第3話 オトからの呼びだし(3)
「反攻の準備をしているあいだ、君は施療院に隠れていて欲しい。重病人の振りをしていれば、そうそう見つかることはないはずだ。あまり快適な場所ではないが……」
「構いません。屋根のある場所で寝られるだけ、ありがたいです」
レンカがにっこりと笑ってみせると、「殿下!」と小声で呼びかける声が耳に入ってきた。
いつの間にか姿を消していた警吏が、左手の出入り口に立っていた。階段を駆けおりると、彼はオレクサンドルに近づきながら切りだした。
「後を付けられていたようです。神殿に兵士がひとり、乗りこんできました」
「そう簡単には騙されてくれなかったか」
オレクサンドルは顔を険しくした。
「ここにいるのは分かっているんだ! さっさと居場所を吐いてもらおうか!」
突然、外から怒鳴り声が聞こえてきた。
この様子では、兵士がここに押し入ってくるのも、時間の問題だろう。
レンカはすばやく考えを巡らせた。
「あの兵士は、わたしの後を付けてきたんですよね。となると、殿下の存在までは気づいていないはずです」
「確かなことは言えないが、そうだろうな」
「それなら、わたしが囮になります。兵士に捕まった振りをして、遠くまで逃げ、この場所から注意を逸らします。殿下はできるだけ物音を立てずに、ここから動かないでください」
「なにを言う」
目を見開いたオレクサンドルは、心外そうに言った。
「私はもう、君を危険な目にあわせたくない。君を匿おうというときに、真逆のことをしてなんになる」
「ご心配ありがとうございます。ですが、危険にはもう巻きこまれているんです。だったら、打てる手はすべて打っておかないと。逆賊の討伐は、殿下にしかできないことです。今最優先されるべきは、あなたの安全にほかなりません」
「だからといって、君を犠牲にするつもりは……」
オレクサンドルの言葉をさえぎるように、レンカは身をひるがえし、階段を駆けあがった。
「レンカ嬢!」
引きとめる声に、レンカは振りかえらなかった。
扉を開け、さらに階段を上った先には、巨大な柱がそびえ立っている。その陰にぱっと隠れ、レンカは周囲の様子を確認した。
今いる場所は、神殿の両脇に設けられた廊下のような部分、側廊だった。
建物の中央奥、レンカから見て右斜め前方に、祭壇がある。数段高くなったそこに、ふたりの男の姿があった。
「このような場所に立ち入られては困ります!」
「なら、ここまで運んできた死体を見せてもらおうか。そうすれば、あちこち探しまわらずに済むんだがな」
内陣に入りこんだ兵士を、祭司が必死に止めようとしているらしい。
兵士が神殿を荒らしまわる前に、こちらから姿を見せなければ。
(……怖い)
勢いで出てきたものの、いざ兵士を前にすると、身がすくんだ。
(でも、殿下まで捕まってしまっては、だれもこの国を救えない。シルヴェストルのことも)
レンカは覚悟を決めて、柱の陰から一歩踏みだした。
逃げだせるかどうかは、わからない。だが、シルヴェストルと再会するまで、死ぬつもりは毛頭なかった。
「お探しの死体って、わたしのこと?」
祭壇へ歩を進めると、中年の兵士は一瞬驚いた様子を見せてから、にやりと笑った。
「やっぱり死んでなかったか。クレメントさまがお呼びだ。一緒に来てもらおうか」
「……わかった」
兵士はおとなしく従うレンカに怪訝な顔をしつつも、即座に彼女の腕を後ろ手に縛った。
足首まで縛ろうとするので、「逃げないからそれはやめて」と訴えると、相手はあっさり引きさがった。自分で歩かせたほうが、楽だと思ったらしい。
兵士に腕をつかまれたレンカは、心配げにこちらを見る祭司に会釈して、歩きだした。
罪人のような扱いは不愉快極まりないが、ここで抵抗してもしょうがない。歯を食いしばって、我慢した。
(とりあえず、殿下の存在には気づかれてないみたい)
それだけは、唯一の救いと言えよう。
外に出ると、雪はまだ降りやんでおらず、寒さが骨身にしみた。
兵士は神殿の裏手に回りこむと、針葉樹に繋がれた馬へと近づいていった。
「動くなよ」
そう釘を刺して、彼は手綱をほどきに掛かった。
寒さのせいか、もたつきながら手を動かす兵士は、こちらに背を向けている。レンカはじりじりと後ずさってから、脱兎のごとく走りだした。
馬車二台分ほど幅のある道に出ると、足跡がほとんどなかった。
街の人びとは、家に閉じこもっているのだろうか。
雪に足を取られ、転びそうになりながら、レンカはひたすら足を動かした。
住宅の立ちならぶ街並みは、レンカの知らないものだった。アルテナンツェの中でも、中心地から外れた場所なのだろう。
どこへ向かえばいいのか見当もつかないが、兵士を神殿から離すには、とにかく遠くへ行くしかない。
だが、土地勘のないレンカでは、逃げ続けるのにも限度があった。
いくらも経たないうちに、背後から蹄の音が迫ってきた。大慌てで、目についた路地に駆けこむ。そこが袋小路だと気づいたときには、騎乗した兵士によって、すでに退路をふさがれていた。
「残念だが、あんたの足跡がくっきりと残っていたんでね。雪が降ってなけりゃあ、もうちょっと遠くまでは行けたかもしれんな」
馬から下りた兵士は、手綱を取って、ずんずんと近づいて来る。
「まったく、こんなことになるなら、最初から足を縛っておくべきだった」
うんざりした顔つきの兵士を、レンカは鋭くにらみつけた。
(まだ、捕まるわけにはいかない)
観念したと思われるように、後ろへ下がるのをやめた。こうべを垂れて、その場で時機を待つ。
そして、相手との距離が残り五歩になった瞬間、弾かれたように突進した。
レンカの体当たりを受け、兵士は大きくよろめいた。しかし、レンカもまた、均衡を崩してしまった。腕を縛られているせいだ。
足が滑り、地面に叩きつけられる。
積雪のおかげで衝撃は緩和されたが、頭や手が、飛びあがりたくなるほどに冷たい。
全身を襲う痛みと冷えで、なにもわからなくなる。
「手間掛けさせやがって!」
突然、脇腹に焼けつくような痛みが走った。
兵士が苛立ちをぶつけるように、レンカを蹴ったのだった。
「……そうだ。クレメントさまは、あんたの生死は問わないと言っていた。つまり、あんたを殺しても、お咎めはなしってわけだ。死体になってもらったほうが、よほど運びやすい。恨むなら、おとなしく従わなかった自分を恨むんだな!」
白い空を背景に、兵士が剣を引きぬいた。
刃が振りおろされる。
レンカはそれを、凍りついたように見つめることしかできなかった。




