているところ。なんだか、嫌な予感がする」
その一言で意識がはっきりとしたレンカは、すぐさま寝台を下りた。
「案内してください!」
外套を着たレンカは、飛びたつ白鳥の後を追った。
松明よりも明るい白鳥のおかげで、闇に塗りこめられた森の中も、難なく進むことができた。
白鳥が向かった先は、チェルヴィナー城の三階にある寝室だった。
中に足を踏みいれたとき、シルヴェストルは両手に杭を持ち、自身の心臓に突き刺そうとしているところだった。
「だめっ!」
レンカは全速力でシルヴェストルに向かっていった。
固まった彼から杭をもぎ取り、腕を振りかぶって遠くへ投げる。
「レンカ……」
「なんでこんなことするの? どうしてそんなに死にたがるの。あんたは仇を討ったじゃない!」
シルヴェストルの肩をつかんで揺さぶると、彼はうつむいた。
「……だからこそ、僕にはもう、この世にとどまる理由がない」
「どういうこと?」
「僕はずっと、吸血鬼としてよみがえったことに意義を見いだせなかった。だが、クレメントを見た瞬間、わかった。あの男を倒すためだったのだと。それをなし遂げた今、僕の役目は終わった。二百年前の亡霊は、この世から消えるべきだ」
「亡霊じゃない」
レンカはシルヴェストルの頬を両手で包んだ。
「あんたはここに存在してる。わたしと顔を合わせてしゃべってる。……吸血鬼として、ちゃんと生きてるじゃない」
シルヴェストルはこちらを見つめてから、目を伏せた。
「……あんたがそうまでして死にたいのは、家族を殺してしまったから?」
「なぜ知っている」
「あんたの家の末葉守さまが、教えてくれたの」
レンカはシルヴェストルから手を離し、背後の白鳥に顔を向けた。
シルヴェストルは今初めて気づいたように、そちらを見た。
「末葉守さまは、わたしが兵士に襲われたとき、二百年前に送ってくれたの。大火が起きた日、あんたが命を絶ちそうだったから、それを止めるために。覚えていないだろうけど、あんたを二百年眠らせたのは、わたしなんだよ」
「おまえが?」
「うん。さっきも末葉守さまは、シルヴェストルの様子がおかしいって知らせてくれた。それぐらい、あんたを心配してるし、生きていて欲しいって思ってるんだよ」
「ならば、なぜ、僕が指輪をはめるとき止めなかった?」
シルヴェストルの押し殺したような声音に、レンカは凍りついた。
「それだけじゃない。家族に襲いかかったときも、大火を引き起こしたときも、そいつは傍観していた。僕を気に掛けているのなら、なぜ、もっと早くに助けてくれなかった!」
彼の血を吐くような叫びが、室内に響きわたった。
「いまさら、なんの用だ。僕を見捨てた分際で、よくもおめおめと姿を見せられたものだな」
「やめて、シルヴェストル」
ひと言も発しない白鳥の代わりに、レンカは言葉を尽くした。
「末葉守って、再誕祭から冬至までしか、人間に力を貸せないんだって。あんたを助けられなかったのは、その時期じゃなかったからだと思う。それに末葉守さまは、わたしの命を救ってくれたの。そんな風に悪く言わないで」
シルヴェストルは、無言で白鳥をにらみつけた。
どうやら、末葉守に言及したのは失敗だったらしい。彼の心は、ますます頑なになったようだった。
こうなっては、取るべき道はひとつしかない。
レンカは決意を固めると、ひそかに深呼吸してから、シルヴェストルの手を取った。
「あんたに死んで欲しくないって言ったこと、覚えてる? 屋敷に潜入したのも、それを証明するためだって言ったよね。あのときは、自分の気持ちがわからなかった。でも、今ならわかるの。わたしは、あんたが好きだから……ずっと一緒にいたいから、死んで欲しくないんだって」
つい最近自覚したばかりの想いを、口にする。
瞠目するシルヴェストルの手を、力を込めて握りしめた。
「吸血鬼は不老なんだよね。だから、一緒に年を重ねていくことはできないけど、それでもそばにいたいの。これから先、あんたのいない生活なんて考えられない。一緒に生きて欲しいの、シルヴェストル」
シルヴェストルはしばらく、時が止まったように硬直していた。
彼がようやく口を開いたとき、その声は、ささやくように小さかった。
「……おまえには、もっとふさわしい相手がいる。暗がりでしか暮らせない死者よりも、日の下を堂々と歩ける生者のほうが、よほど似つかわしい」
「生者とか死者とか、そんなのどうだっていい。わたしはシルヴェストルがいいの。あんたにかなう人なんて、どこにもいない」
きっぱりと明言したレンカに、シルヴェストルは目に見えて動揺した。
「僕は……」
その先を続けることなく、彼は口を閉ざした。
(わたしにすこしでも情があるなら、わたしのために生きてよ)
そう言ってしまいたいのを、レンカはこらえた。
シルヴェストルの気持ちを尊重するのなら、彼を止めるべきではないのだろう。
彼は死ぬことによって罪を償い、罪悪感から解放されたいのだ。シルヴェストルに生きて欲しいと望むことは、彼が楽になる道をふさぐことと同義だった。
それでもレンカは、彼と共に、未来に向かって進んでいきたい。
そう願うことは、間違っているのだろうか。
レンカは辛抱強く返事を待ったが、シルヴェストルは黙りこくったままだった。
(どうしよう)
このままでは、シルヴェストルは死を選んでしまう。
彼を失うと考えるだけで、恐慌をきたしそうだった。
これ以上なにを言えばいいのか。どうすれば、彼の心を変えられるのか。
なにも思いつかないまま、レンカが絶望しかけたとき、背後がひときわ明るくなった。
後ろを向いたレンカは、目をまたたいた。
白鳥がいた場所には、ひとりの女性が立っていた。優しげな面立ちの、美しい人だ。
白い光をまとった女性は、まっすぐな長髪を揺らして、こちらに近づいて来る。
「母上……」
シルヴェストルが呆然とした様子でつぶやいた。
(この人が、シルヴェストルの?)
レンカはまじまじと女性を見つめた。
クレメントは戦いの最中に、「リーディエ王妃」と口にしていたはずだ。それが、彼女の名前だろうか。
(というか、この人、末葉守さまなんだよね……?)
末葉守とは、善き先祖の霊が集まったものだ。恐らく、今は末葉守となったリーディエの思いが、強く反映されているのだろう。
レンカは邪魔にならないよう、そっと後ろに下がった。
「シルヴェストル」
リーディエはシルヴェストルを抱きしめた。
「わたしの愛しい子。あなたをひとり残していったこと、ずっと後悔していたの。辛いとき、そばにいてあげられなくて、ごめんなさい」
体を離したリーディエは、ほとんど背丈の変わらない息子を眺めた。
「わたしたちを手に掛けたこと、あなたはずっと苦しんでいたわね。でもね、あなたが自分を責める必要はないの。クレメントを凶行に走らせた一因は、わたしにもある。彼をもっと気に掛けていれば、事態は変えられたはず」
「そんなことはない」
シルヴェストルは言下に否定した。
「母上はずっと、クレメントのことを気に掛けていた。それを突っぱねたのはあの男のほうで、母上が責任を感じる必要は全くない!」
「ええ。でも、他にやりようはあったはずなのよ。……わたしが言いたいのはね、あなたがひとりで抱えこむ問題じゃないということ。陛下とヴラディミーラさま、その愛人、クレメントに取り入ろうとした貴族に、わたしの親族。わたしと彼ら、全員に非があるの。だからこれ以上、自分を責めるのはやめてちょうだい」
「それは無理だ」
シルヴェストルはかぶりを振った。
「僕がハヴェルとルジェナ、母上の命を奪ったのは、紛れもない事実だ。それを覚えているかぎり、僕は自分を許せない。絶対に」
「そう……そうよね」
リーディエは顔をくもらせた。
「それでも、あなたには生きていて欲しい。生きて、幸せな姿を見せて欲しい。わたしたちはずっと、あなたを見守っているから」
彼女が軽く手を叩くと、シルヴェストルの足元に、二羽の白鳥が現れた。
白鳥たちは彼の足に寄りそい、甘えるように頭を擦りつけている。
シルヴェストルは戸惑ったようにそれを見下ろしていたが、すぐにはっとした表情を浮かべた。
「まさか……ハヴェルとルジェナか?」
今までの話から察するに、それが弟妹の名前なのだろう。
「ええ。この子たちは末葉守ではないけれど、あなたが心配で、現世にとどまっているの。だから、本当にわたしたちのことを思うのなら、あなたは幸せになりなさい。……いえ、幸せにならないと許さない」
言葉とは裏腹に、リーディエは慈愛に満ちたほほえみを浮かべていた。
「……だが、僕は」
「大火で亡くなった人たちのことを考えているのね。でもね、あなたが死んだところで、彼らはよみがえらないの。たとえ、彼らの家族があなたの死を望んでいたとしても、とうの昔にこの世を去っている。死んで償いたいと思うのは、ただの自己満足に過ぎないわ」
厳しい言葉に、シルヴェストルはうなだれた。
「だから、罪滅ぼしをしたいのなら、吸血鬼としての生を全うしなさい。そして、大火によって失われた命よりも、もっと多くの人を救えばいい」
「人を、救う……」
「どう、シルヴェストル。これでもまだ、あなたの選択は変わらない?」
シルヴェストルはしばらくの間、口を利かなかった。
レンカが不安になったころ、彼はとつとつと話しはじめた。
「僕は……たぶん、なにもかも投げだしたかったんだ。自分の犯した罪と向きあって、背負っていくことが恐ろしかった。だが、それをしてしまえば、僕はただの卑怯者になる。……これ以上、罪を重ねるつもりはない」
シルヴェストルは背筋を正し、リーディエをまっすぐに見た。
「正直、僕に人が救えるとは思えない。だが、努力はしてみせる」
「大丈夫、きっとできる。あなたには、支えてくれる人がいるのだから」
リーディエに笑いかけられたレンカは、あたふたしてしまった。
「それから、幸せになることも忘れちゃだめよ」
「……贖罪のために生きていくのに?」
「そんなに気になるなら、こう考えてみてはどう? 幸せになるのは、わたしたちに対する贖罪だって」
シルヴェストルは一瞬、泣きだしそうに顔をゆがめてから、「わかった」と小声で答えた。
リーディエは目を細めると、レンカに体を向けた。
「レンカ。いろいろと難しい子だけど……シルヴェストルのこと、どうかよろしくね」
「はい! お任せください」
しっかり頷いてみせると、リーディエは満面に笑顔を浮かべた。
彼女と白鳥たちの姿が、徐々に薄くなっていく。
彼らが消えた途端、室内は暗闇に覆われた。
静寂が辺りを包む。
ややあって、シルヴェストルが口を切った。
「……帰るぞ、レンカ」
迷いを吹っ切ったような、晴れやかな口調だった。
シルヴェストルに手を取られたレンカは、顔を綻ばせて、彼の手を握りかえした。
「うん。帰ろう、一緒に!」




