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第5話 ヴェンツル王朝の兄弟(2)


「……それで、王位を簒奪さんだつするために、まじない師になったわけか。はっ、ご苦労なことだ。ヘルベルト王を吸血鬼から救ったというのも、どうせ自作自演だろう。とうとう詐欺師にまで落ちぶれるとは、貴様には矜恃というものがないらしい」

「詐欺師とは心外だな。私の占いは、よく当たると評判だったよ。依頼主についてあらかじめ調査しておけば、造作もないことだったけれど」


 それを詐欺師というのではないか。

 面の皮が厚すぎるクレメントに、思わず舌打ちした。


「そういえば君、まだ紅血の指輪をはめているんだね。気に入ったのかい?」


 瞬時に、目の前が真っ赤になった。

 今すぐに、この男の息の根を止めてやりたい。

 だが、そんな素振りを見せれば、クレメントを喜ばせるだけだ。シルヴェストルはなんとか感情を抑えこむと、低い声でたずねた。


「アーモス・バラーシュに……というより、バラーシュ家に紅血の指輪を与えたのは、貴様か」

「さあ、どうだろう。覚えていないな。紅血の指輪は、あまり使い勝手がよくなくてね。主の指輪で従わせられるのは、下僕ひとりのみなんだ。君に使ったあと、無用の長物になったから、臣下に下げわたしたんじゃないのかな? それがバラーシュ家だったかは、覚えていないけど」


 紅血の指輪は、宝物庫に保管されていた国宝である。

 それを勝手に持ちだした挙げ句、臣下にくれてやるとは、どういう神経をしているのか。

 知ってはいたことだが、この男に倫理観は備わっていないらしい。

 

「ああ、そうか。アーモス・バラーシュといえば、君の養父じゃないか。ははっ、まったく、面白いことになったものだ」


 声を立てて笑うクレメントに、シルヴェストルは冷え冷えとした眼差しを向けた。


「あの男は貴様の眷属だろう」

「そのとおり。ウェデリーン州総督のアーモス・バラーシュは、私にとって計画の障りになる可能性があったからね。ウェデリーン州はグラディオール国に接しているから、国境を守る軍隊が駐屯しているだろう? 州総督は有事のさい、司令官となって軍を動かす権限を持っている。そしてウェデリーン州の軍は、王よりも州総督のほうに忠誠を誓っているともっぱらの噂だ。我々が事を起こしたあと、ウェデリーン州総督に軍を差しむけられでもしたら、面倒なことになる。それを防ぐため、アーモス・バラーシュには、私の忠実な駒になってもらったというわけだ」


 肩についた雪を払いおとしながら、クレメントは首を傾げた。


「でも、まさかあの男が死ぬとはね。君だろう、殺したのは? こうなるとわかっていたら、わざわざ眷属になどしなかった。ウェデリーン州総督の座は、未だに空席のままだし」

「貴様がアーモス・バラーシュを眷属にしなければ、僕があの男を消すこともなかった。仮定の話など、するだけ無駄だ」


 シルヴェストルは鼻先で笑った。


「それで、貴様はこの国をどうする気だ? 正気とは思えないが、吸血鬼が支配する国にでもするつもりか」

「そのつもりだよ。既存の貴族階級は廃止して、吸血鬼のみを特権階級として扱う。それ以外は、すべて我々の食糧だ」

「その吸血鬼というのは、貴様の眷属だけを指すんだろうな」

「当然。私は従順な臣下しか欲しくないからね。といっても、アーモス・バラーシュとバルトロメイ以外では、ふたりしか眷属にできていないけれど。眷属って吸血衝動を抑えられないだろう? そのせいで理性を失って、たびたび女性をさらってしまうんだ。世間では失踪事件として注目を浴びていたから、あれ以上眷属を増やせば、我々の存在が明るみに出る危険性があった。……でも、もうそんな肩身の狭い思いは終わりだ。これからはいくらだって、眷属を増やせる」


 風がひときわ強く吹きつけ、雪がつぶてのように全身を打った。

 クレメントは寒さなど感じていないように、にこやかに続けた。


「吸血鬼という点で、君は私の同類だ。だから、君が私に従属し、共に新たな国を作りたいと思うなら、解放してあげるよ。過去のことは水に流し、手を取りあおうじゃないか」

「……水に流す?」


 シルヴェストルは我知らず、くつくつと笑っていた。

 しまいには、辺りに響きわたるほどの声で哄笑こうしょうした。


「ふざけたことを! 貴様の所業を、なかったことにしろと? それができると本気で思っているなら、貴様は度しがたいほどのれ者だな! それとも、二百年経って耄碌もうろくしただけか?」


 笑いを納めると、シルヴェストルは無表情になった。


「貴様に与するほど、落ちぶれたつもりはない。それぐらいなら、ここで永遠に磔にされているほうが、百倍ましだ」

「まあ、君ならそう言うと思ったよ」


 クレメントは肩をすくめた。


「だけどね、その発言、そのうち後悔することになると思うよ」


 思わせぶりな異母兄に、シルヴェストルは眉間にしわを寄せた。


「君が大切にしている娘、なんて言ったっけ。ええっと、そう、レンカだ。彼女を君の前に連れてきてあげるから、楽しみにしているといい。兵士には生死を問わないと言ってあるから、生きたまま対面できるかはわからないけどね」

「……」

「運よく生きていたら、君の目の前で吸血して、じわじわと弱らせていこうかな? それとも、ちょっとずつ体を切り刻む? どちらにせよ、君は苦しむ彼女を助けられず、ただ死んでいくさまを眺めるしかない。ああ、そう考えると、生きたまま連れてくるよう命じればよかったな」


 がっかりしたようなクレメントの声は、すでにシルヴェストルの耳には届いていなかった。


(レンカ)


 あの娘の命が失われると考えるだけで、胸のうちまで凍りついていくような気がした。

 

 シルヴェストルに死んで欲しくないと、それを証明してみせると宣言したレンカ。実際にそれを成しとげ、こちらの無事を喜んでくれたレンカ。

 生命力にあふれ、いきいきとした彼女の顔が、いくつも脳裏をよぎっていく。


 太陽のようなあの娘を、失いたくない。

 自分のせいで身近な人間をなくすのは、一度だけで十分だった。


「……貴様は、あの娘のことを見くびっている。あのじゃじゃ馬をどうにかできると思っているなら、見当違いもはなはだしい。せいぜい部下が連れてくるのを、祈りながら待つんだな。徒労に終わると思うが」


 顎を突きだし、せせら笑ってやる。

 そうすることでシルヴェストルは、おのれの言葉が真実であるような気がしてきた。

 

 あのレンカが、そう簡単にクレメントの手中に落ちるわけがない。

 彼女はどんな局面であっても、足掻くのをやめなかった。その諦めの悪さが、今回も発揮されていると信じたかった。


 クレメントは白けたような面持ちになった。


「まあ、そうやって、ありもしない希望にしがみついていればいい。磔になっている限り、君はなにもできやしないのだから。……また来るよ。君が息苦しくなったころに」


 苦悶の表情を見に来るというクレメントに、返事もしたくなかった。


 異母兄が去ったあと、シルヴェストルは右手に意識を集中した。

 紅血の指輪は、まだ効力を失っていない。ほのかに温かいので、そうとわかる。

 つまり、レンカはまだ生きているということだ。

 

 クレメントにはああ言ったものの、根拠のない自信は、いつの間にか消え失せていた。


(指輪の効力が切れたとき、僕は……正気でいられるのか)


 レンカを失うことも、自分を制御できないことも、恐ろしくてたまらない。

 シルヴェストルは力なくまぶたを閉ざした。

 無力で役に立たない自分に、心の底から憎しみを覚えた。

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