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第4話 ヴェンツル王朝の兄弟(1)

 

 シルヴェストルは重いまぶたを、ゆっくりと開いた。


 まず視界に入ってきたのは、眼下に広がる雪化粧した街と、左手に横たわるルーナリーナ川だった。

 目の前に視線を移すと、白い急斜面が、下界まで続いている。

 それを眺めながら、シルヴェストルは顔をしかめた。


 なぜだか、両手と両足がずきずきと痛む。

 自身の体を見下ろしてみて、原因がわかった。裸足にされたうえに、足首になにかが刺さっているのだ。鉄製の細い杭のようなものだった。

 首をひねって上を見ると、広げられた両手の手首にも、同じものが刺さっていた。

 どうやら自分は、木製の杭に横木を渡したものに、はりつけにされているらしい。

 

 意識を集中し、霧に姿を変えてみようと試みる。

 しかし、何度念じても、おのれの姿はなにも変わらなかった。


(杭に固定されているせいか。それとも、手足に刺さっている杭もどきのせいか)


 もしかすると、そのどちらからも、影響を受けているのかもしれなかった。


 ひとまず諦めて、可能な限り、こうべを巡らしてみる。

 すぐ背後には、周壁がそびえ立っていた。置かれた状況から考えるに、ここは王宮の城壁の外だろう。

 地上から見れば、今いる丘の斜面は、よく目に付くはずだ。こんな場所に磔にするのは、見せしめ以外の何物でもない。城下の人間に、逆らえばこうなると脅しているのだ。


(悪趣味な)


 シルヴェストルは、嫌悪感で顔をゆがめた。

 

 磔というやり口も、命じた吸血鬼の嗜虐さと醜悪さが透けて見えるようだった。

 普通の人間が磔にされた場合、体が垂れさがっていくことで呼吸困難となり、数時間、もしくは何日もかけて苦しんだ挙げ句、窒息死する。

 吸血鬼であるシルヴェストルが、そのようにして死ぬことはない。

 その代わり、解放されるまで、永久に苦しむことになるだろう。

 

 こんな屈辱的な状況に陥ったそもそもの原因を、シルヴェストルは苛々しながら思いかえした。


 再誕祭の日、クレメントを目にしたときは、悪夢の中にいるようだった。

 あの男がこの世に存在すること自体、信じがたかった。現実だと認めたあとは、おぞましさに吐き気がした。

 いっそのこと、見て見ぬ振りをしようかとも思った。

 だが、クレメントがいる限り、シルヴェストルの心に安寧は訪れないだろう。

 ならば、取るべき行動はひとつしかなかった。


 夜中、霧に変化してから、王宮に侵入した。

 王宮の内部は、シルヴェストルの記憶とほとんど変わっていなかった。火事で焼けたはずだが、元どおりに再建されたのだろう。

 おかげで、彼はなんの苦労もなく、クレメントを見つけることができた。

 

 クレメントは、王の寝室で眠っていた。

 その部屋を使う厚かましさにかっとなり、人形ひとがたに戻ってクレメントに襲いかかった。だが、あの男は眠ってなどいなかった。

 すばやく起きあがり、一瞬のうちに、こちらの首をへし折ってきた。

 そのせいでシルヴェストルは意識を失い、気づいたときには、こうして磔にされていたのだった。


 我を忘れて突っこんでいかなければ、寝首をかけただろうに。

 どうもあの男を前にすると、自分は冷静さを失うらしい。

 そのせいで引き起こした大火のことまで思い出し、自己嫌悪で胸が悪くなった。


「やあ、我が弟よ。気分はどうかな?」


 そのとき、この世で一番耳にしたくない声が、背後から聞こえてきた。

 眼前までやって来た男に、シルヴェストルは表情を消した。

 

 シルヴェストルよりも薄い金の髪に、真紅の瞳。造作の整った、貴公子然とした面ざし。

 人間だったころのように、緑色の目ではないし、耳もとがっている。

 だが目鼻立ちに関していえば、クレメントのそれは、二百年前から寸分も変わっていなかった。


「クレメント……」


 シルヴェストルの胸に、嵐のごとく憎しみが吹き荒れた。

 衝動的に、目の前の顔を引き裂こうとする。

 しかし、杭の打たれた右腕は、ぴくりとも動かなかった。


「まさか、吸血鬼となってから弟と再会するなんてね。臣従礼のときに君を見て、どんなに驚いたことか」

「そこで僕の存在を知ったから、まじない師殺しの犯人に仕立てようとしたわけか」

「君があのまま処刑されてくれれば、こちらとしては好都合だったんだけど。……まあ、そうならなくてよかったのかもね。斬首刑であっさりと死なれるより、悶え苦しんでくれたほうが、よっぽど見応えがあるから」


 クレメントの口調は、無邪気な子どもじみていた。

 シルヴェストルは「気色が悪い」と吐き捨てるように言った。

 

「相変わらず気が狂っているな、貴様。そのうえ、死んでから二百年経っても王位への執着が薄れていないとは、哀れを通り越して滑稽こっけいだ。自分が道化だという自覚はあるのか?」

 

 嘲笑を浮かべると、相手は微笑を返してきた。


「王の子に生まれ落ちたからには、王の座を望むのは自然なことだろう。生まれたときから王太子だった君には、一生わからないだろうけれど」


 クレメントの瞳には、底知れない闇が沈んでいた。


 この男の人生は、母親が愛人とともに処刑されたあと、坂を転がりおちるように転落した。

 まず、王からの愛情を失った。そしてシルヴェストルが生まれたときに、病弱を理由に王位継承権を剥奪され、離宮に追いやられた。

 そこでの生活は、訪ねる者もいない、孤独なものだったという。

 そんなクレメントに目を付けたのが、反シルヴェストル派の貴族だ。

 

 シルヴェストルの母であるリーディエは、隣国サンタルテナから、カンネリアに嫁いできた。けれど、リーディエの母、つまりシルヴェストルの祖母は、カンネリアの出身だ。

 リーディエが王妃となったさい、彼女の母方の親族は、王に重用されるようになった。

 その結果、彼らは増長し、宮廷を我が物顔で闊歩かっぽするようになる。それに反感を持った者たちが、親族の権力を奪うべく、クレメントに接近したのだった。


『あなたこそが王にふさわしい』


 彼らはそう言って、長きに渡りクレメントを焚きつけた。

 それを信じこんだクレメントは、王位を得るためには手段をいとわない、化け物へと変貌を遂げた。


 シルヴェストルの外戚が権力をひけらかさなければ、それに対抗する勢力も生まれず、クレメントは忘れられた王子として、真っ当に一生を終えたかもしれない。

 だが、それがなんだというのか。

 この男がしでかしたことは、不幸な境遇で帳消しになるような、生易しいものではない。絶対に、許されるべきことではなかった。

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