第8話 吸血鬼は眠りにつく(1)
闇に沈むステルベルツに到着したのは、出発から四時間経ったころだった。
馬車なら七日はかかる距離なのに、とレンカは感心した。
これほど時間を短縮できたのは、空中では直線距離で移動できるのもあるが、シルヴェストルの飛ぶ速度が、馬よりもずっと速いからだろう。
チェルヴィナー城の前に降りたつと、シルヴェストルはすぐさま人の姿に戻り、レンカに背を向けた。
「ちょっと、どこへ行くの」
「おまえには関係ないだろう。目的地に着いたのだから、これ以上僕に構うな」
「嫌。このまま別れたら、あんたはひとりで死ぬ気でしょう? そんなの、見過ごせるわけないじゃない」
「……なぜ、そこまで僕のことを気に掛ける?」
シルヴェストルは、苛立たしげにこちらを振りかえった。
「二百年後に命を救ってやったからか? だがそれは、今の僕がやったことではない。やった覚えのないことで感謝されても、うっとうしいし、迷惑なだけだ。そんなに人助けがしたいなら、他を当たれ」
「他の人相手に、こんなことしようとは思わないよ。あんただから助けたいし、死なせたくない。わたしにしてみれば、今のあんたも二百年後のあんたも、同じシルヴェストル・ヴェンツルだよ。今のあんたがいなければ、二百年後のシルヴェストルも存在しない。分けて考えるなんて、できっこないよ」
「ではおまえは、恩人が放っておいて欲しいと言っているのに、それを無視するのか?」
うっと言葉につまる。
だが、どれだけ非難されても、引くつもりは断じてなかった。
「……それはまあ、ちょっとは申しわけないと思うけど。でもね、あんたがここで死んじゃったら、二百年後のわたしはどうなるの? 人助けだと思って、ひとまず生きてちょうだい」
「つまり、おまえを助けるために生きろと?」
「そういうこと」
「……ずいぶん自分勝手な女だな」
「なんとでもどうぞ」
レンカは澄ました顔をした。
今のシルヴェストルに、自分にとって大切な存在だから死んで欲しくないと伝えても、なにも響かないだろう。
それならば、彼の良心に訴えるほうがいい。
彼が生きてくれるなら、身勝手と思われようが構わなかった。
「……いや、やはり無理だ。あれだけの大罪を犯して、おめおめと生きながらえるなど、ありえない。それも、二百年もだと? 耐えられるわけがない」
低い声で断言するシルヴェストルに、レンカは口を引き結んだ。
(これでだめなら、どうしたらいいの)
シルヴェストルの意志は、巌のごとく強固だ。彼の意見をひるがえすには、一筋縄では行かないだろう。
焦りながら、レンカは解決の糸口を探した。
(シルヴェストルは、自責の念に押しつぶされそうになっている。それを、いっときでも忘れられればいいんだけど……)
そのとき、降って湧いたように、ある考えが思い浮かんだ。
レンカは目を大きく見張った。
(ああ、そうか。それなら、どうにかできる!)
末葉守がこの時代にレンカを送ったわけが、今ようやくわかった。
あの白鳥は、こうなることを知っていたのだ。
「ちょっと来て」
レンカはシルヴェストルの腕をつかむと、チェルヴィナー城の入り口に通じる階段をのぼりはじめた。
二百年後と同じく、周囲に人の姿はなかった。
「……おい。王家の城に勝手に入るな」
「あんたがいるんだから、べつにいいでしょ」
途中で蝋燭と燭台を拝借し、鼻をつままれても分からない闇の中を、わずかな明かりを頼りに進んでいく。
そして、三階の寝室にたどり着いた。
レンカがシルヴェストルと初めて出会った場所だ。
窓際の櫃を開けると、レンカはシルヴェストルに向きなおり、きっぱりと告げた。
「今からあんたには、この櫃の中で眠ってもらいます」
「……は?」
「いろいろ辛いことがあって、あんたは心身ともに疲れているはず。だから、ここでゆっくり休んだほうがいい」
「冗談だろう」
シルヴェストルは顔を引きつらせた。
「この狭苦しい場所で寝る? そばに寝台があるのに? ふざけているのか」
「あんたは吸血鬼なんだから、寝台よりも、日射しをしっかり防げる櫃のほうが安全だよ。なにせ二百年は寝なきゃいけないんだし、万全を期したほうがいいでしょう」
「……おまえ、恩人だとか言ったのは、僕を油断させるための嘘だろう。こんな寝返りも打てないような場所で寝るなど、拷問に等しいぞ! そもそも、僕を眠らせてなんになる」
警戒心を露わにするシルヴェストルに、レンカは苦笑いを浮かべた。
こちらに心を許してくれないさまは、出会ったばかりの彼を彷彿とさせる。場違いだが、なんだか懐かしい気持ちになった。
「わたしは、あんたに嫌なことをすべて忘れて欲しいだけ。寝ているあいだは、余計なことを考えなくて済むでしょう?」
「……ふん。そうやって、僕が死ぬのを先送りさせるつもりか」
「二百年も眠ったら、あんたの頑なな考えも変わっているかもよ。今よりも落ちついて、どうすべきか考えられるんじゃない?」
根本的な考えまでは変わらないが、すくなくとも、すぐに死のうとはしなくなる。
それだけでも、大きな進歩だ。
「お願い。わたしは……もう一度、あんたに会いたいの」
結局、本音がこぼれ出てしまった。
祈るような気持ちでシルヴェストルを見つめると、彼は戸惑ったように目を伏せた。
「……未来から来たと言ってみたり、櫃の中で寝ろと言ってみたり……おまえのように頭のおかしい人間には、初めて会った」
「それはどうも」
レンカがぶすっとしていると、シルヴェストルは深々と嘆息した。
「だが……僕にはもう、失うものなどない。おまえが僕を謀っているのだとしても、どうだっていい。どうせ捨てようとした命だ。好きにすればいい」
「シルヴェストル……!」
顔を明るくするレンカに、シルヴェストルは「ただし」と仏頂面で言い添えた。
「まずは、櫃の中をどうにかしろ。こんな環境で寝られるか」




